第75話 魔女は聖騎士様とデートする
「お嬢、ご指名だぞ」
料理長がガハハと笑いながら事務室へ顔を出した。ちょうど仕分けを終えた伝票の束を所定の位置に戻して、テネリが顔を顰める。
「毎日ヒマなんだね」
「そう言って、嬉しそうだけどな」
「はっ? え、全然嬉しくないし! さっさとご飯作りなよね!」
豪快な笑い声を残して料理長が部屋を出て行くと、テネリは鏡で髪を整えてから「嬉しくないし」と呟いた。普段より輪をかけてぎゅっと眉を寄せながら、ホールへ向かう。
従業員用の出入口からほど近いカウンターに綺麗な顔立ちの男が座っている。ここ4日の間、欠かさずこの席に座るせいで常連の客から「侯爵席」と呼ばれていることを、本人は知っているのだろうか。
「毎日まいにち、よくもまぁ。仕事辞めたの?」
「いや、休暇だ。いつもより少し早いようだが、俺に会いに出て来てくれたのか?」
「まっさか! 支配人に次の仕事を……」
レナートはこの4日間ドゥラクナ伯爵の屋敷に滞在し、テネリの仕事が終わる頃にやって来ては軽食をとっている。そしてテネリを観光に連れ出すのだ。
貞節という言葉の本来の意味を知ったテネリは、レナートとの距離の取り方に戸惑っていた。性的な接触ができないから、生きる時間が違うから。だから彼と結ばれることはないのだと思っていたのに、誓約を持ち出す彼の前ではそのどちらも解決してしまった。
「ああ、それでしたら今日はもう終わりで結構ですよ。この後、店の警備についてドゥラクナ家の方とお話があるので、ワタクシは店を離れますから。明日はお休みでしたね、どうぞごゆっくりなさってください」
レナートにパニーノを運んで来た支配人は、そう言って一礼すると忙しそうに立ち去ってしまった。
「だ、そうだ」
「警備増やすようになったの私のせいなのに、なんだか申し訳ないな」
薔薇の魔女が勤務していると知れて、店を取り巻く環境は一変した。テネリの予想に反して人々は好意的に接してくれたし来客も増えたが、誰もが魔女を受け入れたわけではない。石を投げ込んだり脅迫めいた文書を送り付けたり、店内で暴れたりする者もいるらしい。
もちろん、テネリの自宅にもそういった輩はやって来る。が、治安維持の名目でドゥラクナ家の私兵が周辺を警備してくれているのだ。
「それなら気にしなくていい。君が魔女だと明かしたのは俺だからな!」
「支配人や料理長の分まで殴ってあげたい」
「さあ座って半分食べてくれ。今日はきっと忙しくなるぞ」
レナートはナイフを器用に扱ってパニーノを半分にすると、皿をテネリのほうへ押しやった。
テネリが真名の真実を知ってから、レナートはテネリに触れなくなった。婚約の継続についての話もしないし、聖都へ帰ろうとも言わない。それはまだ動揺しているテネリにとってありがたくもあり、でもどこか寂しくもあった。
「どこ行くの?」
「デートに前向きで嬉しいな」
「そっ、そうじゃないし。ていうかそんな気障なこと言うキャラじゃなかったじゃん」
レナートはそれ以上なにも言わず、パニーノにかぶりつくテネリをニコニコと眺めていた。
その後、自宅でミアを拾ってから馬車に揺られること2時間。
双竜の伝説が有名で名前にもなっている双竜湖は、ドゥラクナでも最も人の集まる観光地だ。だが中心部から外れたところは、ぶどう畑の広がる農村地となっている。
その片隅にある修道院が目的地だ。小さくも大きくもないその施設には、孤児や療養者が多くいるのだと道中でレナートが言葉少なに説明していた。
「ようこそおいでくださいました」
迎えに出た院長の案内で、テネリとレナートは敷地の中をぐるりと歩く。
慈善事業は貴族の責務のひとつだ。これはレナートの仕事なのだろうかと考え、しかしここがドゥラクナ領であることを思い出してテネリは首を傾げた。
「こちらです」
いくつかの建物を通り過ぎて院長が立ち止まったのは、人々の病気を治療するために使われる施設「施療院」の看板が掲げられた建物の裏手だ。運動をしたり気分転換をしたりするための中庭があるらしい。
ふわりと微笑むレナートに、背中を押されるようにして前へ出る。
思い思いに過ごしていた患者と思われる人々が一斉にテネリを振り返った。
「魔女だ……」
誰かが呟く。テネリの身体が強張った。思わず左手でレナートの手に触れると、温かい手が力強く握り返した。
青白い顔をした患者たちの中から、ひとりの男が一歩前へ出てテネリを見つめる。
「ありがとうございます!」
「へ?」
突然深く頭を下げた男に、テネリの金色の目が真ん丸になった。石を投げられる心の準備をしていたのに、まさか礼を言われるとは。
「薔薇の魔女!」
「リサスレニスの善なる魔女!」
人々がテネリの前へと集まって来る。その瞳はどれも輝いていて、手には石も棒きれもない。
「えっえっ?」
「よく見るんだ。これが君の行動の結果だよ」
レナートはそれだけ言って、口を噤んでしまった。テネリの傍から離れることこそなかったが、人々に揉みくちゃにされるテネリをただニコニコと眺めていた。




