第95話 魔女のいない国と魔女と人
テネリの成人の誓約は、カエルラの聖リベリー教会で行った。大きな教会ほど、魔力を効果的に作用させてくれるからだ。魔女の妖術から守ってくれるはずの教会を、魔女に利用されていようとは人間たちも考えもしないだろう。
いま、テネリとレナートは聖プリム大教会で永遠の共生を誓った。
レナートと共に生きる未来に思いを馳せたときから、テネリはその誓約の文言について頭を悩ませていた。命まで縛る誓約は、ミアのような使い魔に用いるものしか知らないからだ。
「……人間の結婚とほとんど変わらない誓約文だったな」
「魔女である私がレナートに求めるのは、ただそのままそばにいてくれることだから」
誓約を終えたときの光の残滓が、まだ礼拝堂の隅々に残ってキラキラと輝いている。別の命に半永久的な生を与えるには、やはり相応の魔力が必要だ。テネリの表情にも疲労が浮かんでいた。
「こっちは、何が変わったのかわからないな。少し酒を飲んだような感覚があるが……いや、ちょっと待て。君の瞳は――」
「ん? ……あ、そっか。レナートは私の眷属になったから、秘匿魔法が効かなくなったんだ」
言葉を失ったままのレナートがテネリの瞳を覗き込みながら、まじまじと見つめた。その瞳孔は咲き誇った花の形をしている。普段は決して誰にも見せない、魔女の証とも言える花眸だ。
テネリの言葉に得心がいったのか、レナートはふわりとテネリを抱き締めた。額に口付けて深紅の髪を撫でる。
「秘匿魔法……そうか、これが本当の君なんだな。すごく綺麗だ。……愛してるよ、テネリ」
「うん、私も愛し――」
「それより、さっさと出て行ったほうがいいわよ。さっき追い出した司祭たちが異変に気づいて戻って来た気配があるもの。それに、街の人も気づいたようよ」
祭壇の上に飛び乗ったミアが言う。
彼女は先に礼拝堂へ侵入し、警備を担当する聖騎士や司祭たちの注意を引き付けて遠くへ連れ出していたのだ。
しかし礼拝堂の中いっぱいに輝く光は、人々の目についてしまったらしい。テネリやレナートの耳にも、外の喧噪が少しずつ聞こえて来た。
「やっぱ夜にやるもんじゃないね」
「せめて、今の言葉くらいは最後まで聞きたかったがな」
テネリが杖を振ると、愛用のカーペットが現れる。慣れた様子でレナートが乗り込んで、ミアもその肩に飛び乗った。
「飛ぶだけの魔力は残ってるのか?」
「たぶん!」
ふわりと浮かんで杖を振り、テネリを縦に5人ほど並べても足りないくらい大きな扉を開ける。ちょうど入ってきた司祭や聖騎士がその存在に気づかないほど高いところを飛んでも、ぶつからずに外に出られた。
「きょろきょろしてたね」
「にゃー」
外に飛び出すと、続々と大教会へ集まって来た民衆が一斉に空を見上げた。宙に浮かぶカーペットを指さして、テネリの名を叫ぶ。
「こっちは見つかってしまったな。だが、このままでは怪我人が出てしまうぞ」
テネリの姿に興奮した民は、カーペットの移動に合わせてついて来ようとしていた。さらに噂を聞きつけて、人だかりは大きくなる一方だ。
「ねぇ。初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「ああ、もちろん。パンを押し付けられた」
浮遊するカーペットの上で、テネリはすっくと立ち上がる。意図を察したレナートもまたその横に並び立って、テネリの腰を抱いた。ただミアだけが小さく溜め息をついて、レナートの首にしがみつく。
人々は美しい衣装に身を包む魔女と侯爵の姿に息を呑み、呆けたぶんだけ静かになった。
「ごきげんよう、みなさん。魔女の結婚を祝う、おかしくて素敵なあなたたちにプレゼントを!」
民衆の頭上を、カーペットが大きく旋回する。と同時に深紅の薔薇の花びらが次から次へと降り注ぎ、人々の視線があちらこちらに向かった。
テネリが大きく手を上げると、すぐ近くでドンという音がした。人々は音のした方向――テネリたちがいるのとは逆側を向いて、その音の正体を知る。
大きな大きな花火が上がったのだ。いくつもの満開の花が夜空を彩り、そして弾けて薔薇になる。
最後に開いた最も大きな花火に、カーペットが突っ込んで行った。だがそのカーペットには誰も乗っていない。人々が何事かと見つめるうちに、無人のカーペットもまた薔薇に変じて弾けて落ちた。
わーっという歓声の中で、テネリとレナートは街の中を疾走する。美しい衣装も髪色も、この瞬間だけは変えてある。
「本当に、君といると退屈しないな!」
「ようこそ、魔女の世界へ!」
「アタシは平和な生活のほうが好みだけどね!」
ふたりと一匹の笑い声は、民衆の歓声に掻き消された。
こうして魔女のいない国リサスレニスが、善なる魔女のいる国へと生まれ変わったこの夜を、人々は永遠に語り継いでいくことになるのだった。
これにて完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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