第59話 魔女は母を思い出す
ルイはこの後簡素な出陣式を行ってから、リサスレニスとの国境へ向かうのだと言ってリベルの家を出た。インヴィ派である総長は国内の守りを固めるため城に残り、ルイが戦線での陣頭指揮を執るらしい。
「インヴィたち、最悪のときは帝国に逃げるつもりなんだろうね」
「さっき言っていた『ランプ』というのは?」
レナートが剣をベッドに放り投げた。騎士にとっては命に等しい大切なものではないのか、と思いながらテネリは紅茶を啜る。
「魔法道具よ。リベルは人間も使える道具を作るのが好きだったわ。そこにあるランプに火を入れると、対になるもう一つのランプも灯るようになってるの」
「だから戦争にも持って行ってもらうことにしたー」
「合図のためか」
現在のテネリはカエルラの国内事情に口を出す立場にない。けれどもリサスレニスを混乱に陥れ、侯爵を攫ったインヴィを捕らえるくらいはできるはずだ。
インヴィの力がなければ、政治中枢のリベル派が盛り返すこともまだまだ可能だと言う。だからテネリたちは彼女を捕縛したら連絡することにした。それが反撃の狼煙となる。
「リベル派の筆頭がベルトラン公爵だって言うんだから、因果は巡るものなのねぇ」
「人間ってすごいよね。ご先祖の恨みだとか、ずっと昔の王様のご意志だとかを背負えるんだもんなぁ。私なんて親の顔さえ覚えてないのに」
「あら。アンタ――」
「顔は覚えてなくても、温もりは覚えているのでは?」
ミアが何か言うより先にレナートが問いかける。テネリは眉根を寄せて唸った。
「傷もあるし存在くらいは覚えてるよ? でも温もりって」
「君に料理を教えたのは誰だ? リベルが作れないなら、誰が魔女に料理を?」
テネリはレナートの長い指がリズミカルにテーブルを叩くのを聞きながら、瞳を閉じた。
「通いのおばさん。リベルがご飯作れないから、週に何度か来て作ってくれたんだ。町に連れ出して、人間のお作法とかを教えてくれたのもその人だったかな。病気のせいでお顔が見せられないって、いつも顔を隠してたけど」
室内に沈黙が落ち、レナートの指が紡ぐトントンという音ばかりが響く。
「他には何を教わった?」
「歌でしょ、おとぎ話でしょ、あとハーブも。怪我をしたときに、このハーブをすりつぶして塗るといいんだよって。私が薬ちょっとできるのはそのおばさんがいたからで……え、なに、二人ともその目やめてよ」
「魔女に親身な人間が多いんだな、カエルラは」
テネリが俯く。自分の意思とは裏腹に、目元に熱が集まった。瞬きをした瞬間、テーブルにふたつ水滴が落ちる。
「リベルが来たとき、私リベルを選んだんだ。私がいなくならないと、ママが死んじゃうって思った。あの人、私を殺すことも捨てることもできなかったから。だからママに『私があんたを捨てるんだ』って言った。リベルのところに行くって」
気が付けばテーブルを叩く音は止んでいて、テネリの身体を大きな腕が包んでいた。息苦しいのに呼吸がままならない。ひっひっと細かに息を吸うテネリの背中を、レナートが優しく撫でる。
「私が捨てたのに」
「大丈夫、母上もわかってらっしゃったはずだ」
背中を撫でる大きな手が温かくて、テネリは少しずつ呼吸を整えていった。人前で泣くのは慣れていないのに、レナートには醜態を晒してばかりだ。
「ありがとう、もう大丈夫」
深く息を吐いてテネリが顔を上げた時、ミアはテーブルの真ん中に座ってテネリを真っ直ぐに見据えていた。
「話はそれで終わりじゃないの」
「なに?」
レナートもテネリの背を叩く手を止め、顔を上げた。美しい毛並みの黒猫は尻尾を左右にゆっくり揺らしながら口を開く。
「どうして都合よくリベルがアンタを迎えに行ったのか。それは、アンタが――」
「きゃっ!」
突然轟音とともに部屋が揺れ、ぶら下がっていた調理器具や魔法道具が落ちる。ミアは全身を膨らませながら部屋の隅に掛かっている鏡のもとへ走った。
テネリの頭部を抱えたレナートも、揺れがおさまると同時にベッドへ走って剣を手に取る。
「ミア! 何があったの?」
「待ちなさい。『鏡、寝所は静か?』」
『永遠に道を別った素顔無き魔女が主の眠りを妨げんとしています』
ミアの見上げるウォールミラーに映るのは、像を破壊しようとする魔女の姿だった。
聖王の庭にある噴水の女神像とよく似た女性と威厳のある男性の彫像が、向かいあって手を取り合っている。彼らの足元にはそれぞれ棺が並び、さらにその棺は高い台座の上に祀られていた。
さらによく見れば、カエルラの騎士が数十名ほど魔女の後ろに控えている。
「曇天の魔女だね、ここが見つかった。お墓壊すなんて罰当たりだな」
「あの鏡は? それにインヴィは何をしているんだ?」
テネリが舌打ちをしながら杖を握ったとき、レナートがテネリの腕を掴んだ。
「鏡はリベルので、詳しく話す時間ないけど見たい場所が見られる道具。インヴィはここを壊そうとしてる」
「恐らく、ルイが出入りしたときに探知されちゃったのね」
そうか、と呟いたレナートが剣を手にドアへ近づく。その理解の早さに驚いたテネリも、すぐにふふっと笑って後に続いた。




