第70話 魔女は新生活の第一歩を踏み出す
聖都へ戻ってから早くも十日が経とうとしていた。テネリは慣れた様子で王宮内を歩き回り、王太子宮へ渡ってアレッシオの執務室へ入る。
部屋にはアレッシオとソフィアがおり、ふたりは笑顔でテネリを迎え入れた。
「あの様子ならあと最低半月は放っておいても大丈夫だと思う」
「魔女のミイラが出来上がりそうだね」
テネリの報告を受けてアレッシオが笑う。
ここ数日はインヴィの処刑について貴族たちが顔を突き合わせて議論している。テネリは日課のように石化状況を確認していたが、処刑も間近となって最後の確認に来たのだ。
「ご飯どころか水も飲ませてないし、生命維持に魔力全部使ってるかも」
「死ねないってのも難儀だねー」
呟くアレッシオに、ソフィアが頬を膨らませてクッキーを投げつけた。テネリにとっては驚きの光景だ。どうやらいくつかの困難を二人で乗り越えて、絆が強くなったらしい。
「で、公開処刑って聞いたけどほんと? やっぱり魔女には容赦ないね、裁定も早いし」
「国が受けた被害を考慮すれば足りないほどだと聞きました。でも魔女の首を晒しても民が怖がるだけですし、民衆の前で処刑して終わりなのだそうです」
「ベリーニを筆頭に、インヴィと関りのあった者は大体捕縛したんだけどね。魔女に彼らが何をしたか証言してもらったら話も早いんだけど、治療するリスクを取るほどでもないしさ」
ソフィアとアレッシオが口々に説明する。
インヴィの手駒となった人物については、レナートの母アンナが得意の社交術と侯爵家の調査部隊を使って調べ上げていた。とはいえ敵も力のある貴族たちだ。主犯の供述が得られたほうが、スムーズに罪を問えるはずだと言う。
「そうだね。必要なら、私が作った薬を飲ませれば喋れるようにはなると思う。でも前にも言った通り一気に回復するかもしれないから、そのへんは自己責任で」
「念のため、悪用されないよう薬は騎士団にでも預けておこう。でも飲ませるつもりはないよ」
「うん、それがいいよ。……あ、騎士団といえば、最近なんか戦もないのに怪我してる人よく見るね」
テネリが思い出したように言うと、アレッシオは緊張を解いたのかリラックスした面持ちで笑った。
「アハハ、もしかしてレナートが厳しくしてるのかな」
「ちがう、聖騎士団じゃなくて騎士団のほうだってば。ま、いいや。それじゃあ私もう行くね」
一気に紅茶を飲み干してカップを置くと、その勢いのままに立ち上がる。
今の聖都にテネリの力はもう必要ない。いつまでもアルジェントの屋敷に留まる気にならず、他の土地へ向かうことにしたのだ。
「本当によろしいのですか?」
「うん。困ったらお手紙ちょうだい」
「婚約の解消も、適当な領地を準備するのも、ちょっと時間欲しいんだよね。インヴィの件と、カエルラとの協定をどうにかしてからじゃないと動けないんだ」
ぽりぽりと頭を掻いたアレッシオに頷いてみせる。テネリが半永久的に暮らせる土地を用意してもらう約束をしていたが、国の状況を思えば後回しになるのも仕方ないことだ。
婚約の解消については、テネリの代わりに手続きを進めてもらえるよう依頼していたものだ。レナートが条件として提示した「正規の方法による婚約破棄」は、父であるブローネ伯爵がレナート側の人間であるため動いてもらえなかった。そこでアレッシオを頼ったというわけだ。
「いいよ、ドゥラクナでバカンスしてるから。ミアもあそこのパニーノ気に入ると思う」
「ああ、料理長も大歓迎だって言ってたよ」
土地が準備できるまでは、ドゥラクナに小さな住居と勤務先とをアレッシオが手配してくれている。なんと泳ぐ子牛亭での雑用係だ。
料理長にはテネリが魔女であることも伝えたそうだが、カフェ・ファータの薬を解毒した「薔薇の魔女」だと知ると二つ返事で了承したと言う。
「魔女を歓迎するなんて変わってる」
「王宮の料理長だったのに独立するんだから、彼は生粋の変わり者だと思うよ。……テネリ嬢、ドゥラクナの領民が薔薇の魔女をどう思ってるか、現地でよく見ておくことだ」
ソファーに座ったままテネリを見上げるアレッシオの瞳は、いつになく真剣だった。いつものように軽口を叩く気にならず、素直に頷く。
と言っても、魔女が人々にどう思われているかなど十分すぎるほど知っている。200年生きて来たのだ。天性の強さと、リベルやポミエル村の住民のおかげで平和な200年だった。だが多くの魔女にとってはそうではなかったし、彼女たちがどんな最期を迎えたかは魔女集会で必ず聞かされた。
「レナートには言わないでよね」
「わかってる」
今日レナートは騎士団の団長会議だとかで、遅くまで屋敷に戻らないらしい。テネリは行き先を告げずに出発するつもりだ。
「カエルラのほうが終わったら教えて」
「それもわかってる」
ライアンをポミエル村へ連れ帰らなければならない。けれどもカエルラとの国家間の争いが落ち着かないことには、自由に国境を越えられないのだ。
他に言うべきことはなかったかと、右手で顎に触れながら考えたがもう思いつかない。二人に手を振って、テネリは部屋を出た。
「ミア」
「はいはい、レナートは騎士団の詰所から出てないわ。早く行きましょ」
アレッシオの執務室の前には、レナートの様子を探りに行っていたミアが既に戻って待機していた。
ミアは廊下を蹴って、テネリが開けてみせたカバンの中へ飛び込む。目指すは城の最上階だ。
「まさかお城の上から魔女が飛び出すなんて誰も思わないだろうね! 新生活に向けて、出発進行ー!」
「声のボリュームは抑えなさいよ、空っぽ頭!」
王太子宮の廊下に、テネリの笑い声が響く。




