14話 海魔出現なのです
海魔グラーゲン。港湾都市『アクアマリン』の港湾に眠る呪われしカリブディスを復活させるべく暗躍する上位の魔物である。たぶん上位である。
見た目はイソギンチャクに、藻が付いている。その身体からはヘドロのような臭いを放ち、ズルズルと足を引きずるように歩くと、その後にはテカテカとヌメリを持つ足跡が残る。顔はイソギンチャクのような触手でびっしりと覆われて、目鼻がどこにあるか分からない。
背丈は3メートル程で、小山のような姿をしており、嗄れた声が辺りに響く。見るからに邪悪であり、強大な力を持つ化け物だと、見た者は誰もが確信するであろう。
「コーサス! 前に出て、奴の気を引くんだ!」
邪悪なる魔物を前に、ザモンは予想外の出来事に顔を強張らせて恐怖を覚えるが、歴戦の傭兵はすぐに気を取り直し、部下へと指示を出す。
「あいよぉ、てーちょう!」
力自慢のコーサスは短槍を強く握り、強く右足を地面に踏み込ませると、全力でグラーゲンへと攻撃する。コーサスも恐怖心に襲われたが、長年一緒に組んできた隊長の声に気を取り直し、その指示を信じて、素直に突撃をした。
「ハハハハ」
高笑いをしつつ、グラーゲンは触手のような腕を振るう。ミシリと撓るとコーサスの槍へと命中し、その威力を減衰させ、もう片方の腕で胴体に当てて吹き飛ばす。
「ジーハン、フェイントだ! ニルデ、任せたぞ」
「へい、隊長!」
ジーハンが短槍をゆらゆらとグラーゲンの前で揺らして、軽快なステップを踏み、注意を引こうとする。
「わかりました」
グラーゲンがジーハンを見て触手を繰り出す。短槍を上手く防御に使い、なんとか丸太のような触手の攻撃を防ぐ。
ジーハンは小技が得意であり、身軽さを利用して、グラーゲンのような敵の注意を引くことを得意としていた。そのために、グラーゲンの攻撃は尽く空を切る。得意と言っても魔力の少ない平民であるジーハンは身体能力に限界があり、なんとかグラーゲンの攻撃を防いでいたのだが。
その間にニルデはグラーゲンの後ろへと回り込むと隙を狙う。当たらないことに苛立ち、グラーゲンは触手全てでジーハンを叩き潰そうと攻撃を仕掛ける。
ジーハンは6本の撓る鞭のような触手の同時攻撃を躱すことができずに、何発か身体に受けてよろめく。
だが、触手を全てジーハンへと向けたことで、グラーゲンは大きな隙ができた。ニルデはその隙を逃さずに突撃をする。
「ハァァァ! 化け物め、死ね!」
裂帛の声をあげて、グラーゲンのヌメる表皮を器用に踏み台にして登り、不気味なる藻の塊のような頭に槍を刺す。
「どぉりゃぁ!」
ぐらりとグラーゲンは身体をグラつかせる。立ち直ったコーサスが勢いよく突進をして、その身体に短槍を突き入れた。
「やったか!」
ニルデの攻撃が成功し、トドメの一撃をコーサスが入れたことにより、周りの傭兵が快哉をあげるが
「フハハハ」
グラーゲンは体勢を立て直すと、触手をニルデとコーサスに巻きつかせてきた。
「な、なぜ?」
「ぐぁぁ」
触手の巻き付きで、激痛が走る中でふたりは驚愕していた。
ニルデたちは、自身の攻撃がグラーゲンに致命的なダメージを与えたと確信していた。だが、グラーゲンの身体に槍は先端が刺さっていた程度であった。体表を覆う藻に埋もれていただけ。かすり傷一つ負わせることもできずに、あっさりと短槍は抜け落ちて、地面へと落ちる。
そうして、グラーゲンはふたりを宙へと待ちあげるとマナを触手に巡らせて、魔技を使う。
『魔技スクリューウィップ』
巻きつかせた触手を勢いよく回転させて、ニルデとコーサスを独楽のように回して投擲した。そこにはジーハンがダメージを受けて蹲っており、錐揉みをしながらふたりはボーリングのピンのようにぶつかり、ゴキリと嫌な音を立てて吹き飛ぶ。
「ガハッ」
「ぐぇ」
「グフッ」
3人はうめき声をあげて、あまりのダメージに立ち上がることもできずに倒れ伏す。手足が曲がっており、骨も折れてもはや戦闘は無理であろう。
「ぜ、全員で攻撃しろ! 倒せるはずだ。一斉に攻撃をしろ!」
恐怖に満ちた声音でザモンが指示を出す。周りの傭兵たちはもはやグラーゲンへの恐れから混乱しており、無我夢中に攻撃を仕掛ける。
「ウォォ!」
「しししねぇっ!」
矢が飛んでいき、槍が何本も突き刺さる。だがグラーゲンはびくともしなかった。
「ハハハハ、その程度か? その程度なのか、人間よ?」
その力は強大で傭兵たちが、恐怖の面持ちで矢を放ち槍を突いて攻撃をしてきても、血を流すこともなく、笑いながら身体から粘体の触手を生やして攻撃をしてきていた。
攻撃が効かないと分かり、頭の回る傭兵は魔術ならば倒せるのではと、取って置きの魔力水を槍にかけて攻撃を繰り出すがやはり傷つけることはできなかった。
物理にも魔力にも無敵に見える悍ましき化物がそこにはいた。
「愚か者め! この海魔グラーゲンに人間の武器が効くものか! 我を倒したくば聖剣でも持ってくるのだな」
さり気なくコラーゲンからグラーゲンへと名前を修正しつつ、グラーゲンを操作するアキはノリノリで傭兵たちに攻撃を繰り出していた。粘体の触手は砂の詰まった袋のように重く強烈だ。しかも鞭術8級を使用できるので、一撃喰らうと傭兵たちは意識を飛ばす程のダメージを負う。
グラーゲンは脳波反応式で複数の触手を考えるだけで操れる。とはいえ、考えるだけでというのは意外と難しく、アキは触手となった両腕をメインの攻撃に使い、思念で操る他の触手は牽制程度に使っていたが。
「人語を解する魔物だ!」
「高位の化け物だ! 俺の槍がまったく効かねぇ!」
「神話の化け物だ!」
傭兵たちはグラーゲンを前に動揺を見せて、腰が引けてろくな攻撃もできなくなった。人語を解する魔物。しかも人間に変身して、街に溶け込むなど吸血鬼ぐらいである。
それがまるで悪夢が形をとったような魔物が人間に化けて狡猾にもこの場所まで案内させたとなると、話が違う。神話のお伽噺にしかいない魔物だ。
早くもグラーゲンを倒すのを諦めて逃げようとしている者もいる。どう考えても殺される未来しかないからだ。絶望的な戦いに身を投じる傭兵はいない。当然の結果であったが、アキは想定済みである。
『沼』
水魔術8級の『泥』を使用する。アキ足元からマナが波紋のように広がっていくと、硬い大地を底なし沼のような泥濘へと変えていった。傭兵たちは足元が泥濘に変わり、足をとられて、たたらを踏む。バシャンと音を立てて、スッ転び泥だらけとなる者もいた。
「さぁ、人間たちよ。絶望に支配されるが良い!」
おどろおどろしさを見せながらアキが手を翳すと、楽しげに嗤う化け物の声にあわせるように、泥からなにかが這い出てくる。
「ヴォア」
「アァァ」
「すらーすらーなのです」
まるで地獄の底から沸き出てくるように、沼の中から不気味なる叫び声をあげて、泥に塗れた手が突き出てくると、傭兵たちの足を掴む。
「うわぁ! 離せ、離せこいつ!」
傭兵たちは絶叫しながら泥の手を槍で突き刺すが、少し崩れただけで化け物は手放しはしない。泥からどんどんと化物は姿を現し、逃げようとする傭兵たちは、その正体を知って絶叫する。
泥の中にある物は人間の骨であった。そこかしこにどす黒い元は筋肉だろう欠片を貼り付けた骨であった。そのぽっかりと空いた眼底が傭兵を覗き込むように近づいてきて、カタカタと歯を鳴らす。
「だ、ダズげで」
「死にたくない。じにだくない」
傭兵たちは必死に逃れようとするが無駄な足掻きであった。次々に傭兵たちは泥に覆われて息絶えていく。仲間が死んでいく様子に、絶望から絶叫する。傭兵たちの絶叫は唱和されて、辺りに響き枝に止まっていた小鳥が驚いて飛び立っていく。
辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図となり、金貨を手に入れるはずだった傭兵たちは死んでいく。
「てーちょう、たすけてくれぇ〜」
「隊長!」
「逃げられないです、隊長〜」
コーサス、ニルデ、ジーハンたちが泥の化物に覆われて助けを求める。だが、ザモンは踵を返し、振り向くことなく馬車へと向かい飛び乗ろうとした。だが、御者席には既に泥の化物が這い出てきて、乗ることは不可能だと悟る。
そのため、切り札である『魔技 身体強化』を使用して、なけなしのマナを使い切り、脇目も振らず走り去って行くのであった。『身体強化』の力はザモンの身体能力を短時間だが、大幅に跳ね上げて、あっという間にアキの視界から遠ざかり、見えなくなってしまった。
ザモンだけは老魔術師に危険を覚え、密かに離れていたのだ。指示を出しながらも、戦況を確認し、まずいと悟った瞬間に逃げに徹することにしたのである。
それが幸いして、『沼』の魔術範囲から逃れることができて、命からがら逃げることができたのだった。
やがて森に響き渡っていた悲鳴が消えていき、再び静寂が戻ってくる。小鳥が枝にとどまり、チチチと鳴いて、兎が悲惨なる傭兵たちの末路を草むらから覗く。
「あの男……逃げ切ったか」
アキは傭兵全員を殺し終えたことを確認し、ふむと触手を顎に当てて呟く。ずる賢い奴だった。長年組んできた仲間をあっさりと見捨てるとは、傭兵だからだろうか。いや、あの男の性根が腐っているのだろう。
「とはいえ、殺した者たちにもまったく同情はできんがな」
ザモンの仲間たちは全員が多数の人々を殺していた。『情報収集』によると、かなり酷い行状だったのだ。殺人を犯しており、その理由が罪な場合、アキはまったくその者に同情しないし、殺しても罪悪感を持たない。地獄の元獄卒であるだけはある。同じようにメイもニアも罪悪感など持たない。例外を抜かして、殺す時はあっさりと殺す。
殺人の例外はもちろんある。戦争時や正当防衛時、脅迫されて〜などなど例外は山程ある。傭兵なんて殺すのが生業なのだから、真っ当な傭兵なら例外に当て嵌まる。
だが、この傭兵たちは強盗殺人、口封じのために殺す。ちょっとした諍いから、一般人をこっそりと殺す、雇用主に命じられて暗殺するなど、同情をかける余地のない者たちであった。
最近で一般人を殺した経歴も書いてある。薬草を採取しにきたリーフの両親に、穢れし妖精のキノコを採取していたのが見つかり殺していた。
リーフはあんまり両親が殺されたことを変に思っていないようだが、薬屋を営むぐらいに自分たちで採取できるということは、森林奥深くに探索に来れるほどの腕前だったのだ。だのに、ふたりとも魔物に襲われて死ぬのはおかしいことであった。
即ち、リーフの両親ウッド夫妻はザモンたちに殺されたのである。先程と同じく傭兵たちに囲まれて、抵抗むなしく殺されたのであった。ショックを受けるだろうから、リーフには言わないが。
「仇はとったということかね」
傭兵たちに圧倒的な力を持つグラーゲンの触手をゆらゆら揺らす。実際は圧倒的ではなかったのだが。
実際は8級の魔物である。神話の魔物が聞いたら、この詐欺師野郎と怒るぐらいに弱い魔物だ。ホブレベル。即ち鍛えぬいた平民の筋力と同程度しか持たない魔物である。
本当ならば10人を超える傭兵たちを皆殺しどころか、2人を相手どる程度の力しか持たない。事実、コーサスたちには苦戦を強いられていた。
「これこそが劇の醍醐味。演技を真実と勘違いさせて、観客を劇にのめり込ませる」
楽しげにグラーゲンの姿をしているアキは嗤い、上手く行ったと満足するのであった。




