第78話 聖女は見知らぬ部屋で目を覚ます
ソフィアがベッドとは違う固く冷たい感触に目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。高価な調度品が並ぶことから貴族の応接室のようだが、持ち主が誰かはわからない。
護衛だったはずの男女が、ソフィアが目覚めたことに気づいて動きだす。男が部屋を出て、女は剣を抜いた。切っ先はソフィアに向けられているが、彼女の目はソフィアの指先を見つめている。
「ここは一体どこです……? どうしてこんなことを」
ソフィアが問いかけても返事は無い。ただ指先の一点を見つめるその表情は、まるで叱られるのを恐れる子供のようだ。
ほどなくして、複数の足音が近づいて来た。その中でもずっしりと重い音をさせているのは、大柄な男で……恐らくソフィアの腹を殴った人物だろう。
「お目ざめですか、聖女様」
扉が開くと同時にガスパルの声。夜の静けさの中で彼の太い声は室内によく木霊した。ソフィアは警戒しつつ、状況を理解しようと思考を働かせるがそううまくはいかない。
向けられていた切っ先は静かに持ち主の腰へ戻った。
「ええと、まだ混乱していて……」
「聞きたいことは大体わかるが、貴女が知っておくべきことはひとつだけです。『死にたくなければおとなしくしていろ』」
「え……」
ソフィアは、師匠ならこんなときどうするだろうかと考えた。使い魔のミアは彼女を「空っぽ頭」だと揶揄するが、頭の回転は早いし決断力もある。彼女ならきっとこれだけの情報でも、正しくやるべきことや聞くべきことを見つけられるはずだ。
「曇天の魔女を解放するおつもりですか」
「……魔女が条件を飲めばそうなるでしょう」
絞り出した質問に、ガスパルは渋々ながら頷いた。さらにソフィアが何か言おうと口を開きかけたとき、凍り付いてしまうかと思うほどの寒気が襲った。
「テネリ! テネリ! テネリぃぃいいいっ!」
獣の咆哮のような声が建物のどこかから響き渡り、直後に爆発音が耳をつんざく。窓の外が真昼のように明るくなって、それが雷鳴であったと知った。
インヴィが雷撃を得意とするらしいことは、ソフィアもテネリやレナートから報告を受けている。テネリの名を叫ぶことからも、獣の正体はインヴィなのだろう。
「おい、何が起こってる?」
「まさか、薬を飲ませたのではありませんか?」
ガスパルは共にやって来た部下らしき緑のマントの騎士団員――青灰色のマントは聖騎士団、銀朱色は近衛、そして深緑のマントが騎士団だ――に状況を確認するが、誰もが狼狽えていて明確な回答ができる人物はいない。
しかしただひとりだけ、ソフィアの問いにかろうじて頷いた。
「こ、こちらへ到着してすぐに。と言っても、先ずは話ができれば良いので一口分だけです」
「いいえ! テネリ様からは、ひと匙でさえ注意するようにと言われていました」
ベリーニ伯爵を筆頭にインヴィと関りのあった者たちを捕らえて以降、地下牢の警備は全て聖王派の騎士たちに任せていた。薬の管理も同様だ。まさか彼らが寝返ろうとは誰が予想しただろうか。
話している間にも建物のどこかから物が壊れるような音がして、ソフィアは唇を噛む。と、そのとき深緑のマントを羽織った男たちが数名、息を切らして部屋へ入ってきた。
「隊長! 魔女は興奮のあまり言葉を理解できる状態ではありません!」
「滅多矢鱈に魔術を繰り出して、近づくこともできません。怪我人も複数」
「チッ」
「怪我人ですって?」
報告を受け、ガスパルが舌打ちをし、ソフィアが叫ぶ。腰の剣を抜いて部屋を出ようとするガスパルを、ソフィアが呼びとめた。
「ガスパル様、どちらへ? 魔法に対抗できないのは貴方も同じではありませんか!」
「放っておくわけにもいかん!」
「ですから私が――」
「静かに」
ソフィアがついて行こうと立ち上がったとき、ガスパルは口元に人差し指をあてた。
静寂の戻った応接室に、どこかから耳障りな音が聞こえてくる。
「聖女……聖女がいるって言ったわね……。こっち……?」
石をこすり合わせたような、ジャリジャリと聞き取りづらい声が近づいてくる。それはもう、壁を一枚隔てた向こう側にまで迫っていた。
自分に向けられる強い負の感情に、ソフィアの心臓が早鐘を打つ。
その刹那、負の感情というべきか強い魔力というべきか、魔女としての歴史の浅いソフィアにはわからない何かが壁の向こうで膨れ上がったのを感じた。
「きます!」
ソフィアが両手を重ねてぎゅっと握ると、夕暮れの日差しのような暖かな風が周囲の人間を包み込む。
テネリがまだ城に滞在しているうちに、念のためにと教えてくれたのがこの結界だ。彼女は、騎士団の修練用に使うヒトに見立てたダミーに魔法で攻撃を加え、ソフィアにそれを弾かせるという練習をしていた。
本人は自身の力加減の練習だと言っていたが、いつかソフィアが他の魔女と対峙する可能性を考えていたに違いない。
「うわ……っ!」
爆発音と同時に壁が壊れ、何も見えなくなるほどの白く眩い閃光がソフィアたちの視界を奪う。壁の崩れる音や光が止み、人々が正常な視界を取り戻したとき、インヴィと思われる女はへたり込んで肩で息をしていた。
魔力がほとんど残っていない様子のインヴィに、ソフィアは結界を解く。突然のことに驚いて最高レベルの結界を張ってしまったため、持続させるのは現実的ではないのだ。
「これさえ効かないなんて忌々しい……!」
砂ぼこりの中に、じゃりじゃりとした耳障りな声がこぼれ落ちた。




