第2話 魔女は聖女に手を差し伸べる
人混みの中、テネリはまっすぐにレナートと呼ばれた男の元へ走った。
処刑台の上では、真偽も定かではないソフィアの罪状がゆっくりと読み上げられている。
「あなたも彼女が魔女だとは思ってないでしょ?」
レナートの目の前に立って単刀直入に切り出した。美しいエメラルドグリーンの瞳に困惑が滲む。一瞬だけ周囲を見渡して、形のいい口を引き結んだ。
「助けたいなら協力して。数日だけ身を隠せる場所を用意してくれればいいから」
「……話がまるで見えないな。さぁ、摘まみだされる前に部外者は向こうに行くんだ」
「もう! あの子を死なせちゃ駄目なんだってば!」
明確な承諾は得られなかったが、協力がないならないで構わない。レナートにパンの入った紙袋を押し付けて、背を向ける。
「おいこら、待たないか!」
叫ぶ声に他の聖騎士団員が反応してテネリを止めに入るが、それらをひらりと躱し、猫のようなしなやかさで処刑台へと昇った。
罪状を読み上げていた役人と、刑の執行人とが同時に闖入者を排除しようとするが、テネリの細い指が彼らに触れると途端にピタリと動かなくなる。
広場に集まった人々は、突然現れた小柄な人物を固唾を飲んで見守った。ローブの下のスカート姿に女とわかっても、深く被ったフードのせいで年齢も表情も判然としない。
「あなた、印はどこにあるの?」
テネリがソフィアに問う。聖女なら必ず、力が目覚めたときに体に印が浮かぶというし、それを証拠として提示していれば、こんな事態にはならなかったはずだ。
ソフィアはハッとして顔を上げたが、ふるふると唇を震わせただけでまた俯いてしまった。
「見せられない場所?」
「左の腿に……」
返って来た言葉に息を呑んだ。これが聖女の最初の試練だと言うなら少々厳しすぎる。
今時、女性が肩やデコルテを露出するようなドレスを纏うことは少なくないが、脚は駄目だ。そんなところを夫でもない男に見せたら、それこそ聖女だなどと信じてもらえないだろう。
「この子は魔女じゃないのに、処刑しちゃっていいの?」
人々に向かって問いかける。ざわめく観衆の中から「嘘をつくな」「魔女は殺せ」と声があがり、レナートもまた台の上へと上がって来た。
いま捕まったら、さすがに少しばかり厄介なことになる。テネリは心で舌打ちをした。
「もしこの子が聖女だったら?」
負けじと問いかけるテネリの言葉で人々の表情に動揺が浮かび、静寂が生まれる。その綻びを広げようと、さらに畳み掛ける。
「どうして女の異端審問官がいないの? シスターを連れて来て。女性の騎士でもいい。すぐに呼んで、彼女の話を聞きなさい」
「そうやって時間稼ぎをするつもりか!」
怒声が上がり、テネリはカッとなってフードに手をかける。
「信じられないならこれを見て」
勢いよくフードを下ろすと、テネリの深紅の髪が太陽の光を受けて輝いた。薔薇の花のように、闇をはらんだ真っ赤な髪だ。
「魔女だ」
広場の先頭にいた誰かが呟いた。その小さな声は広場の奥へ奥へといっそ静かに伝わっていく。
「殺せ!」
どこかで誰かが叫んだ。
「魔女を殺せ!」
「石を投げろ!」
ざわめきは、民衆の怒りは、野火のごとく広がり燃え上がる。
魔女へ向けられる強い感情はテネリを酷く動揺させたが、レナートの足元にポツリと置かれた紙袋が不思議と冷静さを取り戻させてくれる。できることなら爽快な気分でふわふわのパンを食べたいものだ。
「誰がホンモノだかわかった? 私の髪は薔薇の色。夜明けの魔女の髪は見るたび印象の変わる暁の色。若葉の魔女は生まれたばかりの柔らかな新芽の色。どれもとびっきり美しいの」
民衆の最前列からさらに一歩前へ出た小さな人影が、足下から何か拾って大きく振りかぶる。
「魔女なんか殺しちまえって、父ちゃんが言ってた!」
テネリは応戦しようと杖を取ったが、すぐ手を止めた。相手は年端もいかない子どもだ。魔法なんて使ったら、大怪我をさせてしまう。
「もうッ」
甘んじて一発くらい受けてやるかと目を瞑ったそのとき、瞼の向こうが暗くなってテネリの背に温かいものが触れた。
石は乾いた音をたてて転がる。
「その子どもを保護しろ」
太くは無いが低く響く声は、決して大声をあげたわけでもないのに混乱の中でよく通った。子どもの投げた石は、テネリの視界を覆う大きなマントが防いでくれたらしい。曇った夜の空にも似た青灰色の豪奢なマントはレナートのものだ。
顔を上げると涼やかな、しかし少し怒ったような翠の瞳がテネリを見下ろしている。密接すると、彼が思ったよりも騎士らしい立派な体躯であるとわかった。否応なしに男らしさのようなものを感じてしまい、なんだか気恥ずかしい。
「あ……りがと?」
一方で、人間が庇ってくれたとは俄かに信じられず、二度三度と瞬きをする。
そう言っている間にも民衆の激情は膨らむばかりで、聖騎士団の面々は人々を抑えながらレナートに指示を仰いでいた。
「君は、魔女なのか?」
質問には答えず、テネリはマントをめくって広場に視線を走らせた。人混みをかき分けて女性の騎士が、さらに広場の入り口にはシスターの姿が見える。
「シスター呼んでくれたんだね、絶対に女の人だけで話をさせてあげて」
レナートから離れて前へ出ると、人々の熱気と狂気がテネリを包む。屈強な騎士たちのおかげで魔女を害そうと動く人物はいないが、それも時間の問題だ。
「人間って本当に滑稽ね、聖女を殺そうとするなんて! 私が代わりに殺してあげましょうか? 火の扱いだって自在なの、ほら見て」
観衆の前列を炙るように、突然大きな火の手があがる。聖騎士団員も人々も、驚いて二歩三歩と後じさった。
「ふふ、おかしな顔! もう二度と薔薇の魔女を騙らないでね。それじゃあ皆さんごきげんよう!」
テネリは左足を引いて腰を落とし淑女の礼をとると、だしぬけにローブを放り投げる。
舞い広がるローブが人々の視線を誘い、空からポロポロとこぼれ落ちる深紅の薔薇の花びらが心を奪う。轟々と燃える炎や空高く舞ったローブがパッと満開の薔薇に変じて弾け、人々が我に返ったときにはもう、魔女の姿はなかった。




