第42話 聖騎士様は印をつけたい
レナートがテネリの侍女である双子と共に森の小屋へ入ると、最初にウルが顔を出して迎えた。双子はウルの体調を心配しつつ、持参した食べ物をテーブルに並べ始める。
話し声に気づいてライアンとラナラーナが小屋へ戻って来る。これがノルド領へ戻ってから一週間の日課になっていた。初日こそ双子はラナラーナを見て腰を抜かしていたが、今ではペットのように可愛がっている。
「テネリはまだ隣室か」
「うす」
レナートは侯爵として、また聖騎士団長としての業務があるため同行できないが、テネリは毎日朝から夕方まで小屋に籠って薬を作っている。
ウルやラナラーナがいなければ、絶対に許していなかっただろうなと思う。一方で彼らも価値観は人間と異なるため、本音を言えばライアンに手枷足枷をつけて近づけないようにしたいのだが。
「そういえば君はどうしてドゥラクナに? 逃亡するなら中心地ではなく国の端に行くとは考えなかったのか?」
「薬を追いかけたんだよ。テネリの作る薬は絶対薔薇の匂いがするんだ」
「薔薇……」
「そ。腹が減って死にかけてたとき、飯くれた商人が栄養剤だって薬もくれてよ。薔薇の匂いがしたから、どこで手に入れたんだって聞いてきたってわけ」
言われてみれば、隣室はいつも薔薇の香りが漂っていた。
レナートにとってそれは、テネリが薬の影響で昂ったときを思い起こさせる。だからライアンがいるこの小屋で薔薇の香りがするのも嫌だったのだ。
だがそれが魔力の漏出だとすれば。
あの夜のストロベリーブロンドから深紅に戻った髪、汗ばんだ額、花の瞳、制御できなくなった魔力。ほんの少しの隙間さえ許さないとでもいうように密着したテネリの感触や体温、それに重さを思い出した。
「なんだ、貴族の兄ちゃん風邪でも引いたか? 顔真っ赤だぞ」
「いや、大丈夫だ問題ない」
「テネリから薬貰って来てやろうか」
立ち上がったライアンの腕を掴み、レナートもまた席を立つ。拳二つ分だけ小柄なライアンが目を丸くしてレナートを見上げた。
「な、なんだよ」
「……自分で行く」
風邪をひいているわけではないからというのもあるのだが、薔薇の香りが充満する隣室にライアンを入らせたくなかった。
思ったよりずっと強く握ってしまった手を離して、二度三度と開いたり閉じたりする。今まで抱いたことのないような感情が、テネリに出会ってから日を追うごとに大きくなっていった。
アレッシオから「好きになったのか」と問われたときには、「好き」というものがよく分からなかった。が、この生まれて初めて抱く感情がそれだとするなら、レナートはとうの昔にテネリを好きになっていたのだろう。
守りたい、傍にいたい、笑顔を見たい、触れていたい。美味しいものを食べさせたいし、寒い思いはさせたくないし、恐怖から遠ざけたい。
だが、彼女は彼女らしく自由にしていてほしい。
「テネリ、昼飯の時間だ」
扉を開けるとむせかえるような薔薇の香りが広がって、レナートは慌てて中へ入って扉を閉めた。
条件付けされた犬のように、心臓がバクバクと高鳴る。レナートは今後一切、侯爵邸に薔薇を飾るのを禁止しようと心に誓った。
「もうちょっとー」
「いつもそう言って何も食べないだろう。痩せてしまったらドレスが着れなくなってしまうぞ」
「それは困るね、マダム・ベッカ怖いもん。……ちっちゃくなーれ」
そう言いながらテネリは火に手をかざして炎を小さくした。火にかけられた鍋に蓋をして振り返る。
「あれ、レナートなんか顔赤くない?」
「こんなに薄暗いのにわかるのか?」
解毒の薬を作るのに明かりは天敵なのだと言って、窓には分厚いカーテンを掛けている。ランプも最小限の明かりだけだ。
「レナートのことなら大体わかる」
へへ、と笑いながら言うテネリの腕を引っ張って、レナートは小さな身体をぎゅっと抱き締めた。
「それは反則だな」
「は? 変なこと言った?」
首筋に顔を埋め、深く息を吸い込むと薔薇の香りが肺いっぱいに満ちていった。自分のものだという印を残したくなって首に唇を這わせたが、それは紳士のすることではないと思い直す。
「んっ、くすぐったいよレナート」
テネリの言葉を無視して耳に軽く歯を立てた。「ひゃっ」と小さな声が上がったが、これはレナートのせめてもの抵抗だ。
「少しだけこうさせて」
テネリの頭に顎を置くと、彼女は小さく頷いて胸に顔を寄せた。
レナートはテネリが自分の腕の中でリラックスするのを見るのが好きだ。魔女の力を抑制する翠の目の持ち主に触れられてなお落ち着いているのなら、それは彼女がレナートを信頼している証に他ならない。
「すごいドキドキしてる」
「しばらくこうしていれば落ち着く」
何か言いたげな表情でテネリが顔を上げたとき、部屋の中に光が差し込んだ。誰かがノックもせずに扉を開けたらしい。
「そういうのは屋敷に帰ってからやれってぇーっ!」
ライアンの叫び声が小屋中に響き渡ったが、それはほんの少しだけレナートをご機嫌にさせた。




