第51話 聖騎士様は見知らぬ部屋で目を覚ます
カチっという金属のぶつかる音でレナートが目を覚ます。頭は響くように痛く、手足は鉛のように重い。
「くっ……」
「あら、お目ざめになりましたの? いま到着したばかりだから、もう少し寝ていらして結構よ」
霞む視界の中で意地悪く笑っているのはマルティナ・ベリーニだ。
「マル……いや、曇天の魔女か」
「そうよ。インヴィと呼んでいただけたら嬉しいわ。わたくし疲れてしまったから、夜にまた来るわね」
「待て、今日はなんにちだ」
「27日のお昼過ぎよ。お腹はすいてないでしょう? では後でね」
金属の扉が閉まり、鍵がかけられる。耳障りな音が室内に木霊し、レナートの口から呻き声が漏れる。
石造りの無機質な部屋。調度品は良いものが誂えられているが、窓は無い。
「つまり、地下室だな」
身体を拘束するものは左足に嵌められた足枷のみ。剣さえそのままだ。もちろん式典用の飾り剣で耐久力は低いが、殺傷能力がないわけではない。
起き上がろうと身じろぎして、早々に諦める。
「ぜんっぜん体が動かせないな。どうせ逃げられないと踏んで、剣もそのままなのか」
独り言もまた、呂律がまわらない。
後夜祭で薬を盛られてから、何度か目を覚ますたびに食事と称してスープを飲まされていた。恐らくそれにも薬が混ざっていたのだろう。2日近く経過しているのにまるで回復する様子がない。
「テネリ……」
婚約者は今どうしているだろうか。
魔女なのだから人間の不幸に当たり前のように笑っているに違いないのに、泣くのを我慢しているみたいな不細工な怒り顔ばかりが浮かんでくる。
その妄想の中の婚約者が可愛らしくて、笑みを浮かべるうちにレナートはまた眠ってしまった。
「食事の時間よ」
「いらない」
「そう。ちょっと食べるの我慢したくらいでは、体が自由になったりしませんけれど、好きになさったらいいわ」
曇天の魔女インヴィは手近な椅子に腰かけ、横たわったままのレナートに満足げに微笑んだ。
「目的は?」
「最初は復讐。夜明けの魔女が嫌いなの。彼女、カエルラを奪ったから。カエルラを取り戻して、ついでに彼女の妹が幸せにしてるリサスレニスを滅茶苦茶にしたかった」
「リベルは殺しただろう」
「わたくしたちは永遠に生きるのよ? 命ひとつでこの恨みが晴れるはずないじゃないの」
人間には想像もつかない執着を感じ、レナートは口を引き結んだ。説得や懐柔することはおろか、気持ちを理解することさえ難しいだろう。
インヴィは身を乗り出して「でもね」と続けた。
「あなたに会えた。その髪、その瞳、その声。イグナスそのものですわ」
「誰だって?」
「イグナスよ。イグナス・ベルトラン。つまらない女のあとを追って自ら命を絶ったお馬鹿さん」
狂気の宿る瞳にレナートは声が出ない。インヴィが誰かと自分とを重ねているらしいことはわかるが、「命を絶った」という言葉がその狂気を増大させる。
想い人がすでに死んでいることは理解しているのだ。つまりレナートのことを、イグナスの生まれ変わりか何かだと考えているとしか思えない。
「今度こそ死なせないわ。婚約者を殺したらまた死んでしまうのでしょう? あなたがわたくしと誓約するなら、わたくしはテネリを死なせずにおいてあげます」
「誓約?」
「そうよ。お互いの永遠を縛る誓約。あなたが頷いてくれるならテネリにもリサスレニスにも手を出さない。いつまでもサインしないなら帝国を動かしてでもリサスレニスを滅ぼします。そして、死を選ぶのならテネリも……ね」
帝国は魔女が動かしているとまことしやかに囁かれているのは確かだ。しかしそれがインヴィだとは、レナートにはとても思えなかった。
それくらい、行動は衝動的で言葉に論理性もない。
いつまでも言葉を発さないレナートに痺れを切らしたのか、インヴィは溜息をひとつ落として椅子から立ち上がった。
「悪いお話ではないでしょう? 永遠の若さと命を手に入れることができるの。でもそうね、2、3日考える時間が必要かしら。朝になったらまた参りますわ」
インヴィが出て行き、閉じた扉の音がまたレナートの頭を締め付ける。
――アレは生き物が綺麗な姿のまま時を止めるのがイヤなだけだわ。
いつだったか、テネリとミアがインヴィについて話をしていたのを思い出した。曇天の魔女は自らの容姿がコンプレックスで素顔を晒さず、使い魔と誓約することもないのだと。
それがレナートに誓約しろと迫っているらしい。レナートは不気味なほどの執着心から逃れるための方法を考えることにした。
まずは、状況の整理からだ。
身体を起こしたレナートは、先ほどよりも多少は動けるようになっていることに気づいて安堵の息を吐いた。
一方で、空腹と喉の渇きにも気づいてしまった。時間の感覚はないが、最後にスープを飲まされてから結構な時間が経過しているように思う。
思考力と体力は残り僅かだということを念頭に置いておかなければならない。




