第8話 魔女はオススメ料理をいただく
3人の前に皿が並ぶ。羊肉の串焼き、薔薇の形にくるりと巻かれた生ハムの乗ったカプレーゼ、それにドゥラクナ領の名を冠したマリトッツォ・ドゥラクーノがそれぞれ一人前だ。店の好意であらかじめ三等分してあった。
「いくらピークタイムにはまだ早いとは言え、こんなに空いてるのは初めて見ました」
ソフィアがテーブルの中ほどに顔を寄せて小声で言い、レナートも頷く。テネリはさっさとワインの入ったグラスを傾け、にっこりした。
「ここ100年の中で最高の出来栄えだね」
「10年前のものがバランスの良い味わいで最高だと言われているがな」
「ドゥラクナのワインをさいごに飲んだのが100年前なんですー!」
むきになるテネリの唇に、レナートが人差し指で触れる。ヒュッと息の止まったテネリは、ガチガチに固まりながら視線を逸らして店内を見渡した。
ランチからは随分時間が経っているし、夕食というにはまだまだ早い。複数の客が入っているだけでも上々だとテネリには思えたが、どうやらこれは異常事態らしい。
「ようこそおいでくださいました、閣下」
手が空いたのか、店主がレナートへ挨拶に訪れた。その事象ひとつでここが、レナートが身分を明かして通う「格」のある店だとわかる。
「今日は何か……イベントが?」
「いえ、実は通り一本向こうに新たにオープンした『カフェ・ファータ』さんのお味が格別とのことで。お恥ずかしい限りですが、当方は一同修行し直しです」
「そうか。それは俺も耳が痛い話だ。お互い慢心しないようにしなければな」
深く頭を下げて去って行く店主を見守りながら、レナートが嘆息する。ソフィアは店主の話に納得がいかないらしく、首を傾げてばかりだ。
レナートは綺麗なままのテーブルを見て慌ててテネリに食事を指し示した。
「温かいうちに食べてくれ」
テネリは待ってましたとばかりに、カプレーゼから順番にお腹の中に詰め込んでいく。
美味しいのは確かだが、テネリの舌は大体なんでも美味しくいただけるので、レナートが期待するようなリアクションはできない。
「どうだ?」
「ん、すっごく美味しい。……けどごめん、私は繊細な味の違いとかわかんない」
「アッハッハ! いいよ、その方がきっと幸せだ」
ソフィアが大きく頷きながらマリトッツォを口に運ぶ横で、テネリは食べる手を止めて蜂蜜色の目を真ん丸にしていた。
約半月、ほとんど一緒に過ごしていたというのに、テネリはレナートが心から笑うのを初めて見たのだ。優等生だと思っていた。それがさっき優等生の皮を被った腹黒い貴族へと印象を変えたばかりだ。
一体いくつの仮面を持っているんだろう、そう思って小さく首を横に振った。個人に必要以上に興味を持つべきではない、と。
「そういえば猫ちゃんは置いてきたんですか?」
「ミアはお留守番! 疲れてたみたいだから」
正確には敵情視察だが。優秀な警備であるミアは、テネリが風呂や睡眠等で無防備になる可能性のある場所は、先に探索するのが恒例だ。
今ごろは恐らく、屋敷の隅々まで調査していることだろう。
「じゃあ、猫ちゃんとタヌキちゃんに何かお土産買って帰ってあげましょうか」
「それはいいな。せっかくだから向こうの通りまで行ってみよう」
ソフィアの提案にレナートも同意した。こちらは新しくオープンしたライバル店に興味があるようだ、とテネリはつい苦笑する。
三等分した食事はあっという間に平らげてしまい、三人は早々に席を立った。
通りを一本ずれるとさらに通行量が増したようだった。噂の新しいレストラン「カフェ・ファータ」はなんと店の前に行列ができるほどの盛況ぶりを見せている。
これにはテネリでさえ驚いたものだが、レナートやソフィアに至っては足を止め、口をポカンと開けて見つめるほどだ。
「すごいな……」
「あっ、テイクアウトはあちらの窓口で受け付けているみたいです。ちょっと食べてみませんか?」
「うん、ミアとウルのオヤツもそれでいいや」
護衛の任に就いたために、泳ぐ子牛亭で食事ができなかった騎士二名も一緒に軽食を購入することになった。
商品の受け取りは護衛のひとりに任せ、テネリたちはベンチを探して移動する。
「店内を覗いてみましたが、本当に満席ですね」
「メニューを見る限り、奇をてらった商品で客寄せしているわけでもないようだ」
「じゃあよっぽど美味しいんだね」
テネリの言葉にレナートもソフィアも困ったような表情を浮かべる。泳ぐ子牛亭をどれだけ贔屓にしようと、ここまで顕著に差が見えていては否定できないだろうに。
困惑するテネリをよそに、懐中時計に目を落としたレナートが口を開く。
「そろそろいい時間だ。あまり観光はできなかったが、食べ終えたら戻ろうか」
「はぁい」
「テネリ、伯爵を味方につけておくだけで解決する問題はゴマンとある。それだけ覚えておいてくれ」
恐らく傍にいる護衛の耳には「下手なことをして俺の足を引っ張らないように」という意味に聞こえただろう。
だがテネリはレナートの真意を正しく読み取り、神妙に頷いた。
「お待たせいたしました」
「わあ、いい香りですね」
品物を受け取ったソフィアが紙袋を開く。ガサガサという音とともに、肉汁やハーブの香りが辺りに漂った。
腹をすかせた騎士が我先にとソフィアの手から品物を受け取り、同じくテネリもパニーノを奪うようにもぎ取る。
「驚いた、まだ腹が減っていたのか?」
「そうじゃなくて、これ、えっと」
テネリは包みを開いて具材をつぶさに確認した。匂いを嗅ぎ、ソースを舐め、挟んである葉っぱを摘まんで齧る。そしてレナートの耳元へ口を寄せた。
「これ、魔女の薬が入ってる」




