【第294話】北の大地(上) 使者、到着す。
早朝。
ツァナデフォルの首都バーミングでは、君主、サピア=ヴォリヴィアノが日の出とともに政務を始めていた。
流石に息が白くなるような季節ではないが、まだこの時間帯の室内はひんやりしている。
サピアがこの時間に仕事をしているのは珍しいことではない。サピアは政務が嫌いである。用がなければ美しい北の大地を走り回り、狩などに興じて日々を過ごしていたい。
とは言っても、一国を預かる首長として避けられぬ書類仕事は存在する。そこで日中は極力出歩けるように、早朝より書類仕事に勤しんでいるのである。
それに、人気のないこの時間は静かで集中できる。
静寂が包む部屋の中、とある書類に目を落としていたサピアの、小さな唸り声が響いた。
今年はまた、収穫が厳しいかもしれない。毎年のことであるが、食料問題はこの美しい国の泣きどころだ。サピアも自ずとその年の収穫について敏感になる。
日々山野を駆けているのはただの趣味だけではない、食糧の確保や領土の見聞、そして収穫に関する情報を肌身で感じるためである。
今年は雪が少なかった。それが気になる。過去にも似たようなことがあり、その時はやはり不作であった。
あの不作の一年のせいでリフレアに大きな借りを作り、それが今でも尾を引いている。当時のことを思い返し、サピアの美しい顔が自然と歪む。
今年もまた不作となれば、あの気に食わぬ国に頭を下げぬとならんのか、、、、、
せめて別ルートからの安定した食糧確保ができれば、、、しかし、現実は厳しい。リフレアの要望で始めた戦いとはいえ、今さら帝国に頭を下げられるような状況ではないし、近しい国である専制16国は頼れるほどの力はない。
その帝国といえば、最近はかなり大人しい。
影響しているのはやはり、あの同盟宣言とリフレアとルデクの争いか。
勢いはルデクにある。だからリフレアは我が国にわざわざ釘を刺しに来た。
おそらく帝国は、ツァナデフォルよりも旨味はあるとみて、リフレアの領土狙いに切り替えたのではないか。
効率の良い利益を得るために、今は状況を静観しているといった辺りが無難であろう。
しかし同時に何か違和感もある。あの帝国が、皇帝ドラクがそのように大人しくしているのものか?
同盟の宣言も踏まえて、ルデクと帝国の間に何かしらの取引があったのかもしれない、、、
サピアは羽ペンを机に放り投げた。やめだ、やめ。何やら今日は集中ができない。早いが朝食にしてしまおう。
今日の朝は何が食べたいのか考えながら、サピアは手を上にして伸びをする。
「おはようございます、サピア様。今日もお早いですな」
部屋に入ってきた声の主は、側近のジュベルノだった。
「ジュベルノ。おはよう。お前も早いな。もう朝食にしようと思っていたところだ。一緒にどうだ?」
「ええ。ご一緒させていただきます。しかしその前にご報告が」
「こんな朝っぱらから? そんなに急ぎなのか?」
「急ぎかどうかはわかりません。ご自身でご判断を」
「、、、、もったいぶるな。言うてみよ」
「他国の使者を名乗るものが訪れております」
「、、、、どこのだ?」
「ルデクです」
「何?」
サピアは予期せぬ国名に眉根を寄せる。そんなサピアにジュベルノは続ける。
「使者は、サピア様もご存じの人物です」
そのように言われて、サピアはさらに怪訝な顔でジュベルノを見るのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ワーグナの息子、ニーズホックでございます。覚えておられますか?」
サピアの前で跪いた端正な顔つきの騎士。面影があるかと言われれば、なんとなくあるような気もするが、最後に会ったのは幼少の頃だ。
会談前、ニーズホックは別室に待たせ、サピアはジュベルノと情報のすり合わせをした。
ワーグナ。一昔前に、ツァナデフォルでいっとき話題になった人物である。
ツァナデフォルでも指折りの騎乗技術を誇り、将来を嘱望されながら出奔した男。その理由が今目の前にいるニーズホックにあった。
ニーズホックは子供の頃から女子のような性格をしており、その性格を咎めた義父とワーグナは衝突した。
ただでさえ強さが正義と考えるツァナデフォルの中でも、その義父は筋金入りであったので、ニーズホックの性格に我慢がならなかったらしい。
一方のワーグナは好きに育てば良いという考えの持ち主だった。散々揉めた末、義父はワーグナの妻を実家に無理矢理引き戻すと、「孫を渡さねばツァナデフォルで生活できなくしてやる」と脅したのだ。
義父はツァナデフォルの有力な家の一つであったため、脅せば折れるとたかを括ったらしい。
しかしワーグナは国を捨てる決意をした。
慌てたところで後の祭りである。義父とて孫が憎かったわけではない。ただ、ツァナデフォルで生きてゆくために彼なりに何とかしようと考えた結果の暴走であった。
既に、使者がニーズホック本人であることは確認が取れている。
しかし、前触れもなく、単身ニーズホックを送ってきた理由はなんだ?
しばし沈黙していたサピアの言葉を、ニーズホックはただ微笑んだまま待っている。
「覚えておる、、、、と言っても私も幼き頃だ。正直にいえば辛うじてだがな。さて、まずは貴殿が単身やって来た理由を聞こうか」
とにかく話を聞くと腹を決めたサピアに、「では、我が国の軍師より賜った理由をご説明致します」と、ニーズホックは穏やかに語り始めた。




