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そろそろリハビリという名の散歩を再開しようか、と思ったところで、背後から足音が聞こえてきた。ジルがわたしの様子を見に来てくれたのだろうか。もしかしたら、ちょっと長く休憩しすぎて、心配をかけたのかも。
そう思って、振り返りながら立ち上がったのだが――。
「こんにちは、オルテシア嬢」
そこに立っていたのは、ジルではない。
アルディさんだった。
まさかの人物に、わたしは呆然としてしまう。制服姿でない、私服の彼を見たのはこれが初めてだ。
完全に思考停止して、固まってしまったわたしを、足が痛くて動けないと勘違いしたのだろう。アルディさんは素早く駆け寄ってきて、わたしの手を取り、「大丈夫? 一度座ろうか」と、先ほどまで座っていた椅子に座らせてくれた。
いや、擦過傷も筋肉痛も、もう治ったくらいなんだけど……。
でも、彼の手に触れているのが嬉しくて、黙ってこの状況を受け入れたわたしは、中々に性格が悪いと思う。アルディさんは、純粋に心配してくれているのに。
「ど、どうしてここに……?」
わたしはようやく声を絞り出すことができた。アルディさんは、わたしに目線を合わせるように、片膝をつく。
「お見舞いだよ。僕もようやく仕事が落ち着いたから。ここにいるって聞いたから。……僕たちのために頑張ってくれたのに、来るのが遅くなってごめんね」
そうやって、わたしの手を握りこんでくれるアルディさんの手は温かい。
無事だという報告は聞いていたものの、あれから直接会うことができていなかった。
こうして対面し、彼に触れ、体温を確認して、本当に生きているのだと確認できたら、安心して気が緩んだのか、視界がにじむ。
「生きていて……よかった」
やってくるのが遅かろうが、そんなことはどうでもいい。ただ、無事に生きてさえくれれば。
「……そうだね」
わたしの涙をぬぐいながら、アルディさんは微笑んだ。
その声が、あまりにも優しくて、愛おしくて――わたしは思わず、わたしの手を握ってくれていた彼の手に、口づけを落とした。
このくらいなら、はしたないと思われることもないだろう。どうしようもないこの感情を、表現しないことには、どうにかなってしまいそうだった。
「アルディさ――わっ!」
ぐん、と腕を引っ張られ、そのままアルディさんの方へと倒れこむ。しっかりと抱きとめてくれたから、痛いところは一つもない。
「アル――」
急にどうしたの、という意味を込めて彼の名を呼ぼうとして、わたしの口は彼の口によってふさがれてしまった。
一度、二度、と何度も交わされる口づけは、軽いもののはずなのに、どうしようもなく熱っぽくて、回数を重ねるたびに、体が溶けてしまいそうだった。慎みがない、と言われようと、この熱を、教授したくて。
唇が離れたかと思うと、今度は強く抱きしめられる。
「――好き。好きだよ」
つぶやくように言われた言葉は、以前言われたものよりも、ずっと強い声音だった。
「オルテシア嬢が幸せなら、少しでも望む未来に進めるなら、それでいいと思ってた。でも――駄目なんだよ」
アルディさんが、わたしの肩口に、額をこすりつけるようにしてすり寄ってくる。ふわふわの耳が頬をかすり、くすぐったい。
「僕が君を幸せにしたい。君は地味姫なんて呼ばれるべき女の子じゃなくて、世界一可愛くて、素敵な子なんだって、自信を持ってもらいたい。君の未来に――僕がいたい」
わたしの未来に、アルディさんがいる。
その姿を想像するだけで、幸せで、わたしは彼にしがみついていた手に、思わず力をこめる。
「わたしも――貴方の隣にいたい」
その未来を信じて、わたしは自ら、彼の唇に自分のものを重ねた。




