第36話 魔女は聖騎士様と婚約する
テネリはリサスレニスにおける本来の婚約式の形を知らない。見る機会を得る間もないまま、自分がその当事者になってしまったからだ。
王宮からほど近い場所にある聖プリム大教会は、リサスレニスで最も大きく権威のある教会だ。王族の婚姻および葬儀はすべてここで行われる。
そして、翠の目を持つレナートの婚約式もまた例に漏れない。
「ウルには会えたか?」
入り口から主祭壇までの長い身廊を歩く中で、テネリの隣に立つレナートが囁いた。
アルジェント家からもブローネ家からも、「両親」と呼ばれる存在はこの婚約式に出席していない。だからこうして身廊を二人で歩くことが正しいのか、テネリには判断がつかなかった。
「ん。カリオが連れて来てくれた。忘れ物を届けてくれたんだ」
「せっかくだから式を見て行けと伝えたが」
「うん。ほっぺの傷がまだ治ってないから、隠れて見てると思う。ありがと」
両脇のベンチには主要な貴族が並び、側廊にまで人が溢れている。ウルはきっとこの側廊のどこかにいるのだろう。
「ここでのサインはブローネの名前で構わない」
「わかった」
レナートの説明によると、結婚式では聖司教ではなく聖王によって祝福を与えてもらえるらしい。だから、結婚式においては本名のテネリ・カスティ・ローザで署名が可能であると。
今日は、聖司教が主祭壇の向こう側に立っている。本名を明かすわけにはいかないというわけだ。
主祭壇に辿り着くと、天蓋からキラキラと光が落ちて周囲が見えづらくなった。まるでこの世にレナートとテネリの二人しかいないような錯覚に陥ってしまいそうだ。
聖司教が何か喋っている。
テネリが視線を落とすと、レナートの腕に絡ませた自分の手が見える。テネリの瞳よりも薄い、白にも近いシャンパン色のドレスと、同色のグローブ。
数ヶ月前には、こんなに綺麗に着飾ることになるなんて予想もしなかった。まさか隣に誰かがいることを、こんなに心地よく感じるとは。
「それでは、婚約記念品の交換を」
聖司教の言葉に従って、二人の用意した記念品を持ったソフィアが現れた。聖女の登場に会場が俄かにざわめく。
ソフィアの手にしたバスケットの中に、指輪とブローチが並んでいる。レナートが指輪を取ってテネリの左の薬指にはめた。大きなエメラルドに天蓋から落ちた光が反射する。
テネリが用意したのは金のブローチだ。アルジェント家の象徴である鷲の意匠で、翼に七色の宝石がはめ込まれた魔除けになっている。
レナートの胸に取り付け、さらにチェーンの先をジャケットのボタンホールへ差し込む。これなら、前線へ駆り出されたときにも連れて行ってもらえるだろう。
マダム・ベッカに紹介された金細工師と話し合っていたときには、魔女が魔除けを準備することの滑稽さに笑いを堪えるのが大変だった。
だが魔女のいない国の聖騎士団という立場のせいで、あらゆる戦場に向かう可能性があるのだと聞いてからは真剣になったのを覚えている。
「絶体絶命だと思ったら、これに祈ってね」
「心強い言葉だな」
普通なら魔除けに期待するのは絶体絶命にならないことだろうが、ピンチが訪れてから効果を発揮するところが魔女らしい。
テネリとレナートは目を合わせてフフと笑った。
「最後に、こちらの婚約誓約書にサインをお願いします」
聖司教の指示でまずレナートが署名し、彼の名前の下にテネリ・ブローネと記す。
さらにその下に聖司教が自分の名を連ね、レナートとテネリの婚約を列席者の前で高らかに宣言した。
テネリが偽名である以上、この誓約書にはなんの効力もないはずだ。しかし気持ちの上では多少の変化があった。公式にレナートの婚約者となったのだ、という意識がテネリの血流に影響を与える。
「これで正式にアルジェント家の庇護下に入ったな」
レナートが顔を近づけて耳元で囁いた。今までと生活が変わるわけではないが、テネリのリサスレニスにおける立場が保証されたと言える。
プロポーズで彼が誓った「何者にも脅かされない地位と身分」だ。
「はい、これまで以上に魔女の捕縛に協力します」
「……ほどほどでいい」
「へ?」
ほどほどとはなんだ。
レナートの意図を確認したくて見上げたとき、教会の扉が大きく開かれた。退場の時間だ。
「さぁ行こう」
テネリがレナートの腕をとって歩き出すと、列席した人々が満面の笑顔と大きな拍手で送りだしてくれる。
その中でひとつ鋭い視線が投げかけられた気がして、テネリは目だけで視線の主を探した。
「あれは……?」
主要な貴族のひとりとして、ベンチに腰かけるマルティナ・ベリーニだ。彼女は本物だろうか、それとも曇天の魔女だろうか。
自然と力の入ったテネリの手に、レナートが上から手を重ねた。
「今日は俺のことだけ考えてくれると嬉しいんだがな」
「そんな気障なセリフも言えたんだ」
「今日だけの特別サービスだ」
少し照れたようなレナートの表情に、テネリは笑って頷く。
「みんなにおめでとうって言われるのがこんなに嬉しいことなんて知らなかったよ」
「ようこそ人間界へ」
レナートと一緒なら、本当にヒトとして生きていけるような気がした。




