第32話 絶望的な差
すみません帰るのが遅れて、投稿も遅くなってしまいました。
槍を持つ俺とは違い、悠然とこちらに近づいてくるイレギュラーは無手だ。
だが自信あふれるその悠然とした足取りは、自らの勝利をわずかも疑っていないことを俺に示していた。
「なめやがって」
適当に槍を構える俺を見たイレギュラーは口角を上げ、その鋭い犬歯を見せながらどう猛に笑った。
不格好な俺の姿を見て、俺が戦いのド素人であることを察したのだろう。
俺だってそれはわかっている。この槍とあいつが着ている鎧は、他のゴブリンたちの身に着けているものと一線を画している。
つまり本来の持ち主とあいつは戦い、その戦利品としてあいつが奪ったのだろう。
もちろんその持ち主は、俺なんかよりも槍の扱いに長けていたはずだ。俺なんかと比べるべくないほどにな。だが……
「先手必勝、ってな」
後ろ向きの思考をかき消し、自分の背中を押すためにあえて小さく呟いた俺は、槍を持ったまま全力で駆けだす。
そしてその力の限りにイレギュラーに向けて槍を横なぎに振った。
俺の動きを全く予期していなかったのか、ぎょっと目を見開いたイレギュラーは後ろへ飛び避けようとする。
「逃がすかよ」
頭を突っ込ませるようにして上半身を倒し、そのまま俺は槍を振りぬいた。
槍の先端についた緑の液体が、遠心力により宙を舞っていく。
「ガアアアアアー!!」
「くそ、腕を捨てやがった」
俺の槍は体を倒し、その攻撃範囲を伸ばしたおかげもあって、逃げたイレギュラーの体を捉えていた。
そのままいけば胴体を真っ二つにできたはずだったが、目の前にいるイレギュラーはその左の手から肘辺りまで半ばちぎれかけそうになりながらも、致命傷には至っていない。
俺は顔を下げていたため予想するしかないが、間に合わないと判断したイレギュラーは自らの左手を犠牲にして槍の速度を落とし、それによって生じたわずかな間にさらに後方へとさがり、致命傷を避けたのだろう。
くそっ、最初の油断しているときが勝ち目だと思ったんだが、これが避けられるか。2日シミュレートして考え付いた最善策の上を行くなよ。
「ただ勝ち目が消えたわけじゃない、っと」
視線の端に感じた違和感に体を反らすと、俺の眼前を矢が通り過ぎていった。ちらりと視線を向けるとゴブリンアーチャーのうち1体が悔し気にしながら次の矢をつがえている。
それ以外のアーチャーやソルジャーたちも俺を包囲するように動き始めていた。
「そりゃそうだよな。大将がやられちゃ意味がねえし」
予想はしていた。もし俺が最初の一撃でイレギュラーを仕留められなかった場合、ここにいるすべてのゴブリンたちが襲ってくるだろうと。
決闘でもあるまいし、わざわざ1対1で戦わせてくれる義理はないのだ。だからこそ仕留めきりたかったんだが、俺はそれに失敗した。
イレギュラーが怪我していることを差し引いても、数的な不利はいかんともしがたい。今回はたまたま気づいたからよかったが、イレギュラーと戦っている最中に矢を射られたら俺が避けられるはずがない。
先にイレギュラー以外のゴブリンたちを減らすっていう手もあるが、それをイレギュラーが許してくれるとも……そんなことを考えている俺の目の前で、ゴブリンソルジャーがぐしゃりと音を立てて潰れる。
「はっ?」
意味がわからず驚く俺をよそに、それを成したイレギュラーはゴブリンソルジャーを潰した拳でなにかを探ると、緑の血がしたたりおちる手を自分の口へ運ぶ。
がりっ、ごりっ、と硬いなにかをかみ砕く音を響かせながら、イレギュラーは次々とソルジャーやアーチャーを叩き潰していった。
ソルジャー2体を残して味方を潰し、そしてなにかを食べきったイレギュラーがその両拳を打ち合わせる。そう、怪我をしてもはや使い物にならなかったはずの左手を使って。
「おいおいおい、マジでバケモンだろ」
ぼたぼたとその両手から自分のものではない緑の血をしたたり落としながら、イレギュラーが俺に向かって歩を進める。
そこに最初のときのような余裕はない。そのギラギラとした闘争心あふれる瞳は、ただ俺のことを倒す以外の意思を感じさせないほど力強いものだった。
イレギュラーの瞳が揺れる。
そう俺が感じた瞬間、イレギュラーは俺に向かって全力で駆けていた。その動きを俺は目で追うことはできた。だが体はそこまでとっさにいうことを聞いてくれない。
両腕を体の前で構える、まるでボクサーのように見えなくもない体勢で近づくイレギュラーに、俺はなんとか槍を突き出して突進を止めようと試みる。
だがイレギュラーは俺の突きをひらりと避けて見せると、その勢いのまま俺の顔面にその巨大な右拳を突き入れた。
一瞬の浮遊感の後、ごろごろと地面に全身が打ち付けられる。顔に感じるわけのわからない刺激に頭の大半を割かれながらも、俺は追撃を避けるためになんとか立ち上がった。
イレギュラーは俺を殴った場所から動いていなかった。
ただその場でじっと俺を見つめ、ふらつく俺を見ながら笑みを浮かべる。まるで、どうだ痛いだろう。これでお相子だ、とでもいわんばかりに。
「ああ、そうか。これが痛みか」
顔面に感じる刺激が痛みだと実感した俺は、そんな場違いな言葉をぽつりと呟く。
ゴブリンに殴られても、崖の上からダイブしても、衝撃はあったものの正直に言えば痛みを感じたことはなかった。
いや、あれが痛みだと俺は思っていた。その方が正しいだろう。
「これは怖いな」
もう二度と痛みを感じるのはごめんだ、と思わせるほどにその衝撃は大きい。この痛みの先に待っているのが死だとするのであれば、全力で逃げだしたいと思ってしまうほどだ。
あのイレギュラーの拳が痛いことを俺は知った。そしてそれを成したイレギュラーに対する恐怖心で体が震えそうになる。
あんなバケモノと戦うのは嫌だと、湧き上がった感情が俺を押そうとする。
「でも、それでも」
俺は槍を構える。イレギュラーの後ろには救うべき人が、非常事態に陥っている女たちがいる。
それだけで俺は戦える。たとえどれだけ勝ち目がなかったとしても。
「こい!」
「グガァ!」
威勢よくそう言い切ったはいいが、結果はひどいものだ。
俺の槍は全くイレギュラーにかする様子すらなく、逆にイレギュラーの拳は的確に俺を捉えている。
顔面、首、胴体、腕、足。
全身をくまなく撃たれ、そのたびに俺は地面を転がることになった。最初は痛いと感じていた顔も、もはや全身そうなっているせいで逆になにも感じない。
俺とイレギュラーの間には圧倒的な差がある。それをまざまざと俺は認識させられていた。
「くっそ」
「ピクト、もう戻れ!」
「戻って、お願い!」
また顔面を殴られ吹き飛ばされた先は、ちょうと俺が最初にいた位置、女風呂の入り口の手前だった。
危険を冒し、ミアとソフィアが俺を引き戻そうと見えない壁の外に出てくる。ソフィアの顔は涙でぐしゃぐしゃになっており、ミアも強く唇を嚙みしめたのかそこから赤い血を流していた。
2人に両腕をとられ体を起こした俺の視線の先で、イレギュラーはじっと俺を見つめている。
助けようとする2人に敵意を向けるでもなく、じっと俺を見つめるその目が言わんとすることが俺にはわかっていた。
「悪い。もう少しやらせてくれ」
「でも、このままじゃピクトが死んじゃう」
「死かぁ。それは新しい体験だが、ちょっと遠慮したいな。まだまだ俺もやりたいことがあるんでね」
まるで子供のようになきじゃくるソフィアに軽口で答えながら立ち上がろうとしたが、うまくいかずに体がふらつきソフィアにぶつかる。
とっさにミアが支えてくれたから倒れなかったが、これはマジで結構やばいかもしれない。
「ピクト、お前はよくやった。引くこともまた勇気だ」
「ミア、ピクトグラムには引けない時ってのがあるんだ。あとソフィア、悪かった……んっ?」
俺にぶつかられ尻もちをついたソフィアに謝ろうとした俺の目に、拳大のエメラルドのように澄んだ緑色をした球体が映る。
それはソフィアに預けていたキングボアの魔石。たぶん尻もちをついた拍子に、どこかに入れていたものが零れ落ちたんだろう。
普通であればそれだけで終わったはずなのだが、なぜかその魔石は俺の目を引きつけて離さなかった。まるで自分を使えと語りかけてくるように。
「ははっ、馬鹿らしい。魔石が話すはずなんてない。でも……」
俺はイレギュラーを見つめる。
今の俺では絶対に届かない位置にいる実力者。人々にとって脅威となる、俺にとっての宿敵。
「そんな奇跡に頼ってでも、俺はお前を倒さなくちゃならない!」
そう叫びながら、俺はキングボアの魔石に、思いっきり自分の拳を振り下ろしたのだった。
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