第38話 魔女は聖騎士様を挑発する?
マルティナが陰湿な笑みを引っ込めてニッコリと笑った。実年齢よりずっと大人っぽいが、先ほどまでの狡猾さは影を潜めている。
「侯爵かっ――」
「レニィ」
テネリはマルティナが何か言うより先に、レナートの首に両腕を絡ませた。そのままレナートを引き寄せ、自身も精一杯背伸びをして唇を重ね合わせる。
一瞬だけレナートの身体が強張ったが、何かを察したらしくすぐにテネリの腰に腕が回された。
「これでよろしくて? 訳の分からない言いがかりはよしてくださいませね」
「なっ」
「言いがかりとは?」
「ふふ。マルティナ様は私が魔女で、異性とキスをすると魔力を失うんだって仰るんですよ。もう、おかしいったら」
テネリの言葉を聞き終わらないうちに、レナートは吹き出して大笑する。テネリの視界の隅で、マルティナが奥歯を強く噛みしめたのがわかった。
「であれば、テネリの魔力はとうの昔に消え失せているな。俺の花嫁としてなんの問題もない。それで、まだ何かあるのかな……ベリーニ伯爵令嬢?」
「じょっ、冗談もおわかりにならないなんて! 失礼しますわ」
「さて、我々は部屋でお茶でも飲んでから戻ろうか?」
マルティナが一際大きな声を出して、くるりとテネリたちに背を向けた。レナートは彼女の耳にも入るような声量で休憩に誘い、テネリもそれに頷く。
今ここで起こったことについて、状況の確認が必要だ。ふたり並んで私室の方へと足を向けた。
「お、お嬢様ー! 探しましたのヨ」
「あら、ちょうどよかったわ。お茶の準備をお願いできる?」
パタパタと小走りでやって来たウルの声に振り返ると、彼女のさらに後ろで鋭い視線を投げかけるマルティナの姿があった。今年デビュタントであれば、マルティナ本人は15歳ないし16歳のはずだが、その瞳は少女のそれではない。
ただ、マルティナの目はテネリでもレナートでもなく、ウルを睨みつけているように見えたのが気になった。すぐに背を向けてしまったために、確実にそうだとは言い切れないのだが。
「行こう」
レナートがテネリの腰を抱いて、押すように歩き出す。その手の温もりはテネリに一人ではないのだと教えてくれた。
ウルはアレッシオに命じられてテネリを探していたのだと言った。会場にテネリもマルティナも姿がなかったことから、王太子なりに心配していたらしい。
温かいお茶を淹れると、ウルはすぐに報告のため部屋を出た。レナートの私室にふたりだけが残され、レナートはテネリの横へ腰をおろした。
「あの女に何を言われたか知らないが、あまり挑発に乗るな」
「別にそういうわけじゃ」
テネリが横に座るレナートを振り仰ぐと、予想していたよりもずっと近くに整った顔があった。近くという言葉でさえ生温い。鼻先が頬に触れるくらいの距離で、レナートの吐息すら感じるほどだ。
「訂正する。俺を挑発するな、テネリ」
「は? 何言って――」
反論するより前にレナートの唇がテネリの耳に触れた。そのまま首の方へと唇を滑らせていく。
薬を飲んだわけでもないのに血流が活性化して、心臓がバクバクと自己主張し始めた。レナートはテネリの首元に顔を埋めると動きを止め、両腕で力の限りテネリを抱き締める。
「んっ、な、なに?」
こんなに密着していては大きく動く心臓がレナートの胸を叩いてしまうし、ただ触れられただけで薬を飲んだような状態になるのも恐ろしい。それなのに腕を離してほしくはなくて、テネリはレナートの衣服を両手でぎゅっと握った。
テネリの手や肩に、身体を強張らせたレナートの緊張感が伝わる。テネリの動きひとつひとつを警戒しているかのようだ。
「君は俺がどれだけ自制しているか、きっとわからないだろう。俺はいつか必ず君を……」
「なに?」
言葉を途中で切ったレナートが、テネリの首元で大きく深呼吸をした。テネリはデコルテに感じたレナートの呼気を、ぎゅっと目をつぶって耐え忍ぶ。
背中にあった手が離れたかと思うと、両肩を掴んで身体を引き離された。
「いや、この話はまた今度にしよう。それより、マルティナはなんだって?」
「えっ……えっと、あくまで自分はマルティナだって言いたいみたいだった。私のことは聖騎士団の誰かが薔薇の魔女だって主張したって言ってる」
レナートが離れると、途端に首元が寒く感じる。テネリは気を紛らわせるようにカップに手をのばし、紅茶の香りで意識を首から引きはがした。
「さっき俺の前でそれを主張しなかったってことは、まだ部下との取引が成立していないんだろう」
「このまま何もないといいんだけど」
「今のところ俺の部下でベリーニ伯と接触した者はいないはずだが、注意しておく必要があるな。薬を使われたら一気に形勢逆転だ」
「人間は魔女に対して過敏に反応するから、私が魔女だなんて証言が出るだけでもアブナイもんね」
わざわざレナートに言うことでもないと思いつつも、テネリはマルティナの「夜のお相手もできない」という言葉を思い返していた。苦しそうなレナートの表情や態度の理由もそれが原因だ。
また、「侯爵様の妻だなんて許せない」という言葉にも引っ掛かりを覚えていた。彼女は立ち回り次第で公爵夫人だって狙える立場にあるというのに、一体どんな意味があったのだろう。
テネリがレナートの手をぎゅっと握ると、彼のもう一方の手がテネリの頭を優しく撫でた。




