第55話 魔女は繊細な魔力操作に苦労する
「すごいな、あっという間に痛みが引いたよ」
「包帯は自分で巻いてね! あとこれ飲んで」
テネリは持参した薬をレナートの傷口に塗りたくり、別の飲み薬とリベルの家にあった包帯とを放り投げた。
「これは?」
「ただの強壮剤。その程度で済んだのはインヴィのスープ飲まなかったおかげだね。効果薄れてたんだろうな」
「説明不足よ。インヴィの薬にはドクノサラっていう薬草が使われてたの。あれは飲み合わせに注意しないと、薬の効果を反転させちゃうのよ。テネリ対策だと思うわ」
「私の薬は解毒と滋養強壮だから、反転してそうなったんだね」
レナートは合点がいったような表情で「ああ」と呟いた。
小さなキッチンでは鍋がコトコトと煮えている。しばらく何も食べていないレナートに麦がゆを用意しているところだ。
「料理できるとは思わなかった」
「リベルは何も作れないから。ねぇ、インヴィは何か言ってた?」
「俺を誰かと間違えてたみたいだ」
レナートの回答にテネリが首を傾げる。書斎を荒らしていたミアは振り返って「なるほどね」と頷いた。
「聞いたことあるわ。魔女が貴族の子に恋をしたって。人間のほうでは悲恋として語り継がれてるはずよ」
「魔女と貴族の悲恋?」
「違う、若い男女の恋を魔女が邪魔したって話。ベルトラン公爵の息子と、北の国境を守る辺境伯家の娘が婚約した。ベルトランに恋したインヴィが帝国の魔女たちに相談をしたら、帝国がカエルラに侵攻して来た」
「あっ、知ってる! 戦に乗じて娘は魔女に殺されるんだよね」
難しい顔をしながらテネリとミアの会話を聞いていたレナートが、呻くように肯定する。
「そうだ、俺のことを『イグナスの魂』と言ってた」
「まぁわかるわ。翠の目だもの」
「は?」
理解できないという表情を浮かべたまま、テネリは麦がゆを三枚の皿に盛っていく。テーブルに並べるとミアは皿の前に寝そべった。冷めるのを気長に待つのだ。
「三代目の王様って三人兄弟で、次男は公国として独立したでしょ」
「リサスレニスだね」
「三男はベルトラン公爵として長男を補佐した。イグナスはその孫だったかしら」
胃を驚かせないようゆっくりスプーンを口に運んでいたレナートが、スプーンとグラスとを持ち替えた。
「それと翠の目となんの関係が?」
「ルーツはカエルラの王族にあるってこと。魂どうこうは知らないけど、インヴィが翠の目に反応するのは理解できるってことよ」
「今のカエルラの王様の目は翠じゃないけど、リサスレニスでは聖女の誓約の影響で当時の色がそのまま受け継がれてるわけだもんね」
「なるほど、いい迷惑だ。ところで、俺がいない間に何か動きは?」
テネリはミアの前に置いた皿の麦がゆを混ぜながら、うーんと眉根を寄せる。
「お昼食べに降りた町で聞いたけど、カエルラがついに戦争始めるって」
「一週間以内に始まりそうだな」
「すぐリサスレニスに戻る?」
ミアがやっと麦がゆに手をつけ始めて、テネリも落ち着いて自分の皿と向き合うことにした。レナートは指先でスプーンをくるくると回している。
「インヴィは俺を探すだろうか」
「そりゃそうよ。魔女の執着心ったらすんごいんだから」
「では彼女をどうにかするのが先だ。ベリーニのような手駒の貴族を利用されたら面倒だからな」
「そうね。テネリは魔女で、全部テネリが仕組んだことだって言うだけで、アルジェント侯爵家もひいては王家も大ダメージでしょうし」
テネリは麦がゆをおかわりしながら、ミアとレナートの会話に耳を傾けた。確かに、今までそれをしなかったのはレナートの立場を考えただけで、今後はもっと強硬な手段に出る可能性もあるだろう。
「熱っ!」
ミアが全身の毛を逆立てて大きく跳ぶ。彼女が跳びあがった先にはリベルの書棚があり、ぶつかったことでバタバタと何冊もの魔導書や古文書、それに小箱が落ちた。
「いったーい! ちょっとあれまだ中のほう熱いじゃないの!」
「凄い跳ね方したね! びっくり箱かと思った」
テネリがミアを抱き上げると、レナートも席を立って落ちたものを拾い上げる。腕の中にどんどんと本が積み上げられていった。
「ね、その箱……」
最後にレナートが拾った小箱には、金属製の金具が取り付けられている。よく見ればそれが錠前になっているのがわかる。
テネリはミアをおろしてカバンを漁り、真鍮の鍵を取り出した。
食器を端に寄せ、テーブルの真ん中に置いた箱を全員で見つめる。
鍵穴に真鍮を差し込むが、回らない。
「開かないな」
「これじゃないのかも」
「待って、魔力を通さないと駄目なのかも」
そう言って目を閉じ、深く息を吸った。
「壊さないでちょうだいよ」
「わかってる。……まさかここで慎重な魔力制御を要求されるとは思わなかったな」
魔女の二重鍵は、金属製の普通の鍵に加えて魔力による承認が必要となっている。それは言わば合言葉のようなもので、予め設定しておいたものと同じ波長で魔力を通さなければならない。
リベルがいつも二重鍵に使う波長はテネリも知っていたが、あまりに繊細な加減を要求されるため勝手に開けようと思ったことはなかった。
短く、長く、太く、徐々に細く。
「できた!」
幾度もの失敗を経て、ついに鍵はカチと音をさせながら回った。




