第93話 魔女は友人たちとお喋りに興じる
王宮内の遊戯室。侍従がレナートに何事かを耳打ちして静かに出て行った。
「カエルラから新王オーギュスタンも到着されたと」
「あー。ま、相手は父上に任せておけばいいよ」
インヴィの事件から三月が経ち、テネリとレナートは結婚式を明日に控えている。各地から続々と参列者が到着し、聖都も王宮も大変な賑わいをみせていた。
式を終えれば領地に戻ったり旅に出たりと、しばらく聖都を空ける予定のテネリとレナート。同様にカエルラ側の結界の強化へ向かうソフィアとアレッシオ。4人は法の整備や結婚式の準備等々で忙殺される中、誰ともなくこの部屋に集まったのだった。
「カエルラの王が代わるのは一瞬でしたね」
「私たちがインヴィを捕らえたときに、不意を突いたみたいだね」
オーギュスタンの名を聞いて、ソフィアが隣国のクーデターに思いを馳せる。インヴィ派であった前王と王太子は処刑されたらしい。リベル派の元第二王子オーギュスタンが玉座につき、国内の建て直しを図っている。
「で? 大公だっけ?」
アレッシオがクッキーを摘まみながら、テネリの顔を覗き込んだ。
「そんな仰々しいものいらないのにね」
「カエルラにとってテネリは恩人であるばかりか、『森の涙』の持ち主でもありますから」
レナートが得意気な表情で言いながら、テネリの髪を一房とって口づけた。瞬間的に真っ赤になったテネリがソファーの隅へと逃亡する。照れ隠しに投げつけたアマレッティも、レナートはなんなく口でキャッチしてしまった。
「帝国との国境の土地くれって言っただけなんだけど、まぁ……侯爵夫人じゃなくなったら大公国って独立してみよっかな」
「ずいぶん簡単に言うねぇ」
「侯爵夫人と言えば、法の整備が追い付いてよかったですね! 当初の予定通りに挙式するっておっしゃるから心配していましたけれど」
元々、聖女の誓約のためにレナートとの婚姻を進めていたため、王家の血を引く人物の挙式にしては準備期間が恐ろしく少ないのだ。
スケジュールを引き直すべきだとの話もあったが、テネリもレナートも計画の変更はしなかった。
レナートがソフィアとアレッシオに大仰に頷いてみせる。
「これ以上ない最善の改正でした」
「いやぁ、ドゥラクナ伯爵がいろいろ手を回してくれたから、思ったよりスムーズだったよね。でも彼を動かすのは並大抵のことじゃないのに、さすがだね」
テネリは、初めてドゥラクナ領へ足を踏み入れた日のことを思い出した。あのときレナートは、「伯爵を味方につけておくだけで解決する問題はゴマンとある」と言っていたはずだ。まさか、これほどの難問さえ解決してしまうとは。
「ドゥラクナの民はテネリの信者ですから」
「信者って、ソフィアの立場まで危うくするのやめて?」
相変わらず得意気なレナートと、なぜか悔しそうなアレッシオとが睨み合う。そんな二人をソフィアがふふと笑いながらなだめた。
「でも、私はドゥラクナ伯爵から『殿下のお力添えあってこそ』と伺いましたよ。なんでも、渋る議員と何時間でも話し合ったり、考えられる問題点を細かく潰していったり――」
「いやっ、それは」
アレッシオは慌てて両の掌を胸の前でぶんぶんと振ったが、彼が賛成票を多く取るために駆けずり回っていたことはテネリもよく知っている。
「ほんと素直じゃないよね」
「それ、テネリ嬢に言われたくはないなぁ……。まぁ、みんなが危惧するのは、永遠に生きる魔女とその眷属が権力を持ち続けることだからね。期限を切ってしまえば、そこまでうるさく言わないってワケ」
法改正の内容としては、魔女と貴族の結婚については一先ず今回限りの特例として許可。レナートとテネリを侯爵および侯爵夫人として認めるのは向こう40年に限り、以降は原則として政治への関与を認めない。といったものだ。
それでも魔女のために現行法を改正させるのは、アレッシオが言うほど簡単なことではなかっただろう。
話はこれでおしまいだと言わんばかりに、アレッシオがレナートをゲームに誘う。遊戯室に並ぶいくつものゲーム道具を物色しに席を立った。ソフィアは苦笑しつつ、テネリへ視線を向ける。
「テネリ様を認めてもらうために、歴代の聖女も魔女だったと公表しようかと考えていたんです」
「えー! それは無茶すぎるよ」
「はい。魔女……いえ、インヴィの純粋とも言えるほどの悪性に触れて、考えを改めました。リサスレニスの民にとって、聖女という存在はアイデンティティ。その自己を構成する基礎を覆してしまっては、決して平気ではいられないでしょう」
聖女らしい優しい微笑みの奥に、ほんの少しの寂しさが浮かんでいる。だがソフィアの言葉は正しいだろう。善なる魔女なら受け入れられても、聖女の正体が魔女だとはとても受け入れられるものではない。今はまだ。
「永遠に生きるわけでも、結界や癒し以外の魔法が使えるわけでもない。聖女はやっぱり聖女だよ」
「そう、ですね。……それで、準備はもう万端なのですか?」
ソフィアが努めて明るく振る舞いながら顔を上げたとき、部屋の外でテネリの名を呼ぶ声が聞こえた。レナートとアレッシオも特徴的な模様をした盤面から顔を上げる。いつの間にか、二色の駒を用いて競う戦略系ゲームに興じていたらしい。
「あの声聞こえる? まだちょっとだけ準備残ってるみたい」
テネリがおどけてみせながら、そっと扉の陰へ隠れる。
「テネリお嬢様はこちらだとアンナ様からお聞きしましたよ!」
ずんずんとがなり声が近づいてきて、ついには扉を乱暴にノックする音。アレッシオが肩を震わせながら息も絶え絶えに入室を許可すると、入って来たのはマダム・ベッカだった。
入り口に立って部屋の中をぐるりと見渡す。苦笑するレナート、背を向けて笑いをこらえるアレッシオ、不安げな様子のソフィア。そして――。
「せっかくデコルテが出せるようになったんです! さあ新デザインの最後のチェックとまいりますよ!」
マダム・ベッカは迷わずドアの裏に隠れるテネリを捕まえて、子を運ぶ親猫のように襟首を掴んで引きずり出した。




