第33話 魔女は使い魔を使役する
「ウル、危なくなったらすぐ逃げてね!」
「アタシの心配はしてくれないわけ?」
ベリーニ伯爵のタウンハウスからテネリの足で徒歩5分ほどのところにある小さな教会に、レナートとテネリ、そしてミアがいる。前日の作戦会議で、野犬もといタヌキをベリーニ邸へ送り込もうという話になったのだ。
強い結びつきのある使い魔であれば、その視界を共有することができる。ずっと侍女としてテネリの世話をしてきたウルなら、それが可能だろうと考えられた。
「ミアのことは信頼してるもーん。ところで毛色変える?」
「曇天の猫には会ったことないからいいわ」
もしベリーニ邸に曇天の魔女がいるならば、彼女の猫が周囲を警戒しているだろう。ウルの侵入をスムーズにするため、ミアが囮を買って出たのだ。
「会ったことなかったっけ?」
「曇天の魔女は使い魔と誓約まではしないのよ。猫も死ぬまでの使い捨て。最後に曇天の猫に会ったのは30年も前のことだわ」
「使い捨てって……不死なんかイイモノじゃないんだから、それはそれでいいことじゃないの?」
ウルの前で使い捨てと言われると、倫理観に乏しい魔女と言えどなんだかバツが悪い。レナートはウルの背中を撫でながら、魔女と猫の会話に耳を傾けていた。
「アンタと曇天は違う。アレは生き物が綺麗な姿のまま時を止めるのがイヤなだけだわ」
「ふぅん……さすが長老」
テネリはミアが言うならそうなのだろう、と話を切り上げた。ミアはリベルから譲り受けた使い魔で、生きた長さでいえばテネリよりもずっと年上だ。
「準備できたら頼む」
レナートの言葉にテネリとミアが頷き、教会の扉を細く開けた。外は月明かりだけでも十分なほど明るい。
勢いよくミアが飛び出していき、後を追うようにウルが扉をすり抜けていく。初夏のタヌキはスリムだが、犬に見えるかと言われると怪しいところだ。
「殿下からこれを預かって来た。『証拠品だが、リサスレニスに滞在するうちは使っていい』とのことだ」
「これ、リベルの!」
レナートが差し出したのは薔薇の花が美しく咲いたリベルの杖だった。以前、ベッファの死体の横で見たときと変わらず、先が少し欠けている。
「もっと早く持って来られたら良かったんだが、遅くなってすまない」
「十分だよ、ありがと」
昔刻んだテネリという文字を撫でる。やっぱり、リベルの名前も記しておけばよかった。
けれどもテネリの名前がある部分だけ少し色が違って、そこに亡き師の存在が感じられるような気がした。
「彼らは大丈夫だろうか」
「どうかな。そろそろ視界切り替えるね」
テネリがベンチに腰を下ろすと、レナートはその傍で周囲を警戒するように立つ。
使い魔の視界を得るということは、自身の周囲が見えなくなるのに等しい。そのため魔女は滅多にこの魔法を使わないのだが、優等生な聖騎士団長のおかげかテネリは不安を感じずにいられた。
「ミアが早速ケンカし始めたみたい。ウルは物陰から見て……あ、マルティナがいる。夜だとなんか雰囲気違って見えるね」
庭ではマルティナが夜の散歩をしていたようだ。彼女が開け放した窓から、ウルが屋敷の中へと侵入する。
「警戒中の猫がいたってことは、魔女もいるのか」
「そうだね、だから伯爵が犯人一味なのは間違いなさそう。ま、本人は何も知らないんだろうけど」
ウルは上手に物陰から物陰へと移動しながら、エントランスホールを抜け地下へ向かった。
「レナートの言い付け通り地下に行った」
「何か隠し事があるなら地下だって相場が決まってるんだ」
途中途中でウルが立ち止まる。聴覚や嗅覚は共有できないが、恐らく匂いで行くべき方向を探っているのだろう。
ただ地面を這うような視界が続くのは、思った以上に酔いそうだ。
「貯蔵室、キッチン、洗濯室……まぁ普通だね。あ、ちょっと待って。ウルが怪しげなドア開けようとしてる。手でカリカリしてるのすごい可愛い」
「手伝えないのがもどかしいな」
「さらに地下があるみたい。いま階段降りてる」
レナートの相槌を聞きながら、テネリは不慣れなタヌキの視界に集中する。魔女や人間の目とは違って、どうしてもピントが合わないし色もよくわからない。細かい部分は、ウルが戻って来てから確認するしかないだろう。
「今夜は中立を表明していた人物が屋敷へ入ったと報告を受けている。ウルはそれを見つけていないみたいだな」
「うんー。サロンは覗いてないから絶対とは言わないけど、侍従の動きも落ち着いてるし、キッチンにも……ちょっと待って、たくさん人がいる」
ウルが覗き込んだ部屋には、大きなベッドがあった。5、6人の男女が衣類を身につけないまま蠢いている。
「なにをしているんだ?」
「こ……交尾?」
「は?」
「――っ! やばい、バレたっ」
唯一しっかり服を着ている女性がウルを見つけ、慌てて駆け寄る様子が見えた。と同時にウルが走り出す。全速力で空を飛ぶときよりも早く流れる景色に眩暈を覚え、テネリはウルとの視界共有を解除した。
「大丈夫か?」
頭を押さえるテネリにレナートの心配そうな声が落ちる。
「マルティナがふたりいた」




