第27話 魔女は結婚の準備を始める
「じゃあこれ、よろしくね!」
大きく真っ黒なカラスが「カァ」と一声鳴いて、侯爵邸の窓から飛び立った。彼の嘴にはサカサマノミとノニッタの種が入った小さな袋がぶら下がっている。
「あれどうするのよ」
「ラナラーナに育ててもらうの! サカサマノミって綺麗な水辺じゃないと育たないでしょ? ノニッタはいくらあっても困らないし」
「ああ、あの狩猟小屋。カエルを留守番させたのが役にたったってわけね」
「テネリちゃんの先を見通す力にひれ伏すがいいよ!」
ミアは返事をしないまま興味無さそうに欠伸をして、日当たりの良いお気に入りの窓辺で寝そべった。と同時に部屋の扉がノックされ、最近新たにテネリの世話をするようになった侍女の声がした。
「テネリ様、マダム・ベッカがいらっしゃいました」
「ありがとう、すぐ行くわ」
マダム・リーゼ・ベッカ。元々はレナートの母アンナが結婚前に専属デザイナーとして重用していた人物だ。数年前に引退し、今は気が向いたときに気が向いた相手にのみ、その辣腕を振るうらしい。
今回アンナの紹介で、マダム・ベッカが婚約式から結婚式までの、テネリの全ての衣装を担当することになった。結婚式までに外で着用する全ての衣装が花嫁の印象を作る、というのが彼女のポリシーで、仕立てるドレスの数も半端ではない。
「え、わ、すごい……」
案内された小ホールへ向かうと、所狭しと衣装が並べられている。いくら小さいとはいえちょっとした集まりや、ダンスの練習等に使うホールだというのに。
「引退してから今までに思いついたデザイン全てです。先に採寸いたしますから、ささ、こちらへいらして、脱いでくださいませ」
マダム・ベッカはシュミーズの上からテキパキと採寸していく。手を上げろとか下げろとか、息を吸えとか吐けとか、背筋を伸ばせとか本当に貴族かとか、指示が的確すぎて最後の方は最早悪口だったが。
「最初に知らされたサイズと少し違いますわね」
「最近まともなご飯食べてるから! 採寸は終わり……?」
「いくつか選びますから休憩していてくださいませ。そこのあなた、それとあれと、そっちの、そうそれも。避けておいて頂戴。テネリお嬢様はお顔立ちが可愛らしくていらっしゃるから、あまり胸元を強調するのは素敵じゃないわね」
ぎゅうぎゅうに並べられていた衣装がどんどん間引きされていく。顔立ちやスタイルで似合うか似合わないかを判断しているらしい。そして恐らく、傷跡も。
「そうね、テーマは『生まれ変わり』にしましょう。伯爵令嬢から侯爵夫人、少女から女性、そして自分の世界からお相手の世界へ。お嬢様の色から始まって、日を追うごとに少しずつ侯爵閣下の色へ。結婚式には上から下まで侯爵様のお色にします」
うんうんと頷くマダム・ベッカは、いくつもの衣装の中からひとつ選んではテネリの前に並べていった。テネリに人間の、しかも貴族の衣服の流行り廃りはわからないが、それでも左から順にドレスが少女から大人の女へ成長していく様子が見える。
右端に置かれたドレスは過度な装飾がなく、全体的なボリュームも控え目で品が良い。これが似合うヒトならきっと、レナートの隣に相応しいだろう。だがテネリはそれを着こなす自信が持てなかった。
「これ綺麗だけど私には難しそう」
「ドレスは道具です。自分がどんな人間であるかを周囲に知らしめるもの。『私らしくない』なら聞き入れますが、『服に追いつけない』は認めません。侯爵夫人になろうという方がドレスひとつ着こなせずにいかがなさいますか」
「すごい、見た目通り容赦がない」
マダム・ベッカの指示で一着ずつ試着していく。
引退してから手慰みに標準的な体型に合わせて仮縫いしたものだとの説明通り、小柄なテネリにはどれも大きかった。が、マダム・ベッカがあっという間に余った部分を針で止め、出来上がりの状態を十分にイメージできるようにしていく。
「婚約式ではどんな記念品を閣下へ贈るご予定ですか?」
「え?」
「ブローチや指輪、時計にクラバットチェーン……閣下は騎士様ですから剣も喜ばれるかもしれませんね」
「あ、ああそうね、まだ考えてなくて」
まさか貴族の婚約に贈り物をする風習があるとは思わなかった。
テネリは笑って誤魔化したが、知識もツテもない状態で対応できるのか不安になって嫌な汗が出る。
「んまあああ! 何をのんびりしてらっしゃるの。今からでは大仰なものは間に合いませんよ! いいわ、わたくしが馴染みの金細工師をご紹介いたします。王宮からのお呼びもある職人ですから間違いはございませんでしょう、そちらでご相談なさいませ!」
「あっ、ハイ」
その後マダム・ベッカは、「んまああ!」を連呼しながらテキパキとテネリにドレスを着せては布や糸、それに宝石の見本を見比べ、メモをとっていった。
その勢いには圧倒されるばかりだが、経験と自信に裏打ちされた言動は心地良くもある。
「はい、ご苦労様でございました。これで進めさせていただきますね。最後の調整に入る前にもう一度こちらへ参ります」
言われるがままに着たり脱いだりするうちに、マダム・ベッカは仕事を終えたらしい。テネリが元々着ていたドレスを着終える頃には、全ての道具をしまって帰り支度さえ完了していた。




