第69話 魔女はリサスレニスの協力者となる
光溢れる聖プリム大教会には、テネリとソフィアとアレッシオ、そして先代と当代の聖王の5人だけがいた。
レナートとの婚約式で聖司教が立っていた主祭壇の奥に、今はテネリが立っている。並び立つソフィアとアレッシオに、誓約の書に記された内容をゆっくり読み上げていった。
「――ひとつ、ソフィア・ノルドは真なる名をアリアとする。アリアは歌を旋律を空気を統べ、己の力と換えるものである。ひとつ、アレッシオ・ノーダスは初めの王カジミールの、ソフィア・アリア・ノルドは初めの聖女オフィーキアの魂を継ぎ、次の百年へ繋げていくものである。ひとつ、――」
誓うべき内容は多岐に渡る。連綿と続く誓約は百年ごとに時代に合わせたものへと改訂され、文言も増えていく。
ひとつひとつ精査してみれば、聖女や翠の目のシステムを確立するために、かなり多くのことを制限しているのがわかった。例えば空を飛ぶというような、ごく基礎的な魔法さえ使えないほど。そして制限した部分はリベルがフォローしていたらしい。
長い誓約書もついに終わりを迎える。
「――以上の誓約について、薔薇の魔女テネリ・カスティ・ローザが証人として立ち会う。異議のある者は今ここで申し立てよ。無くば両名は誓約書へ署名を」
テネリは先ずソフィアへペンを差し出す。誓約に使うインクも特殊で、それはテネリが用意した。インクの作り方も儀式の手順も、全てリベルがわかりやすくまとめていたから出来たことだ。
まるでリベルのスペアとして育てられたような、そんな気がするくらいに。
「ここへ右手を」
最後にテネリも名を記し、ふたりの手を誓約書の上に重ねさせる。テネリもまた、その上に自らの手を重ねた。
「ツラ ドッサム タス アルコス マス」
古い魔女の言葉で誓約の宣言を唱えると、眩いほどの光が誓約書から溢れて5人を包んだ。
光の中で、テネリは自分の成人の儀を思い出した。ずっと考えていたバージニアではなく、リベルに勧められたカスティという名の綴りを間違えそうになって手間取ったことを。あの日リベルがなんと言ったのかを。
――些細な意味の違いが貴女を守るの。忘れないで、カスティは純潔のほかに「貞節」という意味も持つのよ。
――いつかきっと貴女も愛を知る。恐れないで、テネリ・カスティ・ローザ。愛は貴女を強くするのだから。
「リベル……」
零れたテネリの言葉は誰の耳にも届かなかったようだ。
光が消えると、ソフィアはぼんやりと自分の両手を見つめていた。テネリには変化が感じられない。けれどもこれが成人の誓約も兼ねているソフィアには、大きな違いが感じられることだろう。
「なんだかたくさんお酒を飲んだような気分です」
「魔女の誓約はそれだけで力を引き上げるから。たぶん増えた魔力量でそう感じるんじゃないかな」
聖王ディエゴと先王フェデリコもやって来て、翠の目の男たちがソフィアを囲む。誓約はうまくいったようだし、テネリの仕事はもう終わりだ。
喜びを噛み締める4人の脇をすり抜け、大教会を出た。
「どうだった?」
「上手くいったみたい。これで結界も元通りだし、インヴィをどうにかすれば解決だね」
外で待っていたレナートが、テネリの髪を一房つまんで見せた。いつものストロベリーブロンドよりも赤みが強い。
「油断した。ありがと」
「それで、他の4人はまだ中に?」
「うん、レナートも行って来たら?」
「いいや、俺は婚約者のそばを離れるつもりはないよ」
港から聖都までの道中、ソフィアやテネリの使い魔が度々往復して聖都の状況を事前に伝えていた。その中には、貴族たちの間でテネリが魔女ではないかという噂がまことしやかに流れているという話もあった。
テネリとしてはすでに誰もが知っているものと思っていたが、噂の域を出ていなかったらしい。また、国境で薔薇色の髪を目撃した騎士たちには緘口令が敷かれている。そのため聖都においては今もなお、テネリの正体は謎のままなのだ。
「守ってくれるんだ?」
「魔女と見れば石を投げる人間もいるからな。それより、なんで俺の目を見て話さない?」
「別に……っ」
実は大教会を出てレナートの姿を目視した瞬間から、テネリの心臓は大きな音をたてながら跳ねていた。
まさかリベルの言葉をこのタイミングで思い出すとは思わなかったのだ。まさかリベルの言う「愛」がこれかもしれないと、思ってしまうなんて。
「顔も赤いな、すぐに屋敷へ戻ろう。陛下にはそのへんの侍従に言付けておけばいいから」
「わっ、ちょっと」
有無を言わさぬ速さで、レナートの腕に抱きかかえられる。テネリは転げ落ちないように、首に手を回すしかない。
鍛えられた胸や腕は、テネリがちょっと暴れたくらいではびくともしないだろう。おとなしく肩に頭を乗せ、全てお任せすることにした。
「恐れるなって言われても」
「何か言ったか?」
「別に」
自分の愛を認めても、相手の愛を受け入れても、どうせひとりぼっちになるのに。この居心地の良さを知ってなお、ひとりになる勇気なんてないのに。
長く息を吐いて、瞳を閉じた。歩く振動が伝わらないように、というレナートの配慮を感じながら。




