第47話 聖騎士様は伯爵令嬢から逃れたい
無事に式典を終え、ノルド子爵邸では後夜祭が催されている。レナートは聖騎士団長として礼装に身を包み、情報収集に余念がない。
例えば聖女とアレッシオが最後に向かう西側では、式典や夜会に参席する人数も多くないだろうと踏んで、準備をゆっくり進めているとか。東のフラヴス王国が戦を仕掛けようとしているといった、突拍子もない噂話がまことしやかにながれているとか。
「西側の防備が薄いですね」
「先代も先々代も、この式典は西側から回ったんだよね。それを今回あえて東回りを主張したのもベリーニ伯爵だ。わかりやすく匂うね」
集めた情報を基にアレッシオと今後の対策を考える。念のため聖王にあてて早馬を出しておくことで、話がまとまった。
「僕らの到着に合わせて騎士団を西側に集めておくよう進言書を出しておくよ」
「同行できず申し訳ありません」
「いやー、テネリ嬢との結婚準備を進めてもらわないともっと困るからね。あ、マルティナ嬢がこっちに来たみたいだ」
レナートの背後に視線を投げたアレッシオが、楽しそうに笑いながらマルティナの現在地を伝える。レナートは長々と溜め息を吐いて、また別の場所へ逃げようと移動を開始した。
「今夜は特にしつこくて気持ちが悪い。殿下もご注意を」
「おっけー」
本当にわかっているのか問いただしたくなるような軽い返事を受け、人混みを目指して歩を進める。多くの人に紛れながら、一度この会場を離れるべきかと頭を悩ませた。
マルティナが曇天の魔女であるならば、近づくのは得策ではない。彼女は薬物の扱いに長けており、衆人環視の中にあっても何をされるのかわからないのだ。それに薬が相手では、翠の目の効果など意味を成さない。
ただアレッシオやソフィアではなく、レナートを追いかけて来るぶんだけマシと言えよう。彼らは事情を知らない連中に取り囲まれて、そう簡単にマルティナから逃げることができないのだから。
一瞬立ち止まって周囲を見渡し、テネリとソフィアの位置を確認する。テネリは魔力に鼻が利くため、ソフィアのそばで彼女を守る手筈になっていた。逃げるためとはいえ、マルティナを引き連れてそちらに近づくわけにもいくまい。
「レナ――」
女性らしいヒールの音が迫り、名を呼ばれた気がした。レナートは慌てて身を翻し、さらなる人混みを目指す。
「キャッ!」
突然方向転換したレナートは、通りかかった女性とぶつかりそうになった。彼女の手にあったグラスは揺れ、飛び出した飛沫がドレスの裾を汚す。
「おっと、これはすまない」
「いいえ、少し驚いただけですわ。お気になさらないでください。……どなたかから隠れていらしたのですか?」
女性は周囲に視線を巡らせると、いたずらっ子のような笑みを浮かべてレナートに小声で囁く。
「実はわたくしも、しつこい男性を避けていたのです。ほんの少しでいいので、テラスで時間を潰すのに付き合ってくださいませんか? 5分もあれば諦めてくれると思います」
「いや俺は婚約者が――」
夜会の最中に異性と二人きりでテラスなど人気のないところへ行くのは、そういう関係にあると周囲に誤解させてしまう。
だがほんの数分で出てすぐにテネリのもとへ向かえば問題ないような気がした。ここはノルド領であり、両親も会場のどこかにいるのだ。まともに考える頭を持っていれば、誤解をする人物のほうが少ないだろう。
悩みながら俯いたレナートの視界に、汚れたドレスが映る。
「では3分だけ」
「ええ、十分です」
微笑んだ令嬢の顔に見覚えは無い。そもそも女性の容姿を覚えている質ではないからそれは仕方ないが、しつこく言い寄られるというのであれば高位の貴族か飛び抜けた容姿か……と考えて、レナートは自らの浅慮を恥じた。
テラスへ向かう途中に、令嬢は給仕の持つトレイからグラスを一つとってレナートへ差し出した。彼女の薄曇りの空にも似た青い瞳とそっくりな、青いカクテルだ。
外へ出ると温い風がさっと駆け抜けていった。空に星は無く、厚い雲がかかっているのがわかる。
「テネリ様のこと、愛していらっしゃるの?」
「無論です」
お互いに名乗りもしていないが、レナートは自らが有名であることを自覚している。突然テネリの名が出てくることにも、もう慣れたものだ。
「愛されるってどんな気持ちかしら」
「貴女もしつこく言い寄られる程度には愛されているのでは?」
適当に受け答えをしつつ、3分で切り上げられるだろうかと眉を顰める。そんな表情の変化を隠すため、グラスを口に運んだ。
令嬢は意味深な笑みを浮かべ、レナートに手を伸ばす。
「閣下はわたくしを愛してくださる?」
「なに、を」
とんでもないことを言いだしたなと驚いたのも束の間、レナートは視界がぐるりと回る感覚に襲われた。
しまった、と思ったときにはもう遅い。体の自由は奪われ、よくわからない浮遊感を覚えたところで意識が途切れた。




