第80話 魔女は夜中に飛び起きる
「なにっ?」
テネリはどこかで莫大な魔力の放出を感知して飛び起きた。張り付く夜着の気持ち悪さに、嫌な汗をかいていると気づく。
「ん、どうかしたのか」
「どうせネズミに指を齧られる夢でも見たんでしょ、昔からよく見るみたい。だからネズミが大っ嫌いで――」
心配そうな顔で起き上がったレナートに、テネリの足元で丸くなっていたミアが答える。
テネリはそれに返事をせず、ベッドを降りて窓辺へ向かった。
「こら、身だしなみくらい気を付けてくれ」
乱れた夜着に慌ててレナートが毛布を被せる。それさえ気にせずテネリが窓を開けると、冷たい風が入ってきた。ここは湖のそばのせいか昼間でも空気はひんやりしていたが、夜はもっとだ。汗ばんだ薔薇色の髪が重く揺れた。
「あ……、また」
「どうしたんだ、一体?」
レナートが横に並び立ってテネリの顔を覗き込む。
「インヴィが生き返ったと思う」
「なんだって?」
「あのオンナ、魔力探知できるくらい近くにいるの?」
ミアがレナートの肩に飛び乗った。しかしテネリはゆっくり首を横に振る。
「ギリギリ探知できただけだけど、そもそも探知できるのがおかしいんだよ。魔法を使える状態にあって、さらに結界の外にいるってことでしょ。明日が処刑執行日だから先に外に出したの?」
「執行場所は城から目と鼻の先だし、前日に牢から出す必要はない。薬を飲ませる予定もなかったはずだ」
室内に沈黙が落ちた。
最初に動きだしたのはレナートだ。窓を閉め、テキパキと外出の準備を進めていく。テネリにも外出用のワンピースを差し出した。
「俺は聖都へ戻るが、君はどうする」
「わ、私も戻るよ! インヴィを自由にさせるわけにいかないんだから」
「ああ、そうだな」
テネリの言葉に、レナートは小さく笑って頭を撫でる。彫刻のように端正な顔を見上げて、テネリは頬を膨らませた。
「準備おわったら、アレッシオ宛に送るから手紙書いてよ。返信で状況を報せてもらえたら万々歳だし……」
「了解した」
もし使い魔が手紙を渡すことなく戻って来たら、という言葉は飲み込んだ。もし渡す相手を見つけられなかったならそれは、相手が鳥一羽さえ入れない完全な密室にいるか、死んでいるかだ。どちらにせよ、想像することさえ憚られるような緊急事態に違いない。
テネリは背中を向けた書き物をするレナートの上着から、懐中時計を抜き取った。深夜と早朝の中間。これを朝と呼ぶ人の方が多いと知ってはいても、テネリにとってはまだ夜だ。時計をベッドに放り投げてから、夜着を脱ぐ。
何もなければいいと思う一方で、それが希望に過ぎないこともわかっている。こんな夜か朝かもわからないような時間に、処刑直前の囚人を外に出すはずがないのだから。
着替えを終えたテネリは再び窓を開け、まだ暗い外に杖でくるりと宙に円を描いた。
「はとはとぽっぽー、おつかいおつかい、はとぽっぽー」
「……ぶっ。なんだそれは」
「えー? お使いしてくれそうな鳩呼んでるの!」
「ね、力が抜けるでしょう」
ミアが先ほどまでテネリが寝ていたベッドの上で、毛布に潜り込みながら小さく溜め息を吐いた。レナートは何が気に入ったのか、お腹を抱えて笑い転げている。
「詠唱ってのは術式を自分がちゃんとイメージできればいいんであって――」
「はいはいわかったわよ」
ミアとテネリは今までにも数え切れないほどこのやり取りをしたが、何を言われても変わることはなかった。子どもっぽい詠唱はリベルを笑顔にしたからだ。
テネリももう何も言い返さず、飛んで来た灰色の鳩と使い魔の契約を結んだ。
「いや少し神経質になっていたからちょうどよかった。しかしテネリはソフィアのように決まった鳩がいるわけではないのだな」
「動物の寿命なんて一瞬でしょ。それを何年も拘束したら悪いからいつもその場限りだよ。でもソフィアにとってあの鳩は最初の使い魔だから、契約に慣れるまで付き合ってくれる子にしたんだ」
「なるほどな」
立ち上がったレナートは、封筒にさえ入っていない紙きれを差し出した。手紙の内容は簡単なもので、すぐに聖都へ向かうことと状況についての報告を依頼するのみだ。
テネリはそれを小さくたたんで、ソフィア、アレッシオ、そして先王フェデリコの名を呟きながら杖で二度叩いた。
「今のはなにを?」
飛び立つ鳩を見送って、レナートが問う。
「秘匿の魔法で、指定したヒトにしか文字が浮かばないようにね。基本的に使い魔は本人にしか手紙を渡さないけど、渡したあとで誰かに奪われたり覗き見られたりしたときのためかな」
「聖王陛下の名は含まれないのだな」
窓を閉めると、ミアがテネリのカバンの中に入って「ニャア」と鳴いた。荷物はレナートが全て持ったため、テネリはドアを開けて先を歩く。
「だって王様は私のこと信頼してないじゃん、私も信じないよ」
「クッ……フフ。きっと陛下は拗ねるぞ。最近はテネリにどう接したらいいかと悩んでらしたからな」
他の部屋の客を起こさないよう小声で話しつつ外に出て、杖を振ってカーペットに乗り込んだ。
「王妃陛下に教えてもらえって言っといてよ」
「ああ、そうだな。そう言えるように問題は全て解決してしまおう」
早起きの民を驚かせないよう、テネリは高く高く舞い上がって聖都を目指した。




