第34話 腹黒令嬢は牙を研いでいるようです
「うふ、うふふ……」
アテナ艦隊旗艦、戦艦の指揮艦橋に妖しげな笑い声が響いていた。声の主は、艦隊司令官ソフィー・ドゥ・フォンティーヌ。地球の一大軍需企業、アテナ・インダストリの御令嬢である。
「ノルトライン要塞は、もう落城の危機と。うふふ、少しばかり早すぎではないかしら? まあ、相手が相手だから、責めはしないけれども……」
ノルトライン要塞の周辺には同盟軍の放った妨害電波が満ちており、外部との通信は完全に途絶してしまっている。要塞司令アイマン中将が放った連絡艇はこの妨害電波のベールを潜り抜け、アテナ艦隊に救援要請の電文を届けたのだった。
「いかがいたしましょうか、お嬢様」
そう聞くのは、アテナ艦隊の主席参謀だ。その言葉遣いは軍人というより使用人のそれだった。なにしろこの艦隊はアテナ・インダストリの事実上の私兵であり、その組織内では軍ではなく企業の論理がまかり通っているのである。
「我々自身の値を釣り上げるという観点から見れば、帝国軍にはもう少しばかり弱ってもらった方が良いのですが」
「野暮なことを言うのね、マルセル」
ソフィーは、腹心に対して隠微な視線を向けた。
「あそこには、わたしの想い人が居るのよ? 一年以上も離れ離れになっていた、愛しのあの男が……ふふ、これ以上は、一秒だって待ちたくはないの」
陶然と語るソフィーの声音は、軍艦の艦橋には全くふさわしくないほど甘くとろけていた。だが、それと同時に怖気の走るような毒々しさも混ざっている。優しげに咲く一輪の花に擬態した、タチの悪い食虫植物。そういう雰囲気だ。
「まったく、軍を追いだされた時点でわたしに縋っていればよかったものを。おかげで、銀河の果てまで追いかける羽目になってしまったわ。まあ、そういう意地っ張りな所も可愛いのだけれど」
まさに恋する乙女そのものの口調でとんでもないことを言い出すソフィー。そう、彼女こそが善哉を地球軍から追放した張本人だったのである。何の後ろ盾も持たぬ有能なだけの男をクビにするなど、絶大な権力を持つ彼女からすれば容易いことなのだ。
「さあ、マルセル。艦隊を急がせなさい。今度こそ如月善哉に真の絶望を与え、わたしに恭順する以外の道がないことを知らしめるのです」
「御意……」
ソフィーの無茶ぶりはいつものことだ。主席参謀は無表情にそう応え、全艦に増速を促した。あっという間に最大巡航速度を振り切り、速度帯は戦闘速度へと突入する。普通の艦隊ならば、落伍艦が出てもおかしくないレベルの強行軍だ。
しかし、そんな状態でもアテナ艦隊は整然とした隊列を維持している。クルーの優れた練度と、指揮官ソフィーの艦隊運用術のたまものである。なにしろ、この艦隊は地球圏を代表する大企業の私兵集団だ。その実力は、地球軍の中でも群を抜いていた。
アテナ艦隊が雅陵星系に突入したのは、それから三十分後のことだった。超光速航行が終わるなり、ソフィーは主席参謀の名を呼んで報告を求める。
「マルセル、敵艦隊はこちらに気付いているかしら?」
「その可能性は低いかと思われます、お嬢様」
相変わらずの鉄面皮を維持しつつ、主席参謀は冷静な声で答える。しかし、その声音には微かな自信と自負の色がうかがえた。彼とてアテナ・インダストリの幹部社員だ。自社の製品と社員には絶対の信頼を置いている。
「ノレド帝国系のセンサー技術はかなり高い水準にありますが、わが社の新式アクティブ・ステルスであればある程度の距離まででしたら誤魔化せます。隠密行動を心がければ、不意打ちを仕掛けることも可能でしょう」
アクティブ・ステルスとは、相手の索敵機器を積極的に無効化する欺瞞装置の総称だ。これらの機器の発展により、現代戦ではレーダー等の装備の信頼性が著しく低下している。時には、すべてを目視に頼っていた時代のような戦場が現出することすらあるのだ。
「しかし、それはあくまでも隠密状態を維持した場合の話でございます。敵に気付かれずに行動せねばならない都合上、相対距離が縮まるにしたがって速度を緩める必要もありますし、当然ながら主戦力が展開を終えるまでは発砲も厳禁。攻撃に移るまでは、どうしてもある程度の時間が必要になります」
「抜き足、差し足、忍び足……戦術的奇襲なんて、だいたいそんなものでしょう? 何が問題なのかしら」
茶飲み話でもするような調子で、ソフィーはそう言った。その声に、戦闘前にありがちな緊張感などカケラもない。
「一番の懸念は、友軍への救援が遅れてしまうという点です。観測結果から見て、ノルトライン要塞の防衛部隊は相当の苦戦を強いられているのは間違いありません。奇襲を優先して攻撃開始を遅らせた場合、友軍の被害は間違いなく大きなものとなるでしょう」
手元の端末をちらりと見つつ、主席参謀はそう説明した。たしかに奇襲作戦も効果は大きいが、そのぶん味方にかける負担も大きい。ノルトライン要塞の救援を優先するのであれば、取るべき作戦は奇襲ではなく陽動だ。足の速い巡洋艦部隊を先行させ、三々五々に攪乱攻撃を仕掛けるべきだろう。
「もう一度聞くけど、それの何が問題なのかしら」
しかし、ソフィーから返ってきた答えはいささか端的に過ぎるものだった。その声音は先ほどと全くかわらぬ柔らかなもものだったが、主席参謀の背中には不可思議な寒気が走っていた。これ以上、主の不興を買うべきではない。そう判断した彼は、深々とソフィーに頭を下げた。
「失礼いたしました。奇襲を前提に隠密行動をとるよう、各艦に通達いたします」
命令は速やかに実行された。アテナ艦隊はレーダーに映りづらい縦列隊形を組むと、ゆっくりと減速しつつノルトライン要塞へと接近していく。
各艦はエンジンの出力を抑え、アクティブ・ステルスを展開し、さらには可視光線を透過する光学迷彩装置まで作動させ、全力をもって己の姿を隠蔽していた。ここまで手が込んだ擬装だと、最新鋭の索敵装置でもなかなか発見はできない。
こうした戦術への一番の対策は、高性能のセンサーを大量に搭載した偵察用センサー・ボールをばら撒いておくことだ。実際、ノルトライン要塞側はこのやり方でクスノキ艦隊の接近を探知している。しかし、侵攻側である同盟軍がそんなものを散布している余裕はない。結局、アテナ艦隊は同盟軍に気付かれることなくかなりの距離まで接近することに成功したのだった。
「あら、あらあらあら。同盟軍さんは、背後がお留守になっているようね。目の前の敵と戦うことに夢中になってしまっているのかしら、うふふ」
旗艦の艦橋メイン・スクリーンに表示された望遠映像を見つつ、ソフィーは毒のしたたるような声で嘲笑した。そこでは、帝国側の駐留艦隊や地上部隊と激戦を繰り広げるクスノキ艦隊の姿があった。
「善哉ったら、こんな無防備な姿をさらして。駄目よ、こういう時に正面ばかりに気を取られては……しばらく軍務を離れていたせいで、鈍ってしまっているのかしら? これは要教育ねぇ……」
ひとしきり笑ってから、少しばかり不満げな声でそう続けるソフィー。彼女は、容易に手に入るものに大した価値はないと考える人間だった。得難いものこそ、本当に価値がある。そういう意味では、敵は強ければ強いほど良い。
「初めての実戦での手合わせが肩透かしなものに終わったら……許さないわよ? 善哉。全艦に通達! 突撃隊形に転換、
宙雷戦隊を両翼に配置し、前衛には装甲巡を! ストライカー隊の発艦も急ぎなさい!」
先ほどまでとは別人のような苛烈な声で、ソフィーは命令を下した。細長い縦隊を組んでいたアテナ艦隊は、迅速かつ正確に陣形を変えていく。矢じりを思わせる形の、典型的な突撃隊形だ。
「隊形変更、完了いたしました。いつでもご下命をどうぞ、お嬢様」
「よろしい。全艦、偽装を解除!」
ソフィーの命令のもと、アテナ艦隊は一斉にアクティブ・ステルスと光学迷彩を解除する。レーダー画面をみれば、なにも無かった宇宙に突然大艦隊が現れる魔法のような光景が表示されていることだろう。「突撃、前へ!」と続いた号令を受け、艦隊は群狼のように同盟軍へと襲い掛かった。





