432:無機質な声
ラースはいまだ傷を癒やす吸血熊の方を見ながら、続けて堰を切ったように話を続ける。
「あれは死ぬ直前であっても、食欲を呼び起こすほどの強烈に旨そうな香りがする蜜だ。生物の食欲本能に直接影響すると行っても良い。それを取られた斥候が、喰われてからあんな風に豹変したと思う。だからまずあの蜜ツボを、あの鼻の中より排出させないと、いつまでも凶悪な食欲に支配されるはずだ。そしてヤツは『より新鮮な血肉』を好む」
「なるほど、つまりあの蜜ツボのせいでバケモノになったと?」
「ああ、そうとしか考えられない。最初の報告では普通の蜜熊だったはずだ。それが斥候が釣ってきたはずのアイツは見ての通りだった。が、さっきまではあんな大きさでもなく、蜜熊が凶暴化しただけな感じだった。今とはまるで違う。それに、あんたもそう思ったから鼻横を殴ったんだろう?」
そうラースに言われ、流はうなずく。だが、あまりにもムカつく顔で自分を見るので、「なんとなく殴っただけです」とは言えなかった。うむ。
「そ、そうだ。なんとな~くアレがクサイと思ったからな! ハッハッハ」
『またそんなテキトーなことを言うんだから……』
「な、何だ!? どこから声がしたんだ?」
「あぁそれはあとから説明するよ。ありがとう、スキンヘッドの人」
「ラースだ。こちらこそ本当に感謝している。では頼む! 勝ってくれよ!!」
「分かったぜラース。戻る時に怪我すんなよ!」
ラースは男臭い笑みを浮かべると、そのまま走り去る。
「きっかけは分かった。だが……」
『そうだね。きっとヴァンパイア化したのは〝樽〟が原因だろうね』
「ああそうだろうな。まずは情報通り、あの凶暴すぎる食欲を無くすことから始めるか。もう少し早く分かっていたら、さっき斬り落としたものを」
『でも悪いことばかりじゃなかったかな』
「美琴も気がついたか? じゃあそっから攻めますかね」
復活しつつある吸血熊が次に狙う獲物。それはイルミスが倒したであろう蜜熊の死体。
さらに近くで今死んだばかりのものか、まだ息がある個体に来ると予測する。
そこに先回りすることにより、吸血熊の回復を邪魔しつつ、攻撃をする行動にでた。
案の定、吸血熊は、復活と同時に黒い霧となり二方向へと分散する。が、目的はすでに判明した。
「ククク……何度でも蘇ってみせる。これこそ我が謎の声より得た無敵の力と知識。さぁ喰らいつくしてや――ヴぁがああああ!?」
「次どこの現れるかわかりゃぁ、その汚ねぇ面を斬る事はぞうさも無い」
「く、くそああああああ!! これでもくらええええ!」
吸血熊が実体化した瞬間、その上半身を斬り裂く。たまらず苦痛の悲鳴をあげた吸血熊だったが、その言葉に気になる点があった。
だがその前に襲いくる真紅の爪を悲恋美琴で弾き飛ばし、さらにその打ち上がった右腕を斬りつける。
「おい、お前今なんて言った? 謎の声だと?」
「グウウウッ……そうだ。我が完全体となる少し前に気味の悪い声で色々言われたが、それが何かを理解することは出来なかった。が、その言葉を聞いた後、突如『知識』が頭脳に入った事で、人語やその他のことも突如に理解できた」
「……その声は最後に皮肉を言っていなかったか?」
「グルル……言っていたな。それが初めてあの声の主が言っていた意味を、理解した瞬間だった。そう、『愚カナ魂ヨ、永遠ノ空腹地獄デ、生キル事。ヲ、期待シマス』とな」
流はその言い回しをよく知っている。それはあの『理』そのものだったのだから。
「そうか。『理』のやつがお前にも力を与えたのか」
「『理』と言うのか? ふん。なんだか知らんが、おかげで最高の時を生きられる! だからこそ、こんな事もできると知った!」
吸血熊は斬り飛ばされた右腕を瞬時に回復すると、漆黒の霧の塊を流に向けて吐き出す。
周囲は黒い霧と強烈な血の臭気で満たされ、流は気持ち悪さとめまいに襲われる。
「ブラッディダークフォグ……と、言うらしい。ただ視界を奪うだけではないぞ? ほれ、しのいでみせろ!!」
「グゥ! なんだこれは!?」
黒い霧の中より吸血熊の手が攻撃してくる。それを弾いたと同時に、背後からも殴られてしまう。
背中に鈍い痛みを感じながらも懸命に勢いを削ぐため、流は逆方向へと飛ぶ。
が、そこにも吸血熊の手が伸びており、その鋭い爪で左肩を切られてしまう。
それをかばう余裕もなく、今度は上下から挟み込むように爪が襲いかかる。
「クッソ、どうなっている!?」
『流様落ち着いて、大丈夫! 後ろは私がいるから』
「頼むぜ美琴!」
『うん、って、左斜め上!』
美琴の言葉で振り向きもせず、背後から迫る爪を、悲恋を背負うようにして弾き返すのだった。




