第81話 魔女は王子様と合流する
テネリたち一行がドゥラクナを出て、2時間以上が経過した頃。聖都まであと数十分ほどで到着するかというところで、テネリは移動をやめてその場に滞空した。
レナートは動かなくなったカーペットから地上を見渡して言う。日はすっかり顔を出している時間だが、それを雲が覆い隠しているせいで街は薄暗い。
「どうした、何かあったか?」
「鳩が戻って来る」
テネリが言い終えるや否や、灰色の鳩が飛んで来てテネリの脇に降り立った。嘴には紙片が挟まっている。
「アレッシオから返事だね」
テネリがそれをレナートに差し出すと、レナートはざっと目を通してから読み上げた。その瞳は怒りを押し殺しているかのように鋭い。
「ええと……『要点だけ書く。今日未明、曇天の魔女および聖女の失踪が確認された。魔女との内通の罪で拘束していたベリーニを含む貴族派の要人は、未だ牢にあり。ふたりの行方は捜索中。ただし都市内で原因不明の爆発音や光が確認されており、関連を調べている。至急、協力者殿を伴い城へ戻られたし』、だそうだ」
「えっ……。ソフィアもいなくなってるの?」
「でも、聖女宮は結界で囲んであったわよね。聖都に来たばっかりの頃、空っぽ頭があの結界に引っ掛かるんじゃないかと思ってひやひやしたから覚えてるわ!」
ミアはレナートの頭の上に乗って手紙を覗き込んでいる。鳩はふたりと一匹の頭上をくるりと回ってから、どこかへ飛んで行った。
「そうだ。城内の結界は魔女だけでなく部外者全てを弾く。だが、その結界は壊されていないんだ」
「裏切り者がいるってことだね。少なくとも、警備や結界をかいくぐって魔女を連れ出すか、薬を飲ませた人が」
鳩に手を振って見送ったテネリは、眉を寄せつつ急いでカーペットを走らせる。何もないとは思っていなかったが、ソフィアの失踪は予測した中でも最悪の部類に近い。
「一方でベリーニたちを救出していないということは、彼らの誰とも深い関わりのある者ではないということだな」
「あらぁ。政治ってそういう人間の思惑がいろいろ絡まって面倒だわ」
猛スピードで飛ぶカーペットの上で、テネリを風除けにしたミアが毛流れを整えながら言う。
テネリはレナートからプレゼントされた、厚手のストールをぐるりと体に巻き付けた。今回のデートでテネリはいつものカバンひとつを持ってきただけだったが、食事も衣類も全てレナートが準備してくれていたのだ。テネリに人の心を教えるための突然で計画的な旅、だったのだろう。
あんな風に感謝されてしまっては、テネリはもう人を守る側の立場にならざるを得ない。それだけの力を持っているのだから。そして、感謝を嬉しいと思ってしまったのだから。
「誰が犯人でもいいけど……先ずはアレッシオと合流だね。原因不明の爆発ってのはインヴィの魔法だと思うから、詳しい状況を確認しないと」
そう言う間にも、地上にそびえる城がどんどんと近くなってきた。敷地の中でひときわ人の集まる場所がある。よく手入れのされた緑の庭園だ。
「降りるなら聖王の庭だな。非常時で全ての門が封鎖されているだろうし、あそこなら周囲からも見えづらい」
「だね、アレッシオも庭で待ってるみたい」
近衛の所属を表す銀朱色のマントの他に、アレッシオの手駒である親衛隊の濃紺のマントが並んでいる。聖王の庭にアレッシオがいることは間違いないだろう。
ゆっくりと高度を下げて庭に降り立つと、近衛や親衛隊の騎士たちに囲まれた。しかしその全員が一糸乱れぬ動きで、敬礼を意味する握った右の拳を胸にあてるポーズをとったことで敵意はないことを知る。
テネリはふにゃりと笑ってレナートを仰ぎ見た。
「魔女歴が長いとすぐ警戒しちゃって駄目だね」
「まぁ、仕方ないな。警戒せずにいられる生活はもう少しだけ待ってくれ、必ず実現させ――」
「来てくれたか、思っていたより早くて助かるよ」
レナートの言葉は出迎えた人物によって遮られる。
テネリとレナートが声の主へ向き直ると、王太子アレッシオが疲れた顔で笑っていた。
「早速だけど状況教えてよ」
「アハハ、いやー困っちゃったよね。大きな雷の音で目が覚めたと思ったら、罪人が消えたって言うじゃん。聖女までいなくなっちゃってさ、頼れるのがもう魔女しかいないんだからホントさあ」
「はぁー? 私は人間がインヴィをちゃんと罰するって言うから預けたのに、何やってんのって感じなん――」
へらへらと笑うアレッシオに怒鳴りつけようとするテネリを、レナートがぎゅっと強く肩を抱いて止めた。
「アレッシオ、今は本音で話をしないと。全てに警戒していたら、真に必要な力も得られないよ」
「え、あの人ほんとにいつも本音じゃないの? ヤな奴だなーって思ってたけど」
「普段は半々かな。頭の悪い、軽薄な王子様を演じるほうが動きやすいと小さな頃に学んでしまったようでね」
呆れたように眉を下げたレナートの瞳に、主従とは違う親愛の色が浮かぶ。信じられないとテネリが口を開きかけたとき、聖王の庭にアレッシオの声が轟いた。
「テネリ嬢、すまなかった!」
「えっ、いや……えっ?」
立ち振る舞いを厳しく躾けられた王族らしく、美しい姿勢で頭を下げたアレッシオにテネリは開いた口が塞がらない。
「本当は誰もが君を笑顔で迎えるように、全ての体制を整えてから連絡するつもりだったんだよね。それが、リサスレニスのために考え得る全部を捧げてくれた君への、最低限の礼儀であり感謝だと思ってたんだ」
「そうなんだ」
「ああ、それがこのザマだもんなぁ。情けないよ。本当に申し訳ない。君の大切な想いを預かってたのに、みすみす逃がしてしまった。それにソフィアも……。頼む。今一度、リサスレニスに……僕に力を貸してもらえないかな。なんとしても、ソフィアと国民を守らなくちゃいけないんだ。都合がいいのはわかってるけど、それには君の力が必要だからさ」
小さく首を傾けたアレッシオは、テネリが今までに見た中でも最も弱々しい表情だった。
テネリは何も言わずに俯く。アレッシオがこんなにも素直に気持ちを吐露し、さらには魔女に頼み事をするとは思わなかったのだ。
それがテネリには、楽しくて仕方がない。
「……ぷっ、あはは! ごめん、アレッシオが困ってるの見るのすごい楽しいね!」
「へ?」
目が点のようになったアレッシオを見て、レナートもどうにか笑いを耐える。
「面白いもの見せてもらったからもういいや。さっさとインヴィやっつけてソフィア連れて帰って来よう」
やはり他人の弱り顔は魔女の好物だ。こればかりは変えようがない。ただ、今までよりもほんの少しだけアレッシオに親近感を持てるようになった気がした。




