第6話 魔女は聖都を目指して旅に出る
リサスレニスへ到着してから10日以上が経過し、テネリは馬車に揺られていた。窓から流れる景色はどこまでも緑で変化がない。
「あとどれくらい?」
「2時間ほど前にも同じ質問をされた覚えがあるが、あと3日だ」
「人間って移動するのもこんなに時間がかかるのね。ずっと座ってるから疲れちゃう」
「座り心地にしろ宿泊にしろ、王侯貴族並の旅だ。これから庶民として生きていくつもりなら覚悟しておくことだな」
ヒトとして生きるなら。そう言われてしまうと、テネリには何も言い返せない。実際、テネリの200年の経験の中でもこれが最高級の馬車であることは認めざるを得ず、頬を膨らませてまた外を眺める。
レナートは、魔女を魔女と知っていながら独断で自由にさせるわけにはいかない、と言った。この国で生活したいのなら、王の許可を得なければならないと。だからこうして聖都へと向かっているのだ。
ラナラーナは留守番となったが、ウルは本来のタヌキの姿に戻ってついて来ることになり、今は荷物として積み込まれている。
「ねぇ、聖王様は見逃してくれるかなぁ」
「永住を許可するとは思えないが、国外退去までの安全は保障しよう」
「優等生だねぇ、レナートは」
テネリは、偽りのない彼の声に笑みを漏らした。
聖女を救った褒美にテネリの永住の交渉をするのだと言うが、そう上手くはいかないことくらい、二人ともよく理解している。
ただしどんなに悪い方へ転がっても、リサスレニスから無事に出るという結果だけは勝ち取ってみせると豪語した。二度と入国しない条件にはなるけれども。
「素直について来たのだから、君は何があっても逃げきる自信があるのだろう。聖女が目覚めて間もない今、問題を起こされるより穏便に出て行ってもらうほうがいい」
レナートもまた窓に目をやった。彼は聖女の話をする時ほんの少しだけ表情が変わることに、テネリは気づいている。誇らしそうな、それでいて寂しそうな顔だ。
長く生きていれば似た表情を見る機会は度々ある。例えば夫を亡くした革屋のばあさんだとか、数百年前に恋した誰かの話をする育ての魔女だとか。いずれもそこには、一方通行となった愛があった。
「向こうの馬車じゃなくてよかったの?」
「ソフィアには腕の立つ護衛を複数つけた。俺は君を監視するべきだろう」
「あ、そ」
監視すると言いながらそっぽを向くレナートの視線の先には、大きなカーブによって姿の見えた別の馬車がある。
テネリは不思議と、あなたは素直じゃないのねと笑う気になれず、膝の上で丸くなっているミアを撫でた。
「少し早いが、今日はここで休むことにする。かの有名なドゥラクナ領だ」
「……っ! ワイン! 湖!」
「シャーっ!」
身を乗り出した拍子にミアが膝から転げ落ち、不平を訴えるのをレナートが抱き上げた。
ドゥラクナは知らない者はないほど有名なワインの産地だ。それに領地の南端には大陸でも最大規模の湖があり、観光地としても人気であることは世間に疎いテネリでさえ知っている。
本で読むか人から聞きかじるだけの土地ドゥラクナに、足を踏み入れたと聞いてテネリは三度瞬きをした。
「というわけだから、今日はドゥラクナ伯爵家の世話になる。あと1時間もすれば到着するだろう。準備はいいか、レディ・テネリ?」
「ええ、もちろんですわ! ……これでいい?」
「まぁいいだろう」
テネリはフンと鼻を鳴らしてドレスの皺を伸ばす。
魔女だと明かしてしまえば大騒ぎになる。仕方なくレナートは貴族令嬢として恥ずかしくない最低限の衣類を準備し、遠縁の伯爵家の娘だと偽って連れて来ていたのだ。
聖騎士団長としては職権乱用とも言える行いだったが、しかし彼に反論できる人物はここにいない。
そうしてテネリはここまでの道中、馬車の外では令嬢の真似事をして過ごしていた。
「まさかレナートが侯爵様だなんてねぇ」
「まさか魔女が貴族の真似事をできるとはな」
「魔女はどんな状況にも対応できるようにすべし、ってのが師匠の教え。最新の流行までは勉強してないけどね」
「師匠……? ああ、育ての親か」
「そ。親だとは呼ばせてくれなかったし、もう死んじゃったけど」
夜明けの魔女、リベル・ノックスはテネリの知る限り最も強い魔女のひとりだ。それがまさかカエルラのような小さな国の騎士に討たれるとは。テネリは未だに彼女の死を信じられずにいる。
視線を下げたテネリの手にヒヤリとした柔らかな感触があった。皮の手袋をまとったレナートの手が重ねられ、そしてすぐに離れていく。
「どんな言葉が正解かわからないが、元気を出してくれ」
「ほんとに優等生だね。ありがと、でももう死んでから30年経つの」
「さんっ……。いや、何十年経とうと、大事な人の死は辛いと思う」
どこまでも真っ直ぐなレナートの言葉と視線に、テネリは目を丸くした。人間が魔女の死を、そして遺された魔女の気持ちを慮ってくれるとは思わなかったからだ。
もしかしたら故郷の村の人々も、話をすれば同じように慰めてくれたかもしれない。
しかし当時のカエルラは、リベルを狩ったことを国を挙げて武勇伝として喧伝しており、テネリはとうとう悲しみを口にすることはできなかった。




