【第324話】フェマスの大戦10 魔手
湿った枯葉は足元を滑らせ、ぬかるみはブートスト達の体力を奪うために、執拗にまとわりつく。
あまり陽が当たらないのか、道中は最悪であった。
「西の山沿いに比べ、こちらの山沿いは、沢が多くてずっとこのような感じなのです」
この辺りの地理に詳しい道案内の兵士が、少し申し訳なさそうに言い訳をする。
「いや、お前のせいではない、、、だが、サクリのやつめ、、、、」
先導の兵士に罪はないが、サクリには大いに文句を言いたい。
ブートスト達がおぼつかぬ足元に悪戦苦闘しつつ、それでもどうにか東の山の斜面を進んでいるのはサクリの指示によるものだ。
『貴殿らは旧ゴルベル領でも見事な潜伏戦を生き抜いてきた。こういった戦いはお手のものであろう?』
などと言い、ブートスト達を送り出したサクリ。
手薄と思わせている東の山中から、第10騎士団の本隊を狙え。それがサクリの命令だ。このクソみたいな獣道は想定外だが、最も憎むべき第10騎士団の鼻を明かせるのは悪くない。
第10騎士団に直接打撃を与える。この一点のためだけに、ブートストはサクリの提案を飲んだ。本隊の虚をついて散々混乱させ、敵の大将の首を獲る。
失敗したら失敗したで構いはしない。早々に逃げる腹積もりであった。これはあくまでリフレアとルデクの争いだ。ブートストにとっては命を賭す戦いではないのだ。
「しかし、この崖、見つからずに降りられるのですか?」
部下の一人が不満と共に漏らす。思った以上に角度があり、尖った岩肌がむき出しになっている。
先ほどこちらに驚いた獣が崖を駆け降りていったので、降りることはできるのだろう。だが目立たずに、となると話は別だ。
ここまで来て崖を降りているところを見咎められては、作戦失敗どころかルデクの兵から的にされるばかりとなる。
「それは大丈夫です。もう少し行ったら小ササールの薮が茂っている場所がありますので、そこを隠れながら抜ければ、、、、」
「うへえ」
誰かがうんざりした声を上げる。別にブートスト達は泥や葉っぱに塗れた戦いを得意とするわけではない。そうせざるを得なかったので、隠れ潜んでいただけだ。
再び黙々と進み。目的の場所に辿り着くとしばし待機。川の向こうからは既に、もうもうと大量の黒煙が立ち上っている。
「奴らが煙に気を取られている間に、行くぞ」
ブートスト達はササールで散々小さな切り傷を作りつつ、泥まみれになりながら斜面を転がり降りた。
そうして急ぎ川を渡りきると、対岸の斜面に張り付き、身軽なものを一人登らせて隙を伺う。
しばし様子を見ていた先兵が手を挙げて、こちらに合図を送ってきた。
「、、、よし、突撃だ」
ブートスト達3000の兵士は、張り付いていた斜面から、一斉に崖を登り始めるのだった。
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「敵兵だ!! 東の崖から! 敵襲!!」
崖を駆け上る敵兵を確認した見張りが叫ぶと、第10騎士団は素早く迎撃準備を調える。
陣幕から主だった諸将も飛び出してきた。
ラピリア、、ウィックハルト、、、、、、そして、、、、
その次に、特徴的な黒い鎧を着た線の細い男が。
「ようやく出てきたか」
そう。一人で東の山の斜面に残っていたヒーノフは、ただ、この時を待っていた。
瓶詰めを開封し、鏃に毒を塗る。その間に頭の中の熱を冷ます。
そして強く、弦を絞り、会心の一射を放った。
ヒーノフから放たれた矢は、真っ直ぐに黒い鎧の男に向かい、鎧の僅かな隙間にある腕に刺さる。
腕を押さえ少しふらついた後、がくりと倒れ込む様子を確認して、ヒーノフは快哉を挙げた!!
間違いなく、毒は届いた!
「やった! やはり俺こそが大陸最高の弓使いなのだ! 俺があの男を、ロア=シュタインを殺した! 俺が! 俺がこの戦いの主役だ!!」
興奮がヒーノフを駆け巡る。だから、反応が僅かに遅れたのである。
主人が撃たれても駆け寄ることなく、ただ真っ直ぐにヒーノフを見つめるウィックハルトに気づくことに。
ウィックハルトは弓を持つと、彼もまた、生涯で最短で、最速で、最も正確な一撃を放つ。
ドン!
と音が聞こえてくるような一射。
ヒーノフは恍惚の表情のまま胸を射抜かれ、背後の木に射止められる。
これは、致命傷だ。自分でもよく分かる。
だが、ヒーノフはとても満たされた気持ちであった。
誰がなんと言おうと、俺の弓が、世界の趨勢を決めた。
その想いだけが、ヒーノフの心の中を満たしている。
十弓、ウィックハルトでもこんな事は出来まい。
ヒーノフ=アルボロは、憎んで、憎んで、羨んで羨んで羨んで、そして、憧れた、ウィックハルトの手によってその最期を迎えたのであった。




