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第25話 クスノキ艦隊はいよいよ出撃するようです

 銀河標準歴一七五年、十二月七日。この日、いよいよノルトライン要塞攻略作戦、正式名称“ザジタリウス作戦”が発令されることとなった。この時点ですでに、善哉らが斗南要塞に到着してから一か月以上もの時間が経過している。作戦準備にいささか時間をかけすぎているようにも思えるが、困窮した同盟軍の現状を思えば致し方のない話であった。もっとも、リソースの回復に努めていたのは同盟軍だけではない。帝国軍もまた余裕を取り戻しつつあり、皇帝艦隊は再び活発な活動を始めつつある。

 皇帝艦隊に再度の攻勢を許せば、もはや同盟に未来はない。帝国軍の動きを察知したアケカは、予定を繰り上げて艦隊の出撃を命じた。常冬の衛星斗南-d-一の凍り付いた大地から、黒鉄色に塗装された大小さまざまな軍艦が飛び立っていく。


「いよいよ、始まるわね……」


 斗南要塞司令部のメイン・スクリーンに映し出されるその光景を見ながら、リコリスは緊張の滲む声でそう呟いた。ノルトライン要塞の攻略を担当するのは、アケカ率いるクスノキ艦隊だ。リコリスの統括しているヴァンベルク艦隊は、斗南要塞で留守番である。

 しかし、留守番といってもその責任は重大だった。彼女の役割は文字通り留守を守る事であり、そして恐ろしい事に皇帝艦隊は再び蠢動を始めつつあるのだ。もし皇帝が再度の攻勢を発令すれば、ヴァンベルク艦隊単体でこれに対処せねばならない。同盟艦隊が総力を結集しても勝てなかった、あの皇帝艦隊が相手なのである。極めて厳しい戦いになることは目に見えていた。

 さしものリコリスも、この重圧に耐えるのは容易ではない。いっそ、遠征に行くアケカと善哉が羨ましいとすら感じさえした。しかし、それを口に出すことは彼女の貴顕としての矜持が許さない。彼女は腕組みをし、メイン・スクリーンを一新に見つめた。


「英雄の壮行、と言ってあげたいところだけれどね」


 宇宙港のメイン・ゲートから次々と飛び立っていく同盟艦は、数こそ多いものそれほど見栄えの良いものではなかった。損傷を突貫で修理した痕の目立つ艦が多く、さらには損傷艦がそのまま出撃している例すらあった。はっきり言って、これから遠征に向かう軍隊にはとても見えない。むしろ、戦場から返ってきた敗残兵の一団という表現のほうがよほど似合う良いな有様だった。


「いささか、不安を覚えずにはおれませんな」


 リコリスの後ろに控えた副官が、苦み走った声で呟いた。四十代手前という軍人としてはもっとも油の乗った時期にある彼女は、ヴァンベルク艦隊の主席参謀も務める秀才だった。立場の上では、善哉と同格といっても差し支えのない相手である。


「最後の戦いになるかもしれないいくさで、これはちょっとね」


 副官に同調するリコリスの視線の先には、今まさに衛星斗南-b-一の重力を振り切らんとロケットを焚きはじめた奇妙な艦艇の姿があった。その姿を見た者は大半が笑うか困惑するであろうこと間違いなしの、珍妙な船である。大きさこそなかなかに立派だが、その外観は幼児が想像で描いた宇宙戦艦のラクガキのようにしか見えない。

 この船の正体は、デコイ艦だ。船体の大半は特殊なバルーンで構成されており、その他には最低限の機関部とコントロール・ユニット、そして敵の索敵装置を誤魔化すための欺瞞装置しか搭載されていない。いわば船の形をしたハリボテなのだが、こんな物でも意外と役に立つ。なにしろセンサーで遠距離からこの船を走査すると、本物の戦艦らしき反応が返ってくるような仕掛けが施されているのだ。これこそが、善哉の立てた作戦の切り札だった。

 クスノキ艦隊には、このデコイ艦が五隻同行している。これにより、斗南要塞は見せかけ上ほぼすべての戦艦戦力を出撃させたことになる。これをもって、敵の目を誤魔化してやろうというのが善哉の策なのだ。

 とはいえもちろん、善哉もこの“斗南要塞全軍出撃”の報を敵がまるっきり信じてしまうとは思っていない。デコイ艦事態はありふれた存在なのだから、相手は間違いなく擬装出撃を疑うはずだ。いかにも罠らしき行動によって敵を疑心暗鬼に陥れ、皇帝軍の行動を掣肘する。それが善哉の狙いなのだ。


「貴族のお歴々が渋い顔をするはずです。高貴なる者の戦いではありません」


「ま、実際高貴じゃないんだから、仕方がないわけだけど」


 善哉の顔を思い出しながら、リコリスはくすりと笑った。地球ではとうに血筋による身分制が撤廃されていることを彼女も知っていたし、そうでなくともあれほど蓮っ葉で野卑で口の悪い男はヴルド人社会にはそういない。そこらのスラム街に住んでいるような男だって、彼と比べればまだ大人しいだろう。


「ま、所作やらなにやらはあとから教育すればいい話。今はせいぜい、暴れさせておけばいいわ」


「彼がすっかりお気に入りですね、御屋形様」


 自分みずから教育してやる。言外にそう主張している言い方のリコリスに、副官は思わず苦笑した。


「そりゃあね。アケカってば、どうみてもゼンザイ(あの子)に興味津々なんだもの。そんなのを見たら、横からかっさらってやりたくなるじゃない」


 リコリスはアケカに強いライバル意識を抱いていた。だからこそ、彼女の持っているものが欲しくなる。たとえばそれは同盟盟主の座であり、男でもあった。


「それにあの男、むさい格好はしているけれど顔の造形は悪くないからね。可愛い格好をさせたら、きっと化けるわよ。その上、こんな無茶な作戦を成功させるだけの智謀があるのなら……」


 ニヤリと笑い、リコリスは自らの唇を舐めた。肉食獣の表情だ。


「わたくし様の人生の半分くらい、くれてやっても構わないわ」


「さようで」


 苦笑の色を深める副官を見て、リコリスはふふんとほほ笑んだ。そして閉じたままの扇子を手のひらに軽く叩きつけ、表情を引き締める。


「ま、でも、何はともあれこの戦いに勝利してからの話ね。なにしろ、これで敗れれば何もかも終わりなわけだし」


 クスノキ艦隊がノルトライン要塞に敗れれば、同盟の命運は完全に断たれる。アケカは良くて戦死、悪くて斬首といったところか。むろん、副盟主であるリコリスも同様の運命をたどることは間違いない。

 もっとも、ヴァンベルク艦隊が破れても結果は同じだ。いくらノルトライン要塞の突破に成功したところで、後詰のヴァンベルク艦隊が壊滅すれば攻勢は中折れせざるを得なくなる。そうなれば、もはや同盟軍に新たな攻勢を行う余力など残されないだろう。遅かれ早かれ、降伏は避けられない。両艦隊が勝利しない限り、同盟に先はないのである。


「こっちもせいぜい頑張るから、アケカもゼンザイも負けるんじゃないわよ……」


 まったく、なんてシビアな作戦なんだろうか。リコリスは内心そうボヤいた。しかし、他に勝機が見いだせない以上は善哉の案に乗るしかない。無茶ぶりされたぶんは、せいぜい寝床で取り返してやろう。そんなことを思いながら、リコリスは密かにほくそ笑む。あの跳ね返り男がベッドで乱れる様を想像するのは、なかなかに刺激的だった。


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