第1章 第6話 弱点
「気に入らない人がいたら仲間を作って集団でいじめる。そんな人に上に立つ資格も器もない。そう思わない? 百瀬さん」
「っ……!」
正論は甘えだ。理不尽な世界についていけなかった人たちが、自分は間違っていないと負け惜しむための藁。しかしそれは弱者の場合だ。
強者が語る正論は、何よりも正しい正義になる。悪いことはしてはいけない。正しい強者にそう突き付けられれば、弱者が付け入る隙はない。
「千堂の言う通りだな」
牽制は済んだ。後は二度と千堂に手が出せないよう、俺がとどめを刺すだけ。ずっと廊下で成り行きを見守っていた俺が教室に入る。その瞬間顔がぱぁっと明るくなった。
「誰かと思ったら、ニートくんじゃん」
千堂ではない。百井の顔が。
「上級生から聞いたよ、あんたの噂。万陽火だっけ? 去年までいた誰からも愛される人気者のヒーロー。それについて回ってただけの金魚の糞。それがあんたでしょ? 射丹務新斗。大好きな先輩が退学になるって時に、何もしないで家に引きこもってた弱虫のニートくん」
……やられた。こいつも用意していやがった。俺を潰す手を。
「あんたの言ってることは間違ってるよ、千堂。仲間を作ることは悪いことじゃない。人間が一人でできることなんて限られてるんだからさ。万陽火はある事件で学校を怒らせて退学になった。そんな時仲間がいたら退学なんかならずに済んだんじゃないかな。ま、ニートくんみたいな役立たずな奴はいらないんだけどさ!」
別に今さらそんなことを言われたくらいで動揺はない。二年生以上はみんな言っていることだ。俺はヒーローをみすみす退学させてしまった、何の役にも立たないニートだって。そんなことはわかっている。俺自身が一番。
「そんなニートくんが、顔だけの女にコロッと騙されたってわけか。はは、情けないねー。学校みたいな組織には何にもできないけど、一年には強気なんだもん。言っとくけどあんたが何を喚こうが負け犬の遠吠えにしか聞こえないから。そんな奴に助けを求めたイキり女もね」
「論点をずらすなよ。今は俺の話なんてしてないだろ」
それにしても馬鹿な奴だ。そんな誰でも知ってるようなことで優位に立った気でいるなんて。煽るんならもっと……。
「そうだね。話してるのは万陽火が無能だってことだもん」
「……は?」
一瞬頭が、真っ白になった。
「だってそうでしょ? こーんな無能しか育てられないんだもん。しかも最期にはその後輩にすら見捨てられて……。さっきの言葉は訂正するよ。一番情けないのはあんたの先輩だね」
「お前に何がわかるんだよ……先輩のことを何も知らないお前が!」
落ち着け……熱くなるな。こんな見え透いた挑発に乗る必要はない。百瀬は笑みを深めている。先輩の話が俺の弱点だってことに気づいている。せっかく千堂ががんばっていい空気を作ったんだぞ……俺が台無しにしてどうする……!
「知らなくてもわかるよ、あんたを見ればね。こんなろくでもない後輩しか育てられない無能な先輩。何か間違ってる?」
「お前……喧嘩売ってるってわかってるよな……!? どうなっても後悔すんなよ……!」
落ち着け落ち着け……! これは今切るべきカードじゃない……冷静にならなきゃいけないってわかってるのに……口が止まってくれない……!
「そんなに睨まないでよ、どうせたいしたことできないんだから。あんたの先輩と同じで」
「……いいよわかった。お前ら中学では……っ」
叫ぼうとした瞬間、喉元が押さえつけられるのと同時に身体が下がっていく。胸倉を掴まれて押されたんだ。あの時の仕返しのように、千堂によって。
「……先輩、なに言おうとしました……?」
俺を壁際に寄せた千堂がか細い声で訊ねてくる。近くにいた生徒たちはこの喧嘩に巻き込まれないように避難している。
「あいつらの過去を調べた……取り巻きの大半、中学時代はカーストトップなんかほど遠い地味な奴らだったんだよ。百井に至っては……」
「それがどうしたんですか?」
「ああいう見下すことでしか自分の価値を見出せない奴らにはこの事実は不都合なんだよ……絶対にばらしてほしくない秘密なはずだ。できたてのクラスだ……これが公表すればカーストはめちゃくちゃになる。何とかして上の立場に留まろうとする奴らはお前に群がってくるはず。そうなればお前はこのクラスの頂点だ」
「それは正しくありません。私はそんなやり方望んでいません」
「いつまでそんな甘いことを……元々これは伝える予定だったんだ。こんな大っぴらにするつもりはなかったけどな。牽制だけじゃ人は動かない。脅迫して初めて……」
「先輩!」
間近で叫ばれて、ようやく気づいた。俺の胸倉を掴む千堂の手が震えていることに。それでも望みを告げる千堂の顔は本気そのものだということに。
「難しいことは百も承知です。それでもやりたいです。みんなが幸せになれる方法で」
「……それは無理だ。脅迫は絶対条件……少なくとも俺のやり方だと」
「……でもあなたの先輩は。みんなを幸せにできたんですよね? 先輩はそれをずっと見てたんですよね? その人みたいになりたいって言ってましたよね? 私、先輩の長話ずっと聞いてましたから」
「……聞いてたならわかるだろ。俺には詭弁と脅迫しかできない。先輩になんてなれな……」
「やれって言ってるんですよ!」
百井たちに見せるためだろうか、俺に告げるためだろうか、おそらく両方が目的で千堂が声を上げる。表情は依然変わらない。
「私は本気です。先輩も本気を出してください。私を助けなさい」
「俺は……でも……」
「ああ、先輩はこういうのが好きな人でしたね」
俺の記憶よりもはるかにかわいくなった千堂の顔が近づいてくる。そして俺の顔の横を通ると、耳元で嘲るように囁いた。
「そんなこともできないんですかぁ? これじゃあ本当に、ただの無能ですよ?」
それは俺がMだという間違った知識からきた煽りであり、後輩からのエールであり、先輩として後輩を助けなければならないという決意へと変わった。




