#11 もう一人のヒカリ
光里と名乗った女性は、ダウナーを絵に描いたような人物だった。
黒々とした髪は癖毛なのか所々跳ねており、丸メガネの奥には黒々としたクマが浮かんでいる。着ている白いTシャツはヨレているのか、将又デザインなのか。……恐らく前者だと思うがブラジャーの紐が丸見えで年頃の少年には少しばかり目の毒になるであろう有り様だ。
やべー奴の人生観を収集するのが趣味と言う本人が、正しくそのやべー奴だった。
「ほれほれ、何か言うてみぃ? おねーさん、結構可愛かろう?」
「その自信はとても羨ましいです」
「ふむ、中学生からの上部だけの羨望というものも存外に悪くない。キミ、もっと私を褒めたまえよ」
「嫌です」
はて、今日は仏滅だっただろうか。どうせ死ぬのだからと日の良し悪しなんて気にしなかったのが悪かったかもしれない。自殺をするなら大安にすべきだったか。
……大安が、自殺日和とはこれまたおかしなものだ。
「じゃあ、せめて少年の経緯を……。とてもとても気になってこれじゃあ朝昼しか眠れない」
「見事な昼夜逆転。不健康ここに極まれりですね」
「でも私の精神はすこぶる良い。ならばキミより健康的と言えないかね?」
健康な乞食は病める国王よりも幸福である、みたいな感じだろうか。
「ショーペンハウアー。意外と博識だねキミ。しかし考えてみたまえよ、日々健やかに暮らすニートと日夜働き詰めで病んだ国王とを比較するのはあまりにもナンセンスじゃないかね? キミはどう思う?」
「論点がズレていると思います。あと、私の思考を盗聴しないでください」
そう言うと、「意図してズラしたのだよ」と彼女はケラケラと笑った。その様子はとてもじゃないが素面のようには思えない。素面がこれなら余りにも恐ろしい。
「さて、良い感じになって来たところだ。話してくれたまえよ。少年」
光里はベンチにドカっと腰掛ける。完全に聞く気満々の体勢だ。私が話さない事を一切考慮しない、そんな感じ。
「……はぁ」
言いたくはない。その筈だったのに。
意思に反して口は動き始める。前世の記憶も、今世の記憶も。……私は、ヒカリには逆らえないのかもしれない。蛍光灯の下に集まる蛾のように、どうしようもなくその引力に囚われる。
……勝手に事故死して、生まれ変わっても間違いを重ねてしまう私は、きっと虫ケラも同然。蛾、お似合いではないか。
「事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。よもやこんなところでこんな数奇な人生を聞けるとは。いやはや、徳はつんでおくものだねぇ」
私の話を聞き終えた光里はそう言って長く息を吐いた。
「辛かっただろう?」
「……分かりません。私にとってはそれが普通だったので」
「痛みには慣れたとしてもついた傷は消えないものだ」
すると、いきなり光里は立ち上がった。
「よし、オネーさんが少年に一つ魔法を掛けようじゃないか」
「私は、既に少年と呼べるような年齢じゃない」
「私が見るにキミは独りぼっちの迷子のようだがねぇ。まぁそこを討論するつもりはない。少年が何を言おうが私の認識は変わらないのだから」
ずずっと、距離が近付く。
光莉の花のような顔とは違う、異彩を放つ、魔性の貌が目の前にある。
「……キスでもするつもりですか?」
「いいや? 私とて初対面の人間にキスなどしないさ。言ったろう? 私は少年に魔法を掛けるだけさ。ささ、少年。メガネなんて取ってしまえ」
言われるがまま、流されるままメガネを取る。
しかしそうしている間にも顔は近付いて。
「っうあ゛っ!?」
突如激痛が、走った。
視界一杯に映るのはくすんだ赤色。理解が追いつかない。理解が追いつかない。只管に目が、目が痛い。
「眼球を舐められた事はなかったようだね? 初々しい反応だ」
「頭、イカれてんのか……!!」
「はいはいどうどう」
瞼を閉じる。けれど舌で眼球を撫でられた鮮烈な痛みは消えてはくれないし、舌は止まるような事はない。それどころか瞼をこじ開けようと舌は一層強く蠢動する。
彼女を突き飛ばそうとするが、スレンダーな身体にどこに一体そんな力があるのか両手はガッチリと掴まれて動けない。
私は、舌による凌辱に耐えるより他無かった。
「いやぁ、少年の目はしょっぱいねぇ。いつからそんなに塩味を溜め込んでいたんだい?」
「ふざけるなっ!! 一体なんのつもりだっ!!」
「私は泣けないキミのために涙を流す手伝いをしてやったまでさ。そら思い出してごらん? 少年はいつから泣いていない?」
「そんなの、そんなの……」
いつから、だっけ?
幼稚園の頃は、泣いた。と、思う。じゃあ小学生の頃は……? 泣いた覚えはない。けど、それに何の意味がある。
泣いてもタスクは減らない。泣いてる暇があるなら手を動かさなくちゃ。そうでなくてはもっと苦しくなる。
「涙は心の自浄作用だ。涙活とか聞いた事はないかね? そんな単語が生まれる程度にはストレス発散作用が強いのだよ。少年はどうやらその機能がブッ壊れていると見える。だからこうして無理やり修理した、という訳だ」
性欲も涙も、何事も過度の我慢は身体に毒だと彼女は続ける。
「それじゃあ、私は行くよ。眼球ご馳走様」
「……止めないんですか?」
「言ったろう? 少年、私にとってキミは餌だ。だから平らげたら次の皿へ、だ。もしかして止めてくれるのを期待したかい?」
「……」
「安心したまえ。話を聞くにキミを止める子は確実にいる。適材適所というやつさ、役を終えた役者がいつまでも盤上に残るのは好ましくはないだろう?」
ほら、と光里は振り返る。
すると、そこには。
「光莉……さん?」
こんな時、この場所に。
いる筈のない光莉の姿があった。




