第3章 第3話 マウント
〇雪華
正直舐めていました。
私が嫌いだから協力しないと言われたところから始まった、惚れさせる計画。本気でやらないと先輩はすぐに見抜く。少しでも手を抜けばあっという間に興味を失う。そして本気が感じられない人間はクラスメイトですら名前すら覚えない。
狂気染みた強迫性です。でもそのおかげで私はずっと本気でいられました。体育祭を経て学校中から信頼を得て、金沢さんのような知らない人からも頼られるような人間になることができました。そして先輩からも正直。好かれていると、そう驕っていたのは事実です。
でも甘かった。先輩は人への感情ですら本気以外存在しない。本気で好きな人のコスプレ姿を目にしたら、鼻血吹いて気絶してしまうくらい興奮してしまう。
どうしたら。一体どうしたら、私は万さんに勝てるのでしょうか。わからない。悔しい。腹が立つ。暗い感情が心を満たしていきます。
「万さん、どうしてここに?」
「んー、バイト」
百井さんの言葉にどこか含みのある返答をする万さん。かと思いきや素早く先輩の顔に手を触れると指についた鼻血を私たちの服につけてきました。
「てんちょー、ボクたち鼻血が服に付いちゃったんで着替えてきますねー」
そして私たちを更衣室に連れていき、自分のロッカーから名刺を二枚取り出してきました。
「ボク今何でも屋やってるんだよ。内容は伏せるけどここにいるのもその一環。いわゆる潜入捜査ってやつだね」
名刺には『万屋万』というわかりやすいのかわかりにくいのか微妙な社名が書かれていました。
「ところでそっちは? なんでこんなところでバイトしてるわけ?」
「ここの店長さんのセクハラがひどいようでその解決のためにです。万さんも協力してくれますか?」
「なにそれつまんなそう。絶対にやだ」
仕事をしているのだからまず価格交渉から来ると思っていましたが、返事はいつもの楽しいか楽しくないかだけの判断でした。プロ意識の欠片もありません。先輩はどうしてこんな人がいいのでしょうか。
「でもとりあえず、なるべく早めに辞めた方がいいよ。ここのバック、だいぶやばいことしてるから」
「それは……犯罪組織ということですか……?」
「いや、犯罪をするための組織ってわけじゃない。利益のためなら犯罪でも日常的にする組織……リテラシーがないって言い方が正しいかな」
「まぁセクハラが横行しているわけですからね……」
だったら尚更放置しておくわけにはいきません。でも金沢さんの依頼を引き受けたわけでもないんですよね……先輩が納得してくれれば動けるのですが。正直今の金沢さんの態度を見る限りとても先輩が気に入るようには思えません。
以前香苗さんが言っていたように、先輩は基本的に助けを求められたら助けるベースで動いているように思います。私には隠していますが摩耶さんを使ってこのメイド喫茶の情報を探っているようですし。ですが私の時のように、本気を見せなければ解決に動いてはくれません。やはり助けるには金沢さん自身の助けられる準備が足りていないのです。
「……千堂ちゃんには前話したと思うけど。百井ちゃんだっけ? 君はどこまで聞いてるのかな、ボクが退学になった理由」
金沢さんのことを考えていると、万さんは少し悩みながらもあの話題を口にしました。
「……別に。何か悪いことして退学になったんじゃないの?」
問われた百井さんも何か考えている様子で返答します。万さんが言わなければ何も知らないでしょう。まさか先輩が自分の過去をペラペラ話すわけがないでしょうし。ましてや私に何も言わず百井さんにだけってことは、ありません。
「ボクが退学になったのは新斗を庇ったからなんだ。新斗のご両親は殺されててね、その犯人が君たちの同級生。それが入学するってことで新斗が邪魔になったんだよ。それが誰かってのは言わないけどね。こればかりはたぶん、新斗は本当に信頼できる人にしか聞かれたくないだろうから」
「ふーーーーん」
先輩のご両親を殺した犯人が私たちの同級生。その衝撃的な話を聞いた百井さんは、なぜか満足げにニヤニヤして私を横目で見てきました。なんて不謹慎な方なのでしょう。やはりもっと更生させる必要があるようです。
「その子の親がとある大企業のトップでね。このメイパラの親会社でもあるんだよ。まぁその大企業の関連会社の子会社の子会社の関連会社の子会社の子会社なんだけど」
「日本社会の闇ですね……」
「とにかく、なるべくなら新斗を近づけたくない。できることなら早めに退散してくれるとうれしいな。新斗がいるならボクは顔を出せないしね。とりあえずバイト初日で裏方作業させてほしいっていう暴挙に出るからさ。新斗が起きたら早めに追い出しちゃってね」
「……わかりました」
万さんがメイド服から普段着に着替えて更衣室を出ていき、百井さんは先輩の看病に行ってしまいました。私はメイド続行……のつもりでしたが。
「……帰っちゃいましたね」
ホールに戻ると、先ほどまで賑やかだった店内がわずかな客と余っているメイドさんを残していなくなっていました。どうやら私と百井さんが裏に行ってしまったことで見切りをつけて帰ってしまったようです。
「……なにあの子。今さら戻ってきて」
「ちょっとかわいいからって店長にも気に入られてさ……早く消えてほしいんだけど」
そして聞こえてくるのはメイドさんたちの陰口。もう遠い過去のようですが、たった一ヶ月前の暗い過去が蘇ります。
いじめ。私にとっては拭おうにもこびりついて剥がれない、最悪の出来事。それが今、再び訪れようとしています。
「おかえりなさいませご主人様ー!」
でも自分が悪者になって誰かが救われるなら、これ以上のことはありません。だってそれは先輩そのものだから。もういじめになんて絶対に屈しない。先輩のように、強い人間になってみせる。そう意気込んで来店したお客様に元気いっぱいに挨拶します。
「やぁ、雪華ちゃん」
そのお客様は私の名前を口にしました。そう、彼は私の知り合いだったのです。
「一所……賢人さん」
オリエンテーション合宿にて私に告白してきた爽やかなかっこいい方。そして私がいじめられる原因になってしまった方です。その彼が来店し、
「君を助けにきたよ」
私に優しく微笑んだのでした。




