第26話 常勝皇帝は怪しげな商人に仕事を任せるようです
「斗南要塞から大艦隊が出撃した? これはまた妙な手を打ってきたな……」
バルカン星系に築かれた帝国軍前進基地でその報告を耳にした正統ノレド帝国皇帝エルヴィーラ・ノース・アーガレインは、その形の良い眉を跳ね上げながらそう呟いた。皇帝は齢十七歳、ウェーブのかかった金糸のような長髪と、深い思慮をたたえた紫水晶の目を持つ美しい少女である。
十七歳という年齢は、百官にかしずかれ大艦隊を指先一つで動かす立場に就くにはいささか若すぎるようにも思われる。しかしエルヴィーラを前にしてそのような不埒な感想を思い浮かべることのできる人間は、銀河広しとはいえまず存在しないだろう。彼女の顔には常に生来の支配者らしい冷徹で酷薄な表情が浮かんでおり、その重々しい声には威圧感どころか重力すら感じられるほどの迫力がある。
「この遠征が欺瞞か真か、早急に確かめる必要がある。第三戦区司令部に、威力偵察を命じよ」
しばしの黙考の後、皇帝は最終的にそのような命令を発した。諜報部の活動により、斗南要塞を出撃した艦隊の中にはデコイ艦がそれなりに混ざっていることは判明している。しかし、その実数はまだ掴めていなかった。
この出撃が単なる陽動なのか、それとも本気なのか。皇帝としては、出来るだけ早くこれを確定させたいところだった。しかし、デコイ艦は腐っても欺瞞専用の特殊装備。遠距離からの観測では、そう簡単には正体を見破れない。威力偵察部隊を突入させ、近距離から調査を行うべし。それが皇帝の出した結論である。
「反乱軍め、さっさと諦めてしまえば良いものを。奴らの無駄な抵抗にはうんざりいたしますな」
皇帝の腹心の一人、アンハイザー軍務伯がそう吐き捨てた。皇帝艦隊の主力部隊、第一戦艦戦隊を率いる歴戦の司令官だ。
「窮鼠は猫をも噛む。ゆめゆめ油断せぬことだ」
感情の読めない表情で、皇帝エルヴィーラは冷然と応える。以前の戦いでは、帝国軍の方が包囲される側にあったことを彼女は忘れてはいなかった。ここで油断し無策に動けば、再び形勢が逆転してもおかしくはない。優勢とはいえ、手を抜く気などさらさらなかった。
「第三戦区司令官のヘルツォーク上級大将にも念押ししておくように。このような欺瞞作戦は、いままでの叛乱軍にはなかったパターンである。追い詰められて粗末な策にすがっているだけならば良いが、どこかから入れ知恵をうけている可能性もある。何が起きても対処できるよう準備しておくように」
「はっ……!」
皇帝がちらりと目を向けた先に居たのは、通信科の若い大佐だった。彼女は尊敬と緊張がないまぜになった目つきでエリヴィーラを見返し、はっきりとした声で返答する。皇帝はその並外れた実績により、帝国軍の将兵からは厚い信頼と尊敬を得ていた。この青年大佐などのように、皇帝を絶対者として崇拝している者も少なくはない。
「陛下」
しかし、そんな皇帝に心酔するものばかりの司令部において、その声は異質なまでに冷たかった。並み居る武官の目が、声の主の元へと集まる。
そこにいたのは、フランス人形を思わせる異様に整った容姿の美女であった。髪色は自ら輝いているように錯覚しそうなプラチナ・ブロンドで、一目で身支度に手間と時間と費用をかけていることがはっきりとわかる。いかにも金持ちの御令嬢という風情だが、身にまとう雰囲気はどこか陰気で湿度のあるものだ。内側から滲みだしてくる毒気のせいかもしれない。鋭いトゲを纏った大輪の薔薇、そういう印象の女である。
しかし何より異様なのは、彼女が地球人であることだ。しかも、着ている服も周囲の帝国軍人たちとはまるで別物だった。帝国軍の制服は黒金の豪奢なものだが、この美女はネイビー・ブルーで染め抜かれた全く別の軍服を身に着けていた。
「この艦隊の対処は、わが社にお任せください」
「ほう、それは有難い」
言葉とは裏腹に、一切の感謝の含まれていない声で皇帝はそう答えた。
「しかし、良いのか? 地球軍の中将殿が、このような遠国の戦争に勝手に加担して」
彼女の指摘する通り、女の着ている軍服は地球軍制式のものだ。善哉も、かつてはこれと同様の制服で身を包んでいたのである。
「問題はありません。我が第十三独立艦隊は、独自の外交権を有しておりますので。……せっかく、当社の製品を大量導入していただいたのです。優良な顧客には丁重なサービスを。それがわが社のモットーですので」
しかし、彼女の口ぶりは軍人というよりは民間企業のセールスマンに近かった。皇帝は一瞬不快げに眉をひそめたが、すぐに元の冷徹で無表情な仮面をかぶりなおす。
「アテナ・インダストリの姫君が直々にご親征か。なんとも有難い話だ」
彼女の名前は、ソフィー・ドゥ・フォンティーヌ。地球の有力軍需産業アテナ・インダストリCEOの一人娘であり、地球軍の特務部隊第十三独立艦隊を率いる指揮官でもあった。
この奇妙な艦隊は、いちおう書類の上では地球軍の所属となっている。しかし配備されている兵器はアテナ・インダストリ製のものばかりだったし、人員に関しても幹部級はもちろん末端の兵士までもがアテナの社員で構成されている。おまけに独自の外交権まで付与されているとあれば、子供であってもこの部隊の異常性に気付くだろう。第十三独立艦隊は、アテナ・インダストリの私兵集団なのだ。
そんな連中がなぜ皇帝の元を訪れているかと言えば、帝国軍がアテナと大口契約を結んだからだった。取引の規模は尋常ではなく、ストライカーだけでも一〇〇〇機以上が納入される予定となっている。さしものアテナ社もこれほどの大きな取引はめったにあるのもではなく、納入の第一陣には第十三独立艦隊が護衛についたという次第である。
もっとも、アテナCEOの娘を指揮官に頂く部隊を寄越してきたあたり、その目的は護衛だけではないだろうと皇帝は予測していた。おそらく、トップセールスを意識しているのだろう。この“サービス”もその一環だと思えば、つじつまも会う。
「良かろう。では、この一件は貴殿に任せる。よろしく頼んだぞ」
「はっ、有難き幸せ」
ソフィーは恭しい態度で一礼したが、それは形ばかりのもの。彼女の中には皇帝への敬意など一片たりとも存在しないことを、当然エルヴィーラは見抜いていた。
「それでは、さっそく艦隊の出撃準備に取り掛からせていただきます」
にこりと笑い、側近を引き連れて司令部を出ていくソフィー。その背中を見送ってから、エルヴィーラは深いため息をついた。あの女狐はまったくもって信用できないが、そんな相手にも頼らねばならないのが帝国軍の現状だ。今は優勢を取っているとはいえ、一時は帝都失陥の寸前まで押し込まれていたのである。戦力に余裕などあろうはずがない。
「良いのですか? 陛下……」
アンハイザー軍務伯が、心配そうな目つきで皇帝を見る。彼女の心配ももっともだったが、エルヴィーラはただ首を左右に振るばかりだった。
「あのような輩も使いこなして見せるのが真の器量と言うものよ。……なに、気にすることはない。奴は下劣な守銭奴だが、だからこそ諸君ら忠臣とは違って心置きなく使い潰すことができる。せいぜい、払った金子のぶんは働いてもらおうではないか……」





