第7話 魔女はお嬢様の振りをする
テネリ達一行はドゥラクナ伯爵直々に出迎えられ、広い屋敷へと通された。使用人たちはテキパキと荷物を運ぶが、ウルにはさすがに驚いたようだった。
「犬……?」
「少なくとも猫ではないわね」
「太ってる……?」
「あ、モコモコしてるだけみたいです、きもちいー!」
若いメイドを中心に撫でまわされ、「ヒーン」と甲高い鳴き声で助けを求めるタヌキを、テネリは見て見ぬふりをする。申し訳ないが、こちらはこちらで余裕がないのだ。
「社交期真っ只中だというのに、すまない」
「これはこれはアルジェント侯爵閣下、聖女様、ようこそおいで下さいました。皆さまを歓待できるとあらば、これ以上の光栄はありませんよ。それに――。ああ、いや、そちらの方は?」
何か言いかけた伯爵が、テネリの存在に気づいて言葉を切った。レナートに腰を支えられながら一歩前へと出て、淑女の礼をとる。
ストロベリーブロンドがサラリと肩から流れ落ちた。
「お初にお目にかかります。ブローネ伯爵が長女、テネリと申します」
「ほう……。わたしはエドアルド・ドゥラクナです。どうも丁寧なご挨拶をありがとう。ブローネ家といえばアルジェントと縁続きでしたな」
エドアルドの目が鋭く細められた。
レナートの説明によると、ブローネ家はアルジェント侯爵家の傍系で、一時は栄華を誇ったものの今は誇るものが歴史しかない小さな家らしく、社交に出ることも滅多にない。
「ああ。伯爵もご存じの通り、ブローネは質素倹約を好む家柄で公の場に滅多に顔を出さないから、驚かれたかな」
「ええもちろんですとも。いやいやこんなにも若く美しいご息女がいらしたとは。まさしく深窓の令嬢でございましょうなぁ」
エドアルドの鋭い視線は疑いから生じるものではない、とテネリは判断した。恐らく捨て置いていいものか、縁を持っておくべきか計っているのだ。
彼がどちらに傾こうがテネリにとってはどうでもいいこと。むしろ興味を持たれるほうが面倒だと考え、失礼を承知で素知らぬ素振りをしようとしたとき、レナートがテネリの肩を抱いて引き寄せた。
「彼女は長く病に臥せっていたものだから、こちらへ出てくるのは初めてなんだ」
「なるほど。ではいい時にいらっしゃいましたよ。先ほど言いかけたんだが、我が領地では今まさに祭の時期でして」
「そうか、豊穣祭があったな」
テネリには、エドアルドの柔和な笑顔の奥に計算結果が見えた。ブローネ伯爵令嬢が何者であれ、レナートの意向に沿っておけば間違いないと判断したようだ。
そしてそう判断したほうが身のためだと伝えたのが、他でもないレナートである。品行方正なだけではない、レナートの新たな一面に驚きつつも、テネリの関心はすでに豊穣祭に移っていた。
◇ ◇ ◇
「ドゥラクナへ来たら『泳ぐ子牛亭』、ですね!」
「もちろんだ。しかし伯爵が歓迎の準備をしてくれるだろうから、軽食にとどめるんだぞ」
ソフィアがピョコピョコ飛び跳ねるようにして先頭を行く。ふたりの会話は、ソフィアもレナートに連れられて何度かこの地を訪れていることを示すものだ。
ここまでの旅で、ふたりの間には「聖女と護衛」でも「友人」でもない、もっと違う関係が築かれていることがテネリにもわかっていた。ただ彼らは彼ら自身の関係を、具体的な言葉で言い表そうとはしない。
とはいえそれもテネリには関係のないこと――。
祭のせいか多様な花で彩られた街は美しく活気に溢れていて、大きな通りには行商も多く出店しているらしかった。テネリの視線は上に下に右に左にと大忙しだ。
「あれ……?」
忙しなく動いていた瞳が一点で留まる。人混みの中で一瞬だけ見えた男が抱えていたものが、魔女が用いる薬草によく似ていた気がしたのだ。
知らず知らずのうちに足も止めていたらしく、テネリの手首をレナートが掴んだ。
「ちゃんと前を見て歩かないと迷子になってしまうぞ」
「あ、ごめんなさい」
レナートに手を引かれながら、もう一度男の姿を探そうと振り返ったが、既に気配は跡形もなく消えていた。
それより、誰かに手を引かれながら歩くことがこんなにも心地いいのか、と温かい手首にばかり意識がいく。
「良いぶどうを作るのに雨は天敵なので、お天気が続くのを祈ることから始まったお祭りだそうですよ」
並んで歩き出すと、ソフィアがニコニコとテネリに説明する。
資材を運搬するための川、人々が生活するための水源である湖。このドゥラクナは聖都へのアクセスのしやすさも相まって、古くから経済の要として栄えているらしい。
「魔女がいれば雨なんて降らせないのに」
「そんなことまでできるのですか?」
「ぜんぶの魔女ができるわけじゃないけど。うん、でも天候操作なんてしたら素敵なお祭りがなくなっちゃうから、やらないほうがいいね!」
レナートを挟んで、姦しい少女ふたりが笑い合う。十日を超える旅の中で、テネリはソフィアとも十分に打ち解けていた。
当初は救世主だと言って崇めるように接していたソフィアも、テネリの飾らない性格に次第に遠慮がなくなっていた。
「さあ、ドゥラクナで最も人気の店『泳ぐ子牛亭』はすぐそこだ――」
通りの先にある店を指差したレナートが言葉を切った。その視線の先を視て、ソフィアもまた青い瞳を曇らせる。
「今日はお休み……でしょうか?」




