第94話 魔女は刹那の大切さを知る
「人間どもがすっごい浮かれてる」
「言い方」
星降る夜。王宮からほど近い場所にある聖プリム大教会の屋上に、テネリとレナートはひっそりと佇んでいた。
と言っても、結婚披露パーティーを抜け出して来たのだから、王宮内ではちょっとした騒ぎになっているかもしれないけれども。
眼下に広がる聖都の中心部では、まるで昼間のような明るさの中で人々が飲めや歌えやと大騒ぎしている。
これからふたりで永遠を誓うのだ。死が分かつまでの共生を誓う、という意味では人間の結婚と同じだが……その時間は果てしなく長い。ここに来てもまだ、テネリはレナートを輪廻の理からはじき出してしまう覚悟ができないでいた。
「本当に人間が魔女を受け入れるとは思わなかった」
「今日は朝からずっと『テネリ、テネリ』の大合唱だったな。インヴィの事件を見ていた民は、みんな君に夢中になったそうだ」
テネリが纏う銀の混じる薄鈍色のドレスは、街の明かりを受けて輝いている。裾や袖にはレナートの瞳の色であるエメラルドグリーンが、宝石にシルクにとふんだんに飾られていて、マダム・ベッカの渾身の作であることが伺えた。
レナートもまたクラバットや刺繍に深紅を用いた、シャンパンゴールドの派手な衣装だ。それでも着こなしてしまうのがイケメンの生まれ持った能力なのだろう。
「ガスパルはどう?」
「……君に叱られたことで改心したのか知らないが、素直に供述していると聞いた。簡単に言うと国に魔女が潜んでいると気づき、信頼できる仲間を募って調査するうちにインヴィの罠にかかったということだ。……が、まさか結婚式当日に他の男の名を口にするとは、嫉妬でどうにかなってしまいそうだな」
インヴィの薬の副作用でガスパルは深刻な病状だったという。しばらくの間は療養に専念させていたが、ついに裁判が近々始まるとの情報がテネリにも入っていた。
レナートが人差し指と親指とでテネリの唇をぎゅっと摘まむ。確かに、いま話題にすべき内容ではなかったかもしれないと思い直して、素直に謝ることにした。
「んー! おえんっえ」
「ごめん? 素直でよろしい。さあ、俺たちの本当の結婚式をやろうか?」
「これこそ後戻りできないけど、本当にいいんだよね?」
「ああ、もちろんだ」
レナートが差し出した手に、テネリも左手を重ねる。その手の温もりに、ドゥラクナで手を引かれて歩いた日を思い出した。誰かと共にいることが心地いいのかと思ったが、そうではなくて、そばにいるのがレナートだから心が満たされるのだと今ならわかる。
考えが真っ直ぐで、魔女への偏見より心を大切にした優等生のようなレナートに最初から惹かれていたのだ。
ぎゅっと手を握ると、前を歩くレナートが振り返って微笑みかけた。満天の星空をバックにしたレナートの端正な顔が完璧すぎて、一瞬だけ見惚れてしまう。
「はっ、早く行こ! ミアが待ってる」
「薔薇の香りがする」
レナートが手を引っ張ったせいで、テネリの身体が腕の中にすっぽりと入ってしまう。レナートの表情にドキリとしたテネリの胸の高鳴りは、彼の腕の中ではおさまる気配もない。
首元に鼻を埋めたレナートの身体を、両手で押しのける。が、鍛えられた騎士の身体はまるでびくともしなかった。
「早く行こうってば!」
「人間は一瞬一瞬が大切なんだ」
テネリの耳のそばでレナートがくつくつと笑う。こみ上げてくる恥ずかしさに追われるように、テネリはレナートの胸をボカボカと殴った。
「人間じゃなくなるでしょ」
バチバチと弾けるような音とともに、顔を上げたテネリの横顔を刹那の光が照らす。王族であるアルジェント侯爵と、善なる魔女テネリの歴史的な結婚を祝うための花火だ。
「人間じゃなくなっても、いまみたいな瞬間を積み重ねて永遠を作っていきたいものだな」
花火の明滅がレナートの表情を明るく照らし、すぐに薄暗くなる。その繰り返しがあまりに幻想的で、「一瞬が大切」だという人間の言い分もわかるような気がした。
「そだね」
「……テネリ」
彫刻のような美しい顔が近づく。思わずぎゅっと強く目をつぶったテネリの鼻の頭に、温かくて柔らかなものが触れた。
「っ?」
「驚いたか?」
「ちょ――」
揶揄うような表情のレナートに、テネリの頬はさらに赤みを増す。しかし文句を言おうと開いた口は、すぐに塞がれてしまった。
躊躇うような優しいキス。そして、求め合うように深いキス。
テネリは触れた手のひらに、いつもより早いレナートの鼓動を感じて小さく笑った。




