第85話 魔女は薔薇の舞台で迎え撃つ
「なんだ、これは」
扉が開き、テネリの作り上げた薔薇の舞台へ最初に上がったのは、腕に包帯を巻いた男だった。部屋に飛び込んで来た当初の勢いは削がれ、一面の薔薇に息を呑む。
しかしテネリの姿を見ると、拳を握って身体を震わせた。
「うわ、ガスパルか。どっか行ってくれないかな、邪魔なんだよね」
「テネリ……! 国に巣食う魔女が俺に指図するな」
ガスパルが剣を抜いてテネリに向ける。その瞳は憎悪に満ち、並の人間なら竦んでしまうことだろう。だがテネリは、ポミエル村に腰を据える前に放浪した日々を思い出した。
魔女とわかると殺意を隠さない人間ばかりだった。男たちは武器を持ち、女子供は石を投げる。ガスパルはそんな彼らの瞳と同じ色をしている。
そこへガスパル以上の殺気を放つ女、インヴィが現れた。
「確かに邪魔ね」
「危ない!」
インヴィが腕を振り上げるより早く、テネリが杖を振る。薔薇がガスパルを引き倒し、別の薔薇がインヴィの腕を抑え込んだ。ガスパルの手から剣が落ち、下敷きになった薔薇の花びらが散った。
舞台上の薔薇はテネリの思うがままに動くのだ。まるでテネリが戯曲家であるかのように。
「な、なんだっ?」
「ああっ! 忌々しいテネリ!」
薔薇はガスパルを拘束して、そのまま舞台の端へと運んでしまう。一方インヴィは、自分の腕に絡みつく薔薇を魔法で焼き切った。
小さな皺の走る肌と乾燥して艶の無い髪。やはりインヴィは魔力に余裕がないのだと考えつつも、確信には一歩及ばない。テネリはその違和感が気になって、攻撃に転じられなかった。
「せっかく安らかな死を待つだけだったのに、外に連れて来られて同情するよ」
「あなたを殺して、わたくしがあなたに成り代わってあげるわ。それにそうね、侯爵閣下を誘惑するの」
「私の姿に偽装しないと選ばれないってやっとわかったんだ。でもダサいね」
ふたりの魔女が睨み合う。じりじりと窓のほうへと移動するインヴィを、テネリは杖を突き付けて牽制する。
インヴィがテネリの手元に目を留めて、フンと鼻で笑った。
「それ見たことある……リベルの杖よねぇ。あの女は本当に馬鹿だったわ。先代の聖女が死ぬとすぐにリサスレニスへ向かったのよ。だからカエルラを乗っ取るのなんてすごく簡単だった」
「黙って」
「もしかしてと思って、薔薇の魔女が死んだって言ってみたら簡単に隙を見せてくれたわね」
「うるさい!」
テネリが杖を振り下ろすと、薔薇の蔓がしなやかな鞭のようになってインヴィを襲った。しかしインヴィはまるで雲のようにふわりと霧散して形をなくし、別の場所に現れる。
「あなた、人間にばかり尻尾を振るから魔女について知らなすぎるのではない? 変化の術については知っていて?」
「魔女は火あぶりって相場が決まってるけど、おまえは首を切らないと駄目だってことがよくわかったよ」
「あなたにわたくしは捕まえられないことも理解してほしいものね」
自信に満ちたインヴィに、テネリは固さの残る動きで杖を振った。強度を持ち鋭利な刃物と化した花びらが、無数にインヴィを襲う。再び霧散したインヴィが叫んだ。
「無駄だって言ってるのが分からないのかしら!」
先ほどと同様に身体を変えて攻撃を躱しつつも、その存在感は残ったまま雲のかたまりのようになって舞台の上を揺蕩う。それはまるで人間たちが恐れる実体のない幽霊のようであった。
「この舞台はいるだけでも魔力を消費するのに、変化をするだけの力がどこに……」
青空と結界、それにテネリの作ったテネリのための魔法領域。インヴィにとっては考え得る中でも最悪の状況だろうに、その表情からは余裕さえ感じ取れた。
「馬鹿ね、こんな領域で追い詰めたつもり? まだいくらでも逃れようがあるのに、人間に媚びへつらうあなたなんかには絶対思いつかないんでしょうね」
インヴィが嘲笑いながらすっかり姿を現したとき、彼女の腕の中にはガスパルがいた。身動きのとれないガスパルは、驚愕の表情で目だけを動かしてインヴィを見ている。
「どうするつもり――っ! おまえ、もしかしてマルコも?」
「マルコってどなた? でもこの屋敷の死体ならそうね、若い男ほど生気にあふれてるでしょう。コレはもうそう若くはないけれど」
自然、杖を握る手に力がこもった。魔女の中には人間を殺す際にその生気を奪う術を持つ者がいる。魔力の総量が少ない者や、魔力消費の激しい者が好んでその術式を研究するものだ。例えば、常に若い姿を維持するインヴィのように。
「チッ……! だからそんな元気なわけ?」
「それだけじゃないのよ。あなたの薬はなかなかの効果があったし、それに美味しかったわ。思わず全部頂いてしまったほどよ」
テネリは先ほど感じた違和感の正体を知って、唇を噛んだ。マルコから生気を奪っただけでなく、騎士団の保管していた薬をすっかり飲み干してしまったのだ。
ここにいるのは魔力の枯渇した死にかけなんかではなく、恐らく十分に回復した老獪な魔女だ。それに何より……本来の老いた姿のままでいるということは、無駄な魔力消費のない全力の状態ということ。
舞台に咲く薔薇は全て、ガスパルの救援とインヴィへの攻撃に集中した。蔓がぐるりとガスパルを包んでインヴィの爪を弾く。インヴィが追撃できないよう固く鋭利な茎を何本も差し向け、また彼女の腕を拘束するためにしなやかな蔓を伸ばす。
「あら、仕留めそこなったわ」
「そう簡単にやらせないよ」
蔓にインヴィの腕と思しき手応えはあったものの、すぐ幻のごとく消えてしまった。茎も霧状になった彼女を刺し貫くことはできていない。
ガスパルのものと思われる血が散ったが、インヴィの言うとおり無数の薔薇から彼の生体反応を感じる。ただ、彼の場合は少量の出血さえ危険なはずだ。
「あーはっはっは! 領域さえ維持できないような実戦経験もないガキを後継者にするなんて、リベルはどこまでも二流ね」
テネリの領域魔法では、窓やドアといった出入り口に高密度の魔力を張り巡らせることで疑似的な結界を作ることができる。しかしガスパルを助けるため、テネリはそれを解除してしまったのだ。
霧となったインヴィの気配が薄れていく。再び領域を構築しようとしたテネリの右手に、痺れるような痛みが走った。知らぬうちにインヴィの攻撃を受けていたらしい。
「あーもうー!」
インヴィを追いかけるため一歩踏み出したとき、テネリはガスパルの存在を思い出して振り返った。




