479:天の主より下界を望む男
「ナガレ見えてきたぞ、あれが〝永楽ノ園〟だ」
エルヴィスが指を指した方向に広がる巨大な街なみ。周囲を人工の湖に囲まれ、その様相は水に浮く不夜城そのものだった。
赤・紫・青・緑・黄・桃・金の七色の光があふれ、深夜というのに魔具の明るさは陰る事を忘れ輝きを増す。
建物は西洋建築ふうではあるが、壁は漆喰のような素材で塗られており、まるで蔵屋敷が異世界に立ち並ぶ。
「おいおい。これは江戸が魔都になって、こっちに飛ばされてきたのか?」
「エド? 違うな江戸か。それが何かは知らないが、あれが無法地帯だよ。そして中央に見えるのが、あの遊郭最高の宿である〝天魔〟だ」
流はエルヴィスの話を聞きながらも、天魔と呼ばれた建物から目を離せない。なぜならその建物は流がよく知っているものだったから。そう、あの建物は――。
「嘘だろう、あれは安土城……なのか?」
不夜城の中央にある巨大な城。その姿はあまりにも有名かつ幻の城であり、伝承と同じ豪華絢爛な天主を持ち、望楼型と言われる下層と天主が別の作りのものだ。
その下層はまさに日本の城そのものであり、天主にいたっては伝承よりさらに派手な作りになっていた。
金と朱色の天主を守るように二体の黒龍がとぐろを巻き、見るものを圧倒する。
「驚くのは近くに行ってからにしようか。まずは入場税を支払わないとな」
永楽ノ園の入り口までくると、いかにもチンピラ然とした雑魚が四名で道を塞ぐ。
エルヴィスはヤレヤレと思いながら、チンピラへと銀貨を渡す。
「へへへ、いつもご贔屓にしていただきありがとうございやす旦那」
「お前たちも門番ご苦労だったな。そうだ、これで一杯やってくれ」
「おおお!? もう一枚もらえるとは流石はお大臣だ! お大臣様のおな~り~」
チンピラがそう言うと、門の上にいた娘たちが花びらをまきちらす。そして元気に明るく流たちを歓迎する。
「「「お大臣様ぁようこそ永楽ノ園へ♪ ゆっくり楽しんでいってねぇ」」」
「ありがたく楽しませてもらうよ。さて行こうかナガレ」
「ぉ、ぉぅ……なんか凄い場所だな」
門をくぐればそこは異世界を超えた異世界。流がこれまで見てきた町並みとは違い、快楽を追求するだけの町が広がっていた。
大通りの左右には飲食店が立ち並び、開放的な賭博場では丁半博打や、絵札による賭け事が行われており客たちは白熱。
その向かいの店では、安酒から高級酒までとりそろえてあるスタンドバーがあり、おしゃれに酒を呑む男女が愛をささやく。
その隣の店は高級下着売り場となっており、貢ぐ相手へのプレゼントを吟味している男が財布と相談。
男が財布と睨みあっているすぐ後ろの道では、酔っぱらい同士の喧嘩がはじまった。
よっぱらいが転げ出た建物には揚屋とよばれる家に、遊女が格子窓の奥で優雅にくつろぐ。そこから妖艶な腕をだし、流へそっと手招きする。
「あ~ら、いい男ねぇ。どうだい遊んでいかないかい?」
「ぇ……ぁ……はぃ~」
『流さまぁ? 今は観光している時じゃないですよねぇ? ね~ぇ?』
「うむ、なんて素晴らしい格子窓だ! 漆塗りに似た塗料に思わず見惚れたね! ハッハッハ」
『まったくもぅ! それより気がついている? なにか嫌な感じがするんだよ』
「美琴お前もか? 俺もこの町に入る前から気にはなっていたが、てっきり王都が近いからだとばかり思っていたが……」
「どうしたんだ二人とも。永楽ノ園になにかあるっていうのか?」
「んん、なんと言ったらいいか分からないが、何かざわつく感覚だ」
『そうだね。こう、獣の檻の中にいるような感じみたいな感覚だよ』
エルヴィスは周囲を見渡すが、そこはいつもと変わらない背徳の町が広がるだけであった。
◇◇◇
童子切は再び陰る満月を見て静かに立ち上がる。厚い雲におおわれた月光は、歪な不夜城をますます輝かせた。
天主から下界を一瞥すると、口角をあげ一言。
「来たか……」
「そのようですえ」
「じゃぁ行きますかねぇ、楽しい祭りの会場へ」
「笛や鼓の用意もできておりますえ」
「さすが俺の駒那美。そら気がつくねぇ」
童子切は赤い鞘の刀を左手に持ち、右手には徳利を手に天主を降りていく。
その後を駒那美が静かに付き従い歩く、が。その表情はさみしげでもあり、それに反し力ある瞳の奥にやどる決意が、童子切の願いが叶えばいいと心底思う。
――それが終焉であっても。
「おや、あんさんじゃないかい。今日は呑んでいかないのかい?」
「すまねぇな。今から客と会うもんでな」
「おう! あんさん、どうよこれからひと勝負?」
「わりぃな。ちと野暮用でなぁ」
「あんさん! 今日こそツケ払っとくれよ!!」
「ぁ~あれだ。いい男ってのは宵越しの銭は持たねぇのよ。後で払いにくるって、そうにらむなよ。な?」
「おや、今日はあの御方はご一緒じゃないのかい?」
「いるさ、いつでも俺のそばにな」
「あぁそうだったねぇ。駒那美様もごきげんよう」
童子切が町に降りるとすぐに囲まれる。みんな童子切に好意的であり、飲み代を催促する女すら苦笑いをして童子切へと手をふる。
そんな後ろから駒那美は、しずしずと付き従う。みな童子切ばかり注目するが、なぜか絶世の美女である駒那美には誰も見向きもしない。
だがいないはずのように進む駒那美だが、だれしもがその見えない存在を認識し、いないが全員彼女へ敬意をはらう。
奇妙な話だが、それがこの町の住人だった。ただ、猫や犬だけが彼女を凝視するのだった。




