第22話 魔女は土いじりをする
聖王の庭でレナートに捕まり、王宮からほど近い場所にある侯爵家のタウンハウスへ連れて来られてから早3日が経過している。が、テネリは混乱に次ぐ混乱でベッドに臥せっていた。
「もう昼になるわよ」
「人間が優しい! おかしい!」
「人間が人間に優しくするのの何がおかしいのよ、アンタを魔女だと知ってるのはこの家にレナートしかいないんでしょ」
侯爵家に仕える人々は、執事や侍女長を筆頭に誰もがテネリに礼儀正しく親切に接していた。
屋敷内の案内に始まり、主要な人物の紹介に必要な物の手配、それに美味しい食事と至れり尽くせりだ。
「そりゃそうだけど。突然現れた謎の女によくここまで親切にできるよ……善意が怖い……」
「魔女にさえ優しくしてくれる、今までの人間の善意ぜんぶ忘れたのかしら、この空っぽ頭」
「確かに」
ガバっと起き上がって、二度三度とこめかみを揉んだ。
長旅や環境の変化でお疲れなのだろう、と侯爵家の人々はテネリをそっとしておいてくれるのだが、その親切さえテネリの肌にはヒリヒリとした痛みがある。
「これはアレだね。責任から逃げたい魔女っぽい自分と、信頼と善意だけでそれを肯定しちゃう人間との板挟みっていうの?」
「罪悪感」
「そうそれ。魔女なんて責任を放棄するのが責任みたいなとこあるじゃん」
「初耳だけど」
あるの! と足をバタバタさせるテネリの元に、ウルが洗面器を持ってやって来た。ウルは侍女の仕事がやたら気に入ったようで、かいがいしくテネリの世話をしてくれる。
「レナート全然帰って来ないし」
「逃げるなら今よ」
「やだね、一国を敵に回すのは面倒臭すぎる」
ウルにされるがまま着替え、鏡台の前に座らされ、何もしないうちに「未来の侯爵夫人」ができあがっていく。
「髪の色を早く変えて欲しいのヨ」
「あ、ハイ」
「ウルはご主人と契約して幸せなのヨ。人間の生活も、お仕事も、セキニンもおもしろいのヨ」
深紅からストロベリーブロンドへと髪色を変えると、ウルは嬉々としてアクセサリーを選び始めた。
宝石を赤にするか黄色にするかでウルが唸っていると、控えめに扉がノックされる。やって来たのは執事で、彼は「お城からお届け物です」と告げた。
執事の案内に従って向かったのは屋敷の庭だ。そこにはハーブが所狭しと並べられていた。しかも、テネリが欲しがったものばかりが、すぐにも株分けや挿し木のできる状態で。
「えっ、これ……凄い。こんなにたくさん、どなたから?」
「ご一緒にいただいたお手紙がこちらに。送り主様のお名前は『F』とだけございます」
他の侍従が持ってきた銀のトレイが執事の手に渡り、そしてテネリの目の前にうやうやしく差し出された。
トレイに載っていたのは封さえされていない、けれども質の良いメッセージカードだ。
――ご所望のものを。F
「あのおじいさん、何者かしら。……お庭で育てたいのだけど、庭師の方と相談させてもらえる?」
「もちろんでございます」
執事が深々とお辞儀をして背を向けた。
タウンハウスなのに侯爵邸はとても大きく立派で、庭の大きさも十分だ。が、美しく整えられ色とりどりの花が咲き乱れる庭に、毒を含むハーブを育てたいと言ったら嫌がられるかもしれない。
「お呼びで?」
「あっ、えーっと……」
「ドナテロです、テネリ様」
テネリの前に現れたのは、土汚れのついた衣類の男性だ。髭や日に焼けた肌が本来の年齢を隠しているが、恐らく中年というにはまだ若いだろう。成人にも届かない息子とふたりで侯爵邸の庭を整えているらしい。
「ドナテロね。実はこのハーブをお庭で育てたいのだけど、どこかに場所はあるかしら」
「見たことのないのがあります。特性がわからないことには」
目の前の緑を一瞥して庭師が言う。
テネリも同様にハーブを眺めながら、見たことないというのは恐らくノニッタだろうとあたりを付けた。
「さすがにサカサマノミはないかー」
「サカサマノミ?」
問い返すドナテロに、テネリは「気にしないで」と笑い、ドレスが汚れるのも構わず鉢をひとつ持ち上げて葉っぱを摘まんで見せた。
「これはノニッタ。タイムにそっくりだけど葉の裏側が紫色なの。直射日光が苦手なところもタイムとは違うわ。それから――」
ドナテロは知らぬ植物の知識を得られることに喜びを感じているのか、茶色の目を輝かせてノニッタを見つめる。テネリの伝える育て方を暗記すべく、髭に覆われた口元をもごもごと小さく動かして復唱していた。
毒があるものも問題ないとのことで、午後はふたりでハーブの植え付けに精を出した。
「なにをしてるんだ?」
「あれ、今日は帰って来たんだね」
レナートの声に腰を上げてはじめて、すでに日は大きく傾いていることを知る。
ドナテロはレナートに「おかえりなさい」と一声掛けて軽く頭を下げると、道具を持ってその場から離れた。そこには主従の間にありがちなよそよそしさも圧力もなく、ただふわふわした温かな空気があるだけだ。
「泥だらけだ」
「ごめん、せっかく用意してもらったドレス汚しちゃった」
「構わない。着替えて食事にしよう」
レナートがテネリの頬の泥を手で拭う。テネリは、迎えに出てきた執事とメイドがニコニコとこちらを眺めているのに気づいて、真っ赤な顔でレナートの手を掴んだ。




