第46話 魔女は人間らしさの一端を知る
小屋を襲撃された翌日、テネリとレナートはノルドの街を散策していた。結界の修復・強化に関する式典に、魔女であるテネリは出席しない方がいいと判断されたからだ。
襲撃した犯人たちはノルド子爵邸に留置して事情を聞いているが、金目当てに犯行に及んだだけで、依頼者のことはもちろん詳しいことは何も知らないようだった。このまま強盗や暴行といった罪で裁かれることになるだろう。
「不参加で良かったよ。マルティナ見つけたら殴っちゃうとこだった」
「物理攻撃ならいくらでもいいぞ」
レナートが笑ってテネリの頭を撫でる。どこまで本気かわからないが、昨夜の事件については彼も怒りを感じているらしい。
ウルもライアンもテネリの関係者であってレナートにとっては部外者だと、そう思っていた。だからひとりで様子を見に行こうとしていたのだ。
「ふたりのこと、ありがとう」
「ライアンの治療もウルの警護もアルジェント侯爵家が責任を持って――」
「おっ、旅のお嬢ちゃんじゃねぇか?」
贅沢パンを売る屋台の男性が声を上げた。
パンデトンはドライフルーツのたっぷり入った蜂蜜入りの甘いケーキのことで、国の記念日や祝いの席に必ず並ぶものだ。
「知り合いか?」
「パン屋さん!」
「覚えててくれたかい! 一人旅なんて危ねぇなと思ってたが、貴族のお嬢だったんだなぁ」
レナートがパンデトンをひとつ注文すると、パン屋の親父が「おまけだ」と言いながらふたつ包み始めた。
「こないだ広場の方へ行ったように見えたから心配したんだが、何事もなくてよかったよ」
「あーね、人混みでよく見えなかったけど」
「オレも聞いた話だけどよ、薔薇の魔女が聖女を助けたんだってな。魔女ってのは実は悪ぃ奴じゃないのかもしれん」
パン屋の親父が慌てふためくほど、対価にしては多すぎる額を渡したレナートがテネリの手を取った。
「ほとんどは悪い魔女だけど、たまに善い魔女もいるんだわ!」
「じゃ、薔薇の魔女は善い魔女だ!」
レナートに引きずられながらテネリが振り返ってそう言うと、パン屋の親父は手を振りつつ大声で返答する。
それに呼応するように、周囲からも薔薇の魔女を肯定するような声が聞こえて来た。
「……私、もしかして受け入れられてる?」
「聖女を助けたからな。ノルドを中心に魔女の評判が良くなりつつある」
「なんかくすぐったい」
「このまま認められたらいいんだがな」
レナートに手を引かれてやって来たのは、広場の傍にある教会だ。我が物顔で教会の裏にある扉を開け、狭い螺旋階段を上がっていく。行き止まりの木戸を開けると、テネリはこれが鐘塔であることに気づいた。
「おー、街が一望できるね」
「西も東も南も、見える範囲は全てアルジェント侯爵家の領地だ」
「うわ、自慢だ」
「そうだ。そして俺にはそれ相応の富と力と責任があり、君もそれを……すでに背負っていると言っても過言ではない」
話の着地点が全く想像できず、テネリは無言のまま西の空を眺めた。
「君が人間のルールに従ってヒトを殺さずにいるのは、責任を全うすることに他ならない。君はもう人間の仲間であり善き魔女であり、アルジェント侯爵家の一員だ。だから、頼ってくれ。人間の力も捨てたもんじゃないぞ」
「責任を全うしたとは言えないよ。だってもしちゃんと魔力をコントロールできたら、あの男を殺してたかも」
「コントロールできたら、外の男と同じように動きを止めてたさ。俺が保証する」
「私、ウルが襲われてるのに何もできなかった! 魔法どころか、体も動かなかった」
テネリは自分の胸までしか高さのない石造りの壁に、拳を叩きつける。
ライアンがいなければウルがどうなっていたかわからない。そのライアンもまた、重症だ。テネリの薬で辛うじて一命をとりとめたに過ぎない。医師の治療を受けて、今は静かに寝ているけれども。
「咄嗟の時に動けなくなるのはみんな一緒だ。ライアンが凄かった。それに彼の命を繋いだのは君の薬だ」
レナートが手を伸ばし、テネリの頬を優しく撫でた。日々の鍛錬を思わせるゴツゴツした感触が心地いい。
「昨日も今も、レナートがいてくれてよかった。そうじゃなかったら、怒りのままこの綺麗な街ごと壊してたかも」
「俺がいなくても、絶対に君はそんなことしない。……でも、俺がいるからヒトとして生きてくれるって意味なら大歓迎だ」
「レナートが大切にしてるものを壊せない」
「それが人間だ。だから俺も、テネリが大切にするウルやライアンを尊重する」
テネリはハッとしてレナートを振り仰いだ。魔女は他人の幸も不幸も気にしない、どちらかと言えば不幸を眺めるほうが楽しいと考える魔女のほうが多いくらいだ。
ぼけっと開けたままになっていたテネリの口に、甘いケーキがねじ込まれた。
「ンぐっぐ」
「人間になったテネリは何がしたい?」
「レナートが生まれたとこに行ってみたい」
「アルジェント城だな。嫌がっても連れて行くさ、本当の夫婦になるんだから」
「……でも交尾はできないし、跡取りも作れない」
一瞬だけ目を丸くしたレナートが、困ったように笑ってテネリの額にキスを落とす。と同時に、木戸の下から足音が聞こえてきた。
「その問題も、追々ふたりで解決しよう」
解決策などあるはずもないのだが、今だけは気休めを信じたかった。テネリが微かに頷いたとき、お昼の鐘を鳴らしに来た修道士が木戸を開けて鐘塔デートは中止となった。




