第86話 魔女は魔女を追い詰める
インヴィから守るために、ガスパルを覆うように絡ませていた薔薇を解く。目が合うや否やテネリを睨みつけるが、その表情は苦しげだ。首筋には血の赤が見える。
テネリはカバンから外傷用の塗り薬を取り出して、ガスパルに放り投げた。
「だから逃げればよかったのに。まぁそんな暇なかったか。それ塗って、どこかに隠れておとなしくしてなよ」
「魔女の施しなど受けん!」
転がった薬に見向きもせずそっぽを向くガスパルに、テネリは大きく息をついた。放っておけばこのまま失血死するのが目に見えている。インヴィを追うべきだと頭ではわかっているのに、テネリの足は動かない。
「ああもう! どうせ死ぬなら私と関係ないとこで死んでよね。屋敷の外は聖騎士団が包囲してる。そこに連れてくから手当受けてさ、自分が何をしでかしたかよく考えながら死にな」
まだ何か言いかけたガスパルを、相手をしている暇はないと言い捨てて呼び出したカーペットに乗せた。次いで、テネリもその横に飛び乗る。
「結界の外に運んだらすぐ戻るから、聖騎士団には自分で説明して……って、あーっ杖が! もーほんっと最悪」
窓を飛び出した拍子に、痺れの残る右手から杖がこぼれ落ちてしまった。どこにインヴィがいるかもわからない今、拾っている余裕はない。先にガスパルを外へ連れ出すことにして、そのままカーペットを走らせる。
「仲間はどこ? インヴィに見つかったら殺されちゃう」
「知ってても言わん。俺たちは死ぬ覚悟でやっているんだ」
「は? 死にたいなら勝手に死ねばいいけど、インヴィが力を取り戻したらどうなるかわかんないほど馬鹿なの? 呆れた」
「交渉の邪魔をしたのはお前だ!」
あっという間に結界を越え、テネリは門前にガスパルを転がした。聖騎士団の副団長が走り寄り、離れたところで屋敷を見つめる民衆たちの視線が集まる。ここへ来た時とは違う、深紅に変じた髪色を指さす者も少なくない。
けれども怒りに染まるテネリの瞳にそれらは映らない。ただ身勝手なガスパルの胸ぐらを掴んで引き寄せ、怒鳴った。
「失敗した場合のことを何も考えないで、リサスレニスの民を窮地に立たせたことを反省しろって言ってんの!」
「なっ――」
「覚悟ってなに? マルコはあんな死に方するために騎士団に入ったんじゃないでしょ!」
「テ、テネリ様! 中の様子は……っ」
駆け寄って来た副団長が声を掛ける。テネリは小さく息をついて顔を上げた。空気に触れた目元がひんやりする。
「思ってたより良くないね。でもどうにかする……から、この人の手当をお願い」
不安そうな表情の副団長とテネリの視線が交差したとき、屋敷から男の悲鳴があがった。テネリは舌打ちをしてカーペットに乗りこむ。
「結界がいつまでもつかわかんないから、絶対誰も近寄らせないで!」
叫びながらテネリの身長の3倍くらいありそうな高い金属製の柵を越え、声のした方へと向かった。
「インヴィの、言う通りだ」
宙を走りながら弱音がこぼれる。
インヴィは、思っていたよりもずっと狡猾で強い。杖もないし、天候操作と領域創出で魔力もかなり失った。経験不足も嫌というほど思い知らされた。もう、ここへ来る前と違ってテネリの心は不安と恐怖でいっぱいだ。
それでも……。
「だ、誰か」
敷地内に戻ってからほどなくして、先ほどの悲鳴の主と思われる男の声がすぐそばから聞こえた。
よく見ればエントランスと門とをつなぐアプローチを、足を引きずりながら必死に歩く男がいる。深緑のマントを羽織る若い騎士だ。その後ろをインヴィが足早に追い、もういつ捕まってもおかしくないほどの距離にいた。
「あーもー、こういうのガラじゃないのに!」
杖がない状態で魔法を使ったら、男に当たってしまうかもしれない。テネリは急降下して、男とインヴィの間に飛び降りる。
男を仕留めようとしたインヴィの爪が、テネリの胸をえぐった。痛みが走り、テネリの口から小さく呻き声が漏れる。
「テネリ! また邪魔するのね!」
「ひっ、ひぃっ!」
「そのまま逃げて!」
若い騎士は、突然空から現れた別の魔女に驚いてその場にへたり込んでしまった。しかしテネリがインヴィと敵対する存在である、と理解するとすぐに起き上がって駆け出す。
「ああ本当にイライラさせてくれるわね」
「魔女からは生気を奪えないんだ、残念だったね」
そう言いながらテネリは胸を押さえ、肩で息をする。思いのほか傷が深かったのだ。インヴィはそんなテネリを見下ろして笑う。
「アーッハッハ! 無様ね、テネリ。あなたは魔力を使い過ぎた上に大怪我をした。でもわたくしは、あなたが思ってるより元気よ。それに、屋敷の結界が消えかけているのではなくて?」
「……どうして魔力がないってわかったの?」
テネリは自分の身体を支えるのも困難になったのか、しゃがみ込んで細く息を吐いた。胸元はじわじわと生温い血液が広がって行く。
周囲に視線を投げて確認すれば、インヴィの言う通り結界が薄れてきたように見えた。ソフィアの限界も近いのだろう。
「フン。身を挺して人間なんかを守るだなんて、そんな馬鹿なことすれば誰だって気づくのではなくて?」
「確かにね。でも……それはちょっと間違い」
テネリが地に手をついた。バランスを崩したようにも見えるが、そうではない。何事か呟くと同時にインヴィの足元から薔薇が生まれ、瞬時にインヴィを拘束してしまった。
さらに屋敷から長く伸びた蔓が、テネリの手元へ剣を運ぶ。先ほど、領域内でガスパルが取り落としたものだ。
「無駄よ、こんなの!」
叫ぶインヴィに、手にした剣を抜いて見せる。ガスパルのために打たれた剣は重く、テネリには振り回せない。両手でゆっくりと持ち上げて、インヴィの心臓に狙いを定めた。
「変化できるならしてもいいよ。でも、またすぐに捕まえてあげる。絶対逃がさないから」
若い姿を維持するほどではないにしろ、変化もまた魔力消費の大きな術だ。ここまで来たら、どちらの魔力が先に尽きるかの勝負になる。
どうか、インヴィにももう切り札が残されていませんように。テネリはそう祈りながら剣を握る手に力を込めた。




