【第246話】ホッケハルンの決戦⑧ 禁句
少し、トール=ディ=ソルルジアという人間について話をしよう。
トール=ディ=ソルルジアの若い頃については、あまり記録が残っていない。正確には、残っていないのではく、残していない、が、正しい。
今でこそ落ち着いた将校といった風体であるが、トールは元々、ゲードランドの裏町に屯していたごろつきの一人であった。
そんなトールの運命を変えたのは、無謀にもザックハートを襲ったこと。それが全ての始まり。
「不意打ちとはいえ、このワシに傷をつけるとは、大したものだな!」そのように呵呵と笑うザックハート。傷と言っても僅かな切り傷程度のものだ。
斬りつけたトールはぎり、と悔しさを噛みしめた。
すでに決着はついている。ザックハートからの反撃で吹き飛ばされたトールは、近くの木箱に体を預けながら、どうにか視線だけはザックハートを睨みつけているような有様だ。
腕に自信があったトールの夢は、ゲードランドの裏側を牛耳ることだった。
そのための箔として、最も分かりやすいのはザックハートの首であると考えたトール。若さを武器に躊躇なくザックハートを襲い、見事に返り討ちにあったのである。
そのまま捕縛されて人生の終わりかと思っていた。ところが、ザックハートが「ワシに触れるほどの実力、その辺で遊ばせておくのは惜しい」と言い、半ば無理やり騎士団に放り込んだのである。
逃げても良かったが、情けをかけられたことが本当に悔しかった。せめて見返してやらなければ、自分自身を許せなくなる。
その一心で騎士団に残ることにしたトール。けれど、その後ほどなくして第四騎士団に送られることになった。
ゲードランドに止めおいては、裏町の輩から余計な手が伸びるかもしれないという懸念が騎士団の中から上がったためだ。
第四騎士団のボルドラスは騎士団長の中でも面倒見の良いことで知られていたので、とりあえず任せてみようと最終的にザックハートが決めた。
見込みがあるので、鍛えて欲しいとだけ添えて。
つまり丸投げである。
王都にボルドラスがやってくる時に合わせて連行されたトールは、別れ際にザックハートに捨て台詞を残す。「次に会った時に必ずブチ倒すからな!」と。
それから丸3年、トールは真面目に騎士団の訓練をこなし、ボルドラスから認められると、第三騎士団への転属を希望した。理由は「ザックハートにそろそろ勝てそうだから」。
ザックハートからは「おお、好きにしろ!」との返事であったが、流石にそのような理由で転属を許すのは他の兵士の手前よろしくない。
結果的にいつだって苦労する立場に収まるボルドラスが苦肉の策として、第三騎士団からの強い要望という体裁を取り、再び第三騎士団に移籍させたという経緯がある。
その後トールは再び第三騎士団に所属し、事あるごとにザックハートに挑む生活を続け、気がつけば第三騎士団でもザックハートに次ぐ実力の持ち主として知られるようになった。
その頃、第七騎士団の団長の退任が決まり、後任を探していた。そこに、ザックハートの強い推薦でトールの就任が決まったのである。
そんなトールであるので、実力については申し分ないと同時に、生来の性格から、あまり敬意というものに頓着しない。
言うなれば、勝つためには手段を選ばない。
トールが率いる第七騎士団とシャリス隊は、ルシファル達が布陣する目の前まで出ばって来て、通り一遍の挑発行為を試す。
ルシファル達は黙して動かない。
「ほお、急造の組み合わせの割に、思ったよりも統率が取れているではないか」トールは感心しているのか馬鹿にしているのか分からないような調子でそんな言葉を口にする。
それから息を吸い込んで、ある言葉を大声で発するのだった。
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リフレア神聖国は、レゼグルという唯一神を信仰する、文字通りの宗教国家である。
宗主以下、大半の国民がレゼグル神の信徒であり、将官も、兵士も敬虔な信徒であることが求められるし、実際にそういう者がリフレアの中枢部を支えている。
ゆえにリフレアの民に対して、レゼグルを貶すような発言は発言した者の命に関わる。レゼグルを誹謗する発言を行なった人間が、過去に惨殺された例はいくつもあった。
周辺国では子供の頃から教えられる、禁忌。
ルシファルと共に、つまらぬ挑発行為を繰り返す敵兵を眺めていたリフレアの部隊。そこに、届いたのは耳を疑う言葉だった。
「レゼグルの尖兵ってのは、卑怯で愚かで臆病なんだな! レゼグルってのは卑怯者が崇めてんのか!? それとも神からして愚かなのか!」
リフレアの民に対する最大限の侮辱である。
兵士も、指揮官も目の色が変わった。
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「トール殿! それは流石にまずいのでは!?」
思わず止めに入ったシャリスに、トールは「何がだ?」とあえて聞く。
「そんなことを言えば、後々まで恨まれます。あなたの身が危うい」
「貴殿が私の心配をしてくれるのはありがたいが、そもそも負けたら命などないも同然。そもそも、最初に裏切り、我らの背後をつくような者どもに、なぜこちらが気を遣ってやらねばならんのだ? なに、ここでリフレア兵を全て殺せば何の問題もない」などと涼しい顔だ。
「いや、、しかし、、、、」
なおも何か言おうとするシャリスをトールが手で制する。
「おい、問答している暇はないぞ。動き始めた」
トールの言う通り、トールの言葉を寛容できなかったリフレアの部隊がこちらに進軍を始めるのが分かった。
こうしてホッケハルンの戦いは、たった一人の暴言から動き出したのである。




