第5話 魔女は聖騎士様と暖炉で温まる
暖炉の中でバチバチと火が爆ぜる。暖炉が必要な季節は少し前に過ぎ去ったが、今夜は燃える火がありがたい。もちろん、いまだに髪から水がしたたっているせいなのだが。
泉に飛び込んだテネリは、水に沈んだ後で服を着たままだったことに気づいた。特別に泳ぎが上手なわけでもない彼女にとって、重くまとわりつくワンピースはただの碇でしかない。
結局、助けに行ったはずが男に助けられ、小屋へと戻ってくることになったのだった。
「魔法で乾かすことは?」
「できるけど、私は細かい調整が苦手なの。燃やしてしまっても良ければ」
「裸で森を歩くわけには行かないから、やめておこう」
エメラルドグリーンの瞳をした男はレナート・アルジェントと名乗った。薄鈍色の髪は暖炉に照らされて夕日のように光っている。
このリサスレニス聖国で魔女の脅威から国を守る聖騎士団の長として、普段は王都で奉職していると言う。確かに、布一枚まとっただけの姿はまるで彫刻のようだ。
「服が燃えてもその布があるわ」
「少なくとも、俺の知る常識では白布一枚巻き付けただけで成人の男が外を歩き回っていたら、自警団を呼ばれる可能性が高い」
「テネリがおかしいだけで、魔女の常識でも布一枚でふらついたりしないわよ」
暖炉の前で丸くなっていた黒猫のミアが顔を上げた。テネリが泉に飛び込んだせいでミアも水を被ってしまい、すこぶる機嫌が悪い。彼女の金色の瞳が鋭くテネリを睨みつける。
「人間と魔女との間に共通認識があって安心だな」
人間の子どもくらいの大きさの二足歩行のカエルに挨拶をされ、ふわふわの尻尾を表情豊かに振るメイド姿のタヌキ娘に案内をされたレナートは、猫が喋るくらいではもう驚かないらしい。
つい先ほどまで、「うわっっ」と叫びながらラナラーナに剣を抜きかけたり、ウルの尻尾へそっと手を伸ばそうとしていたのに。
彼のゆったりした声を聴きながら、昼間の事件を振り返る。
「ねぇ、処刑の方法考えなおしたほうがいいよ、焼くだけじゃ死ねないこともある。お互いに不幸だからさ、首を落とすか心臓を貫くかして確実に殺した方がいい」
「……進言はしてみよう。ところで君は数日身を隠したいと言っていたが、その後どうするつもりなのか聞かせてくれるか」
レナートは用意された紅茶を、しげしげと観察してから舐めるように少量だけ口にした。テネリは一口飲んだあとで口の中から毛を一本取り出す。猫の毛かタヌキの毛か、もはやわからない。
「永住地を探しに行くの。魔法を使わないでいたらヒトの振りをして生活できるでしょ?」
「もう十分なほど使ってるがな」
「だからこの地は無理ね。聖都だったらたくさんヒトがいるし、紛れられそうじゃない?」
「聖騎士団に属する俺が首肯するとでも?」
テネリはレナートの鋭い眼差しに愛想笑いを浮かべた。
敵か味方かわからないが、肩書だけを考えれば昼と夜くらい真逆の立場だ。ソフィアの恩人だから一線を越えずにいるに過ぎない。
「んー、じゃあ次に魔女と騎士として会ったら敵。それでどう? 私がここを出た後にヒトの振りができてたら、もう会わずにすむでしょ」
レナートはその提案に頷かないまま、暖炉の火を見ていた。
この土地からも無事に出られないかもしれないという不安が胸の内をよぎるのに、テネリの視線は男の横顔から離せずにいる。いっそ恐ろしいほど整った横顔だ。
「ソフィアを聖女だと知っていてどうして助けた? 魔女は聖女を恐れているんだろう」
「確かに、聖女は魔女の力を無効化できるから嫌ってる魔女は多いかな。でも見殺しにするのは違うと思う。それに魔女を石から守ってくれる人間もいる、でしょ」
暖炉から目を離したレナートがテネリを見つめた。
テネリは何か気恥ずかしくなって、借りている上着の前を掻き合わせる。水に飛び込む前に脱ぎ捨てて無事だったレナートの上着は、重さが心地良いし、それに重厚な作りが彼の視線からテネリを守ってくれるような気がした。
「どうやら俺は敵について何も知らないらしい」
「やっぱ敵なんだ」
「俺も含めて多くの人間は、魔女を敵だと盲目的に信じてる。だが君は人間に害を為すつもりはない、という理解で合ってるか?」
「ええ、もちろん!」
勢いよく前のめりになったテネリから、レナートが慌てて顔を逸らす。肩にかけていた上着の前がひらいて、白い布を巻いただけの胸元が露わになっていた。
テネリも急いで上着のボタンに手をかけた。
「その傷は?」
「ああ、見えちゃった? 子どもの頃に生みの親に何かされたみたい。魔女なんか生んじゃって親も可哀想に」
「すまない。立ち入ったことを聞いた」
テネリが生まれたのはもう200年は昔のこと。胸元を斜めに走る傷は、魔女を生んでしまった人間が縋った希望の一閃だった。それでも生き残ってしまったテネリを連れ出して育てたのは、夜明けの魔女と呼ばれる古い魔女だ。
「ところで、君は服が乾くのを待たなくても替えがあるのでは?」
「ないよ。慌ててたから家に全部置いて来たんだよね。あー、ついでに洗えばよかった」
白い布を魔法で衣類に変えることもできるが、テネリは細かい調整が苦手だ。例えば一度ではウルの尻尾をちゃんと隠せないように。
「……一晩じゃ君を理解するのは難しそうだ。明日あらためて話をしに来よう」
レナートが立ち上がり、半乾きの衣類を手にして隣の部屋へと移動した。躊躇することのない足取りが、この小屋が彼のものであることを物語っていた。




