第4話 魔女は夜中に目を覚ます
「テネリ、起きて。ねぇ、起きなさいよバカ。脳みそすっからかん。胸ぺちゃ。なのに体重――」
「東の大陸には猫の皮で作る楽器があるそうだけど?」
「いいから。お客さんよ。フクロウがうるさいったら」
外は闇。客と呼ぶには些か常識外れな時間の訪いだと言える。テネリは大きな欠伸を抑えようともしないまま、むくりと起き上がった。
風呂で温まったあと、寝室を探すよりも前に眠りこけてしまったらしい。けれども高価なソファーは今までテネリが使っていたどのベッドより寝心地がいい。もう一度横になりたい欲求に耐えて、床に足を下ろした。
「ミアはどんなコトされたら嫌になって帰ろうって思う?」
「水よ! ボブ爺さんが撒いてた水が掛かった時なんて、その日はもうどこにも行かないことに決めたもの」
「お水かぁ。いいかも。昔はお城の周りに堀を作るのが普通だったもんね」
昼間にも着ていたこげ茶色のワンピースを頭から被って、杖を片手に外へ出る。招かれざる客はもう少しだけ遠くにいるようだ。
「ラナラーナ、いちばん近い水場はどこ?」
「この下!」
「そこを掘ればいいの?」
ラナラーナが跳ねて小屋から離れ、ある一点でぴょこぴょこと高く飛んだ。
微かに水音も聞こえるし、カエルがいるのだから水場は近いだろうと考えていたテネリだが、まさか真下に水源があるとは予想外だ。
テネリは杖を縦に振って、足もトントトンとリズムをとるように土を蹴った。
「土は崩れて穴ぼこに、綺麗なお水がそれを満たすの。ぷくぷくざぶざぶ、あっという間に素敵な泉の出来上がり!」
「ねぇ、その頭空っぽな詠唱ないと魔法使えないわけ?」
「無くてもいいけど、詠唱したほうが魔法使ってるーって感じするでしょ」
「詠唱の中身の話してんのよ! てか前庭ぜんぶ水溜りにしちゃったらアタシが出掛けられないじゃないの」
湧き出す水に驚いたのか、ミアが全身をペロペロと舐めて毛流れを整えながら不平の声を上げた。
即席の泉は楕円形で、短径はテネリの身長三人分、長径に至っては優に二十人分は超えるほど大きい。小屋の敷地と思われる範囲の横幅いっぱいに広がってしまった。
外に出るには、端っこまで行って生い茂る木を器用に避けながら回り込むか、橋を作るか、空を飛ぶか。でなければテネリでさえお出かけすることは叶わない。
「私とお空飛ぶ?」
「アンタ飛行術すっごく下手くそだから嫌よ。それにアタシは自由に出掛けたいの!」
「じゃあラナラーナに言って橋を――」
言いかけたテネリの耳が、誰かの足音を聞きつけた。そうだ、誰かが来ているとミアが言っていたんだっけ、と思い出して小走りで小屋の陰へ隠れつつ、音のするほうに意識を向ける。
土と砂利を踏む音、小枝の折れる音、葉擦れの音、それらが少しずつ近づいて来る。小屋の真正面から伸びる道ではなく、木々の合間を縫って歩いているらしい。
ひときわ大きな木から顔を出したその客は、テネリにも見覚えのあるエメラルドグリーンの瞳の騎士レナートだった。
「な――っ。泉……?」
テネリは、レナートが呆然と立ち尽くす様子が可笑しくて声を押し殺した。人間が驚く様子を見て楽しくなるとき、やはり自分は魔女なのだなぁと感慨深くなる。
彼は小屋の中を覗くように首を伸ばしたが、すぐに諦めたようだ。
「魔女……いるのか?」
決して大きくはないが、夜の闇の中では森の住人を驚かせるくらいの声量だ。バサバサと鳥が寝場所を変える音がした。
レナートが敵か味方か、テネリには判断できない。
ソフィアを助ける条件に数日匿うようにと言ったはいいが、所詮は口約束だ。ほとんどの魔女は口約束を守らないし、人間だって魔女に義理を通したりしない。いや、そもそも彼は約束さえしていなかった。
ちゃんとした堀を作っていれば数日はゆっくりできただろうに。テネリは彼が諦めて回れ右をすることを願いながら、両手を握る。
願い虚しくレナートは泉の外周に沿って歩き出した。草を踏みしめる音に、さてどうしたものかとテネリが唇を噛んだとき、すぐそばの水の中から何かが飛び出した。
「うるおうー!」
「キャーッ!」
風呂の準備で小さな火傷をいくつも負っていたラナラーナは、水を堪能すべく泳ぎ回っていたらしい。その喜びと興奮のままテネリに抱き着いたのだ。
突然のことに驚いたテネリは状況も忘れて大きな声を出してしまった。
「なんだあの化け物は!?」
この世のものとは思えないシルエットをした何かが泉から飛び出した上に、女の悲鳴があがったとあって、レナートも慌てて走り出した。しかし一瞬の逡巡のあとで上着を脱いで泉へ飛び込む。
ドボンと大きな水音が闇に響いて、テネリは我に返った。
「えっ……? えぇーっ!?」
周囲を見渡せども、レナートの姿がない。まさか驚いて泉に落ちてしまったのだろうかと、目を白黒させた。
「ラナラーナ、これ深さどれくらいっ?」
「いっぱいー!」
「んもーっ」
着衣のまま、しかも帯剣した状態で水に沈めばどうなるかなど、いかに頭が空っぽと非難されるテネリでもわかる。
彼を引っ張り上げなければならない、という使命感だけを胸にテネリもまた、泉へ飛び込んだ。




