第31話 聖騎士様は伯爵さまと喧嘩する
頬にキスするのはさすがにやり過ぎたらしい。テネリは腰を抱くレナートの腕を振り払い、目に涙を溜めたまま場内を早足で歩き去ってしまった。進行方向にソフィアとアレッシオがいるのを確認して、レナートは面白くもない世間話に相槌を打つ。
聖王派、貴族派、日和見、中庸。いろいろな考え方と立場があり、それらが混じり合って今のバランスがとれている。
アルジェント侯爵家は常に聖王派にあったが、対立派閥が存在感をアピールすることは歓迎していた。
もし自分が王となるようなことがあったら、自分の力だけで誰もが認めるような善政を布くなど不可能だ。王族としての教育を受けた結果、そう考えるようになっていたせいだ。
「薔薇の魔女はまだ捕まっていないとか」
一通りの挨拶を終えたらしいチェルソ・ベリーニが戻って来て言う。彼は、聖王にばかり力が偏ることを危惧して声をあげる貴族派の筆頭だ。
「ええ。すっかり姿をくらませてしまい、情報が全く入ってきませんね」
「結界は100年も前のものですからな、機能しているかも怪しい。それより軍事に力を入れるべきです。人間は進歩する。武器も防具も技術も、魔女に劣るようなものはないのです」
拳を振り回しながら演説するチェルソに、日和見貴族が大きく頷いて見せた。
そもそも魔女は滅多に人間にそれとわかる姿で現れないものだが、それに加えてリサスレニスの国民は本物の魔女を目にする機会などないに等しい。
だがテネリの魔法を見た今、レナートは人間の軍事力などというものが魔女に対抗し得るとはとても思えなくなっていた。
きっと大量の薔薇に押しつぶされたり、棘に刺されたりするうちに見失ってしまうに違いない。
「帝国やカエルラがいる以上、魔女にばかり軍を投入するわけにもいきますまい」
「だからこそです、閣下。魔女などさっさと捕縛して処刑し、我々は他国の侵攻に備えなければならない」
チェルソの言葉にレナートが眉根を寄せたとき、左腕を取られる感覚があった。つぎに、二の腕に柔らかい感触。
「お顔が怖いですわ、お父様。レナート様だって国の平和のために精一杯やってらっしゃるのに!」
その声に左側へ顔を向けたとき、レナートは会場のずっと奥にいたテネリを見つけた。すぐにソフィアに連れられてどこかへ行ってしまったが、あの表情には見覚えがある。
いつだったか「レナートは完全な味方なのか」と問われ、即答できなかった瞬間のそれだ。傷ついたような、諦めたような心を抉る顔。
「政治の話に口を出すんじゃない、マルティナ。……しかし閣下、この度のご婚約には貴族の間に不安の声も多くあがっています。アルジェント家の隆盛に影が差すようなことがあれば――」
「あれば、なんです?」
「いえ……。ただテネリ嬢の出自には謎が多いとの話も出回っています。そろそろ、聖王派と貴族派が手を取り合う方向へ舵をきるのも良いのではと」
チェルソがいやらしく笑ってマルティナに目配せすると、レナートの左腕がくいっと引っ張られた。
「レナート様、婚約式の前にふたりでお出かけしませんか? わたくし、連れて行ってほしいところがあるんです」
レナートはどうにか舌打ちを飲み込んで、右手でマルティナの腕を剥がす。
「婚約者を蔑まれて笑っていられるほど馬鹿ではないし、婚約者のいる男を誘うような軽薄な女性と出掛けるほど暇でもない。失礼する」
「我が娘を軽薄だなどと……!」
日和見の貴族がレナートとチェルソの顔を何度も見比べるが、ふたりの間に生まれた溝が埋まることはない。
レナートが背を向けると、すれ違いざまにマルティナが小声で呟いた。レナートにしか聞こえないほどの小さな声だ。
「テネリ様って、薔薇の魔女によく似てるそうですね……」
レナートは何も聞こえなかった振りをしてその場を離れ、広い会場の中にテネリの姿を探した。
テネリと出会ってから、レナートにとって彼女は栄養剤のような存在になっている。自由気ままで素直ではないが可愛くて、そしてレナート・アルジェントという人間に存在する意味を与えてくれた人。
アレッシオが生まれてから今まで、ずっとスペアとして生きてきた。しかし今では、テネリがこの国で生きるために必要な、たったひとつのキーなのだ。
「怖い顔だな。で、ベリーニはどうだった」
テネリの元へ急ぐレナートの前にアレッシオが立ちふさがる。
「ベリーニはやはり怪しいですね、特にマルティナ」
「口説く振りしていろいろ内情聞けばいいのに」
レナートが睨むと、アレッシオは笑みを浮かべつつも両手を上げて降伏の意を示す。レナートはそれを無視してアレッシオの脇をすり抜け、歩を進めた。
「各調査も進んでるし、新たに考えないといけないことも増えた。テネリ嬢に確認したいこともあるし、一度彼女を連れて王太子宮へ来てくれると嬉しいなぁ」
「善処します」
アレッシオは満足げに頷いて、レナートの横に並び歩いた。




