第88話 聖騎士様は魔女の首をとる
立ち上がろうともがくテネリを、レナートは舌打ちしながら膝の裏に腕をまわして横抱きにした。
「殿下」
「ああ、大丈夫だよ。外へ連れて行くといい。ソフィアも一緒に外へ」
レナートが声を掛けると、アレッシオはちらりと見ることもせずに頷く。正面にインヴィを見据えてはいるものの、距離はかなり開いてしまった。
余裕を見せるインヴィがにやりと笑う。
「ああ、可笑しいわ。王太子殿下がわたくしを止められるとでも?」
「もっと周りをよく見るべきだ。結界は消失していないよ」
「なんですって? ……よくもよくもよくもよくも!」
顔を上げてぐるりと敷地を囲う柵を見渡したインヴィは、両手で拳を握った。笑うのは自分のほうだと言わんばかりに、アレッシオが顔をほころばせる。
「僕はソフィアほど精緻な結界は即興で張れないから、通り抜けができないのは君だけなんだ。聖騎士団が君を殺すために、わんさと押し寄せてしまうかもしれないね」
「ば、馬鹿ね! 聖女が張ったのでないなら、わたくしは結界を壊すことだってできてよ!」
インヴィは風にさらわれた雲のようにふわりと、途中からは実体を現して全速力で、敷地の外周に向かって走って行く。
後を追おうとしたアレッシオは、テネリの声に足を止めた。
「レナート、追って!」
「は? 何を言って――」
レナートに横抱きにされたまま、テネリは腕を伸ばして杖を振るう。レナートの肩の上からテネリを覗き込んでいたミアが、慌ててレナートの頭上へと避難した。
「応用術式……っ! 戒めの焔まとう紅の薔薇よ!」
深紅の薔薇が咲いた。いくつもの薔薇が一斉にインヴィを襲い、四肢を拘束する。花びらが舞う中を、大きな炎が走った。炎の塊がインヴィを包み込み、悲鳴があがる。
「ぎゃあああああああっ!」
「レナート、とどめは、他の……人に」
「おい、テネリっ?」
「……魔力切れね、コレ」
テネリはレナートの腕の中で意識を失った。
インヴィを強力に拘束するのは圧縮した魔力を纏った薔薇で、領域魔法の術式を応用して作り出したもの。つまり残存魔力を全て注ぎ込んでおり、テネリは魔力切れを起こしたのだ。
「君の婚約者は本当にマイペースだね」
揶揄うアレッシオに返事をせず、レナートはそっと地面にテネリを下ろして、ミアとソフィアに任せた。ゆるりと立ち上がって剣を構える。
「俺に任せていただけますね?」
「もちろんだとも! 僕は空気を読むのが最も得意だからね」
アレッシオが言葉を言い終える前に、レナートは地を蹴ってインヴィの眼前へと迫った。剣を振り上げ、首を落とさんと薙ぐ。が、すんでのところでインヴィは首だけを霧状に変化させて躱してしまった。
「危ないじゃないの! 死んでしまうかと思ったわ! ああああああ、切れないし! テネリテネリテネリテネリ! 絶対許さない!」
テネリが最後にかけた術式は、意識を失ったあともインヴィを拘束し続けた。高密度の魔力で構築された薔薇は、インヴィが切断しようにも傷ひとつつかない。
インヴィが身をよじって掌をテネリへ向ける。
その場にいる誰もが、その手に魔力が集まるのを感じた。レナートが悪態をつきながら、魔法を阻害するために腕を掴もうと手を伸ばすが間に合わない。
レナートの目の前を閃光が走る。目を開けていられないほどの光量だ。バチバチと弾けるような白い火花を纏った雷撃が、テネリやアレッシオ、ソフィアにぶつかった。
「テネリーっ!」
「あはは。わたくしももうあまり魔力が残っていなくてよ。でもあのバカ女を殺せるなら……え?」
疲れたように笑ったインヴィが、自らの放った雷撃の先を見て目を丸くする。アレッシオが全員を守るように防護結界を展開していたのだ。インヴィは予想外の光景に、口も開いたまま動きを止めた。
「僕だってこれくらいのことはできるさ。結界を張ったまま、仲間を守るくらいのことはね! ……本音を言うとちょっと緊張したけど」
「あの人はバカ王子だって聞いてたのよ、まるで有能みたいじゃないの……」
インヴィがわなわなと唇を震わせて、後退するかのように足をもがかせる。
「失礼だな、僕は有能なのに。だってほら、言った通り聖騎士団が入って来た」
アレッシオはすっかり開ききった門を手で指し示す。一斉に突入しようとする聖騎士団を、中心で率いているのは先王フェデリコだ。アレッシオと同じ純白のマントがよく目立つ。
「リサスレニスの友を守れぇっ!」
「おおおおおおおおおお!」
剣を掲げたフェデリコの掛け声に、聖騎士団が、そして敷地の外を囲む民が、呼応して鬨の声をあげた。
「そん、な……」
「終わりだ、曇天の魔女インヴィ」
服は元々ボロボロだったが、テネリに燃やされて見る影もない。髪も焼け落ち、肌は火傷が痛々しい。しかし少しずつ治癒しているように見え、それがレナートには腹立たしかった。
今ここで必ず決着をつけなければ。レナートは剣を握り直して構えた。
「テネリは侯爵閣下に『殺すな』と言ったのでしょう? ええ、でもわたくしはあなたに殺してほしい」
「どういうことだ」
「魔女だもの、わかるわ。あなたはきっと、生涯わたくしを忘れられなくなるはずよ。テネリはそれが悔しくて悔しくて仕方がないの。ふふ、さいごに嫌がらせができるなんて、素敵ね」
インヴィから敵意は感じられない。死を覚悟した瞳に嘘もない。だからこそ余計に、その笑みは気味が悪かった。
「お前は過去に殺した人間を覚えているか?」
「いいえ、魔女は何百年と生きるのよ。わたくしが覚えているのはイグナスただひとり」
「俺も、これから何百年と生きるんだ」
「え……」
レナートの淡々とした言葉に、インヴィは言葉を失った。真意を探るようにレナートの翠の瞳を見つめ、そしてソフィアやアレッシオに守られながら横になるテネリへ、視線を移す。
「まさか誓約を――」
「おまえは誰の心にも記憶にも残らない」
「ダメよ! 認めない、認めなくてよ!」
少しずつ、本当に少しずつインヴィの姿が薄くなっていく。僅かな魔力を振り絞って変化しようとしているらしい。
レナートが剣を振るう。目視ではほとんど霧のように薄くなったインヴィの首だが、レナートの剣は確かに実体を捉えた。翠の目の力を剣にまで纏わせ、術を無効化しているのだ。
「なん、で……」
インヴィが最期に見たのは、愛した翠の瞳ではなく青い青い空だった。
「ああ、次は」
言葉はそれ以上続かず、ころりと首が落ちる。インヴィの死を悟ったかのように薔薇の拘束が解け、身体がドサリと音を立てて倒れた。バサリ、と屋根にとまっていたカラスが翼を広げて飛び去った。




