第64話 魔女は王子様にお願いする
テネリは、やはり魔女がアルジェント侯爵家の女主人になるべきではないと主張した。純潔の誓約には触れない範囲で跡継ぎの不安があることや、寿命に差があることなどを理由として挙げる。
「聖王様にも、魔女ってバレないことを条件に結婚の承諾もらってるからさ」
「仕方ないとはいえ、さっきはずいぶん派手に空から登場していたね」
アレッシオはくつくつと笑いながら頷いた。レナートとの結婚を待ったところで、それは実現しないのだというテネリの主張を理解したらしい。
「しきたりを守ろうとして誓約を後回しにするから、今回みたいなことが起きたんでしょ。先に誓約だけでもして、結界をまともに稼働させたほうがいいよ」
「テネリ嬢が死ぬって手もあるよねぇ」
「ないよ。死ぬつもりもないけど、そもそも聖女の誓約には相応の魔力を持った証人が必要なの」
アレッシオはテネリのその言葉で、「協力者」の意味についても理解したようだった。なるほどねと呟いて、クッキーを口に放り込む。
「じゃ、未来永劫生きてもらわないといけないわけだ」
「そ。私が死んだらリサスレニスも無事でいられなくなる」
「証人がどうとか関係なく、テネリ様が死ぬ道理はどこにもありませんっ!」
珍しくソフィアが語気を荒くして、アレッシオが目を丸くした。テネリも驚いて左側を見れば、目に涙を浮かべているようだった。
「いやぁ、ただの挨拶みたいなものだよ」
「挨拶で死ねとか言うのやめてくれる?」
「そう怒んないでよ。こう見えて僕はテネリ嬢のこと気に入ってるんだ。でもね、侯爵夫人になるべきではないってのは、王族としては賛成だな」
ソフィアが何か言いかけるのを、アレッシオが手で制する。不満げなソフィアは目に涙を浮かべたまま、カップに手を伸ばした。
「魔女に対する民の心情を差し引いても、永遠に生きる女主人の扱いをリサスレニスの貴族階級は知らないんだ。僕も含めてね。さらに家督を譲る相手がいないんじゃ、永遠にテネリ嬢が侯爵家を動かすことになってしまうよね」
「人間のルールだとそうなるみたいだね」
リベルが身を引いた本当の理由などわからないが、少なくともテネリは政治を動かしたいとは思わないし、静かに楽しく暮らせればそれでいい。そこにレナートがいれば本当はもっと良かったのだけれども。
「だから結婚しないのですか? そんなの……!」
「しょうがないよね、ここは人間の国なんだしさ」
「でも私は――」
「寿命が違う、役割が違う」
アレッシオの言葉にソフィアも口を閉ざす。聖女のように人々を守るわけでも癒すわけでもない、攻撃特化型のテネリは人間にとっては腫れ物のはずだ。
うまくいけば武器として使えるだろう。けれども国を乗っ取られる危険と背中合わせでもある。
「だから、さっさと誓約済ませてくれれば私が結婚する道理もないわけでしょ」
「その後はどうするのかな?」
「死なないようにどこかに隠れるよ。リサスレニスの隅っこにでも」
言いながら、テネリの口元に笑みが浮かんだ。嬉しいわけでも楽しいわけでもない、自嘲するような笑いだ。誰にも歓迎されないのに、生きていなければならない己の境遇が馬鹿らしくて。
ソフィアが未来の王太子妃とは思えないような動作で立ち上がり、扉へ向かった。
「テネリ様の犠牲の上に成り立つ国の平和なんてばかみたいです!」
「わぁ。僕と魔女を二人きりにしちゃったら、殺されちゃうかもしれないよ?」
「そんなに信用ならない魔女に、見返りも与えず未来永劫の協力を強制する厚かましさをどうにかなさるのが先です!」
大きな音をたてて扉が閉まった。ソフィアが走り去る靴の音も徐々に小さくなっていく。
アレッシオは声を出さないまま肩を震わせて笑う。
「正論で叩かれちゃったなぁ」
「まぁ……王国は私を未来永劫信頼するか、どうにか拘束しておくかしかないのは確かだよね」
「質問を変えようか。君はどうしたい? 見返りを用意しないとソフィアに叱られちゃうからね」
――人間になったテネリは何がしたい?
レナートにそう聞かれたとき、テネリはどう答えたのだったか。思いだそうとして、すぐに首を振った。考えても仕方のないことだ。
「レナートから聞いてない? 最初に会ったとき、人の振りして生きていきたいって言ったの。そしたらお城に連れて行かれたんだよ」
「そう言えばそうだったね」
「この国の法律は学んだ。特別な理由なく人間を傷つけたりもしない。魔法は……使っちゃうこともあるかもしれないけど、ヒトとしての生活を許してほしい」
また一つ、アレッシオの口にクッキーが放り込まれる。うーんと唸りながら咀嚼をし、紅茶で飲み下してから口を開く。
「聞いたはいいけど、僕に決定権ないからなー。まぁ父上と話してみるよ。それから、誓約を最優先で進めることについては僕も全力でどうにかしようと思う」
「全部全力でやってよ」
「善処しよう。具体的な作戦は聖都に戻ってからだね」
立ち上がったアレッシオは扉に向かい、ドアノブに手をかける。
「王族っていうのは本音で話せなくてもどかしいよ」
「いつも本音に見えるけど」
「アハハ。手厳しいね」
扉が開くと部屋の外に待機していた騎士のひとりが、テネリを部屋まで案内すると言って前へ進み出た。




