第16話 真っ向勝負
俺の呟きが聞こえていたのか、2人に向けられていたイノシシの視線がギロリとこちらを向く。
そしてその鋭い角先をまっすぐ俺に向けると、イノシシは迷うことなく突進を始めた。
「なんか引き付けるフェロモンでも出てんのか? 全く嬉しくねぇんだが」
大地を蹴り上げこちらに直進してくるイノシシを眺めながら、ため息を吐く。
これまで狙っていた、しかもあからさまに弱っている2人からあっさりと目標を変え、俺に向かってくる。
俺の体からなにかのフェロモンでも出ているか、もしくは牛に対する闘牛士の赤い布のような視覚的な誘因効果が俺の体にあるのか。
「うーん、これも研究しがいがありそうだな」
イノシシが迫る中、緊張感のないセリフを呟きながらそんなことをのんきに考えることができている。
それは前に俺を追ってきていた、まぶたから額にかけて傷のあるイノシシに比べて、こいつが格段に遅いからだ。
「落下したときに足でも痛めたんだろうな」
乱れた足音とその動きからして、あいつは右後ろ足をかばっている。
それでも原付バイクかと思うくらいのスピードで走ってくるんだからすごいっちゃあすごいんだが、もっと上を知っている身としてはこの程度を避けるのは余裕だ。
目の前に迫ったイノシシの突進を俺は横に飛んで避け、横目でその姿を観察する。
前のイノシシより一回り小さいそいつは俺がいた場所をそのまま通り過ぎ、なんか俺の背後にこっそり回り込もうとしていたらしい原住民たちをあっさりと跳ね飛ばした。
緑の肌をした原住民たちは、信じられないと目を見開いたまま盛大に吹き飛び、周辺の木にぶつかってべちゃりと潰れる。
「あー、あいつらが後ろにいたなんて俺は知らなかったし。不可抗力だよな」
なんとなく気まずさを感じながら女性陣に問いかけてみるが、その反応は芳しくない。
相変わらず俺のほうを警戒するように見てくるし。なんなら青髪のほうは剣をこっちにむけたままだし。
そういや助けに来たことを伝えてなかったっけ? いや、俺の行動を見ていれば助けようとしているのがわかるよな。
んっ、いやまてよ。考えてみると、勝手に俺が現れて標的が移ってラッキー程度に思われている可能性もあるのか。
これじゃ恩に着てもらう作戦失敗じゃねえか。
「俺はあんたらを助けに来ただけだ。安心してくれ」
「「……」」
ち、沈黙が重い。
警戒心を解くどころか、何言ってんだこいつと言わんばかりの疑惑の視線は俺の胸に深く突き刺さる。
なにかしら話してくれれば説得の余地もあるのに、その機会さえ与えられないとは。
そっちだって俺が出てきて助かったのは事実なんだから、少しは俺に優しくしてくれてもいいだろ!
「っと、危ね」
そんな余計なことに気をそらしていた俺をイノシシは愚直に狙ってくる。
それを横っ飛びして紙一重でかわした俺は、ごろごろと地面を転がりながら今一度気を引き締めなおした。
前より遅いとはいえ、ぶつかったらかなりの衝撃なのは原住民たちの悲惨な姿を見てわかっている。イノシシは決して油断していい相手じゃないのだ。
「さてと、どうするかね」
執拗に俺を狙ってくるこいつがいる限り、女性2人とまともに会話することは不可能だ。
それに青髪の女性のほうの怪我も気になる。角で腹を突かれたのか、腹部周辺の装備は広範囲に渡って血で染まってしまっている。
ふらふらしているし、このままだと出血死する可能性もありそうだ。
「時間の余裕はあんまりない。となると、俺ができることは1つしかないよな」
一直線上を走って止まり、のそのそと方向を変えているイノシシを見つめながらニヤリとほほ笑む。
そして俺は腰につけたお手製のバッグから1枚のカードを取り出し、バックステップしてイノシシから距離をとった。
さっきの走りであいつがだいたいどの程度で最大速度になるのかはわかっている。やるならあいつが最もスピードに乗ったとき。そして……
「さあ、来い!」
俺を睨みつけ、地面を蹴りつけるイノシシに向け、右手をくいくいっと曲げて挑発する。
それが効いたのかわからないが、イノシシは再び俺に向かって加速を始めた。猛る足音が、その息づかいが、圧倒的なまでの迫力を伴いながら近づいてくる。
まだだ。まだまだ遠い。まだまだ遅い。
「はぁ、遅すぎて眠くなっちまうな。本気を出せよ、クソイノシシ!」
その挑発に意味があるのかないのかはわからない。
でも近づいてくるタイミングとともに逸っていく俺の気持ちが、そんな言葉を自然と口から放っていた。
イノシシは加速を続ける。その足の痛みをもろともせず、ただ俺だけを狙って、愚直に真っすぐに。俺をひき潰すという結果を成すために。
小細工などせずに真っ向勝負。そのすがすがしいまでの潔さは、ある意味で尊敬に値する。
だから俺も覚悟を決めよう。
仁王立ちしながらカードを右手に持ち、深く息を吐く。
イノシシとの距離は残り30メートル、20、15、今だ!
「非常口!」
俺の声に反応したカードが光を放ち、地面に魔法陣が描かれていく。
カードが光ってから魔法陣が完成し、扉が現れるまでおよそ1秒。イノシシの速度から考えて、最高のタイミングで言えたはずだ。
完成に近づく魔法陣の向こう側で、イノシシの視線がちらりとそちらに向くのが見えた。しかしイノシシは進路を変える選択肢は取らず、その頭をわずかに低くし俺に牙を差し向ける。
彼我の距離は3メートルもない。最高速にのったイノシシならコンマ数秒の距離だ。
「だが遅い」
既に魔法陣は完成し、一際眩い光を放っている。これならイノシシが俺にたどり着くより扉が現れるほうが早い。
そして扉が現れればイノシシがどうなるかは前回で証明されている。つまり……
「俺の、なっ!?」
勝利宣言をしようとした俺の目の前で、イノシシは地面を強く蹴りつけると同時に下げていた頭をひねりながら跳ね上げる。
イノシシの右の牙が俺の予想を超える速度で目の前に迫り、そして現れた扉によって根元から切断された。
切られたことで別方向の力が加わったのか、回転しながら飛んだその牙は見事に俺の胴にぶち当たる。
油断してその衝撃を受け止めきれなかった俺は、吹き飛ばされごろごろと地面を転がることになった。
ぐるぐると回る視界と、腹に衝撃を受けたせいで気持ち悪さを感じながら、俺は仰向けに倒れて止まった。
「あー、油断した。もっと安パイを狙うべきだったか」
イノシシによって周辺の木々が倒されているためよく見える青空を眺めながらため息を吐く。
結構転がったわりに、そこまで痛みはひどくない。
「牙の先端が当たってたらやばかったかもな。よっと」
さすさすと自分の細いお腹をさすり外傷がないことを確かめると、勢いをつけて起き上がる。
俺の隣には先ほどまでイノシシに生えていたと思われる牙が転がっており、その根元はまるで静かな湖面であるかのように波一つないまっすぐな断面をしていた。
「怖っ!」
その驚くべき様子に思わず声が出る。
いや、これってあれだろ。扉が現れたときにその場にあったものは問答無用に切断されるってことだろ。
イノシシの牙は直径30センチを超える極太のものだ。木なんかをなぎ倒していたわけだし、その頑丈さは言わずもがなだろう。
そんな牙をすっぱりと切断する扉ってなんだよ。
もし俺が初めて魔法陣が現れたときに不思議がって、上から覗き込んでいたりしたら……
「やめとこ」
牙と同じように地面を転がる自分の首をちらりと想像した俺は、己の幸運に感謝しながらそれ以上考えるのをやめた。
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