第57話 聖騎士様は墓穴を掘る
室内の明かりをひとつひとつ吹き消してベッドに潜り込む。室内はたった一つ残しておいたランプから火の燃える音が聞こえてきそうなほど、静かだった。
眠いのに寝付けない。レナートは疲れ果てた身体を横たえて、うつらうつらするたびに覚醒するというのを何度か繰り返す。
どれだけの時間が経ったのか曖昧になってきた頃、床や扉の軋む音がしてテネリがやって来た。レナートが薄く目を開けて確認すると、テネリは戸棚を漁っているようだ。
「眠れないのか」
「あれ、レナートも起きてたんだ。さっきおかわりもしたのに足りなくて」
振り返ったテネリは右手にパンを、左手にジャムを握っている。バツの悪そうな表情が可愛らしくて、レナートは笑って身体を起こした。
「俺もいただこう」
「体はもう大丈夫なの?」
「ああ、だいぶ良くなったよ」
二人で並んでパンにジャムを塗る。
レナートは過去、野営などで他のメンバーと一緒になって食事の準備をしたこともある。薄暗いところでパンの香りを嗅ぐとそんな夜を思い出して、ほんの少しだけ神経が張り詰めるような感覚があった。
「侯爵様がジャム塗ってるの、カリオが見たら大慌てだろうね」
「どうかな。もっと自分で出来ることは自分でやれと言うかもしれない」
「あー、そうかも」
リンゴの香りが漂う中で、テネリがにこにこ笑っている。まさか誰かを愛しく思う日が来るとは。ほんの数ヶ月前には想像もしなかった様々な出来事を振り返った。
特に魔女については存在を疑ってしまいそうなほど、リサスレニスの国民にとって遠い存在だ。だというのに、テネリのほか曇天の魔女までも……。
「何はともあれ、ベリーニや他の貴族連中に使われたような薬を与えられなくて良かった」
「ああ……。実は、魔力やそれに近い薬で依存させた誓約は効力がないんだ。本人の確固たる意志が必要なの。でも、冷静な思考を奪うハーブは使ってたから、インヴィもギリギリを攻めた感じがするね」
牢獄の中でのボンヤリとした、霧で視界が明瞭でないのにも似た思考を思い出す。
「魔女の薬はなんでも出来るのだな」
「曇天の魔女は自分に魅力がないって思い詰めて、惚れ薬だとか若返りの薬だとかをたくさん研究したんだって聞いたことがあるよ」
「そんなものがあるのか?」
「似たものはあるけど、みんなが想像するようなものは出来なかったみたい。だから姿を変える魔法の研究に方向転換したんだろうね」
インヴィの本来の姿を見たことはないが、例えば自分が老いた姿で未来永劫生きなければならないとなったら。レナートは小さく息を吐いてジャムスプーンを皿に置いた。
「似たものというと」
「例えばインヴィがベリーニ伯爵たちに使った薬、あれなんてまさにだよ。興奮する作用を出来るだけ抑えて依存する効果を高めると、かなり惚れ薬に近いんじゃないかな。ただ特定個人に効果を出すなら……あ、匂いか」
「匂い?」
「まー匂いじゃなくてもいいんだけど、特定個人を結びつける五感とその薬を併用すればイケる気がする! ……あくまで一時的にね」
レナートの鼻腔に、薔薇の香りの幻覚が現れた。目の前にあるのはリンゴジャムなのに、なぜか薔薇の香りしか思いだせない。
テネリは呑気な表情でパンにかぶりついている。レナートも誤魔化すように大きくちぎったパンを口に押し込んだことで、やっとリンゴの香りを知覚できた。
「テネリは……」
「んー?」
「俺に惚れ薬を使ったことが? または魔法で俺の精神に干渉したことは?」
テネリはモグモグと口を動かしながら、真ん丸の目でレナートを見つめた。何を言われたのか理解していないらしく、コテンと首を倒す。
「そういう高度な薬は私には作れない。あとヒトの精神をコントロールするような魔法は無いよ。例えば怒ったり悲しんだりって状態に近づけることはできるかもしれないけど、あくまで身体的な話で感情までは……」
「そうか」
テネリの話を聞きながらパンを食べるうちに、レナートにも落ち着きが戻って来た。好奇心で聞いたはいいが、仮に方法があったとしてもテネリは人間をコントロールしようとは思わないだろうと漸く気づく。
「なんで?」
「え?」
「なんでそんなこと。変だなって思ったことあった? っていうか惚れ薬って……。え? レナ、レナート、もしかして私のこと好きなの?」
テネリの手からパンが落ちる。唇がふるふると震え、真っ赤な顔でレナートを見つめていた。
「あ、いや」
レナートがなんと言うべきか迷って口ごもったとき、室内のどこかからリリリと鈴のような音が響いた。
反射的にベッドに転がしていた剣に手が伸びる。テネリも驚いた顔で立ち上がった。
「この家を知ってる人がいるなんて、どういうこと?」
「知ってる人?」
「この鈴は来客の合図。この家を知っていて、リベルに来訪を伝える方法を知ってる人ってこと。リベルが死んでもう30年も経つのに、お客さんなんて」
しかし来客であることは間違いない。テネリはそろりと足を忍ばせながらキッチンの脇のドアへと近づく。それはレナートが入って来たのとは違う出入口だった。




