私が自由になるための
お金より時間が欲しい、という人がいる。
その言葉を聞くたびに、少しだけ首を傾げてしまう。
時間が欲しいのなら、お金を手に入れればいい。
そう思ってしまう自分は、たぶん優しくない。
お金があれば、やらなくていいことが増える。
行かなくていい場所、会わなくていい人、我慢しなくていい選択。
それらを一つずつ消していった先に、自然と空白の時間が生まれる。
それを人は自由と呼ぶのではないか、と考える。
僕たちは生活のために働いている、という顔をするけれど、
正直なところ、その生活は生き延びるためだけのものではない。
好きな音楽を聴くためで、
美味しいものを食べるためで、
何も考えずに夜更かしするためで、
意味もなく散歩するためのものだ。
それら全部のために、毎週五日を差し出す。
朝起きて、電車に揺られて、画面を見つめて、
帰ってきた頃には、もう何かを始める気力は残っていない。
残った時間は、回復のための時間でしかない。
時間が欲しい、と言う人の多くは、
実際には時間の使い方を失っているように見える。
空白が怖いのだと思う。
何もしなくていい状態に、耐えられない。
もし一生分のお金が、ある日突然手に入ったら。
働く理由が消えて、
平日の朝も、月曜日も、締切も、上司も、全部消えたら。
そのとき初めて、人は本当に時間と向き合うことになる。
何をしてもいい時間。
何もしなくてもいい時間。
それは自由であると同時に、残酷だ。
時間が欲しいと言いながら、
その時間に何をするかを、誰も教えてくれない。
だからみんな、お金より時間が欲しいと言いつつ、
今日も時間を売って生きている。
僕は思う。
お金は、時間を買うための道具だ。
そして時間は、何者にもならずにいられる、唯一の贅沢だ。
どちらが欲しいか、という問いは、たぶん間違っている。
本当はただ、
自分の人生を、他人の都合で切り刻まれたくないだけなのだ。
それを口にすると、少しだけ怖いから、
人は代わりに、時間が欲しい、と言う。




