422:くまさんの宴もたけなわ
それを見た配下の熊は、即座にそれを実行にうつす。
今も自分の手の中にいる、少し力を入れれば壊れる存在。ほんの少し力を入れれば……。
〝ポギッ〟
意識が朦朧としていた表情の娘、シーラは初めての感覚で覚醒する。
突如右腕から聞いたことの無い音がした次の瞬間、激痛が霧がかかったような意識を目覚めさせた。
「ぐぎぃぃぃぃぅッ!?」
「シーラアアアアア!!」
ラースは叫ぶと、右手に持っているロングソードを抜刀しながら、シーラを拘束している蜜熊へと斬りかかろうとした刹那、突如背中に衝撃が走る。
それが何かも分からず前のめりに倒れ、そくざに起き上がろうとするが。
「ぐあああああッ! も、森長ぁぁ!?」
「コレハ禊。神聖ナ物ヲ、祀ル場所。ソコヲ汚シタ罪。重イ。トテモナ。ダカラ勇者、オ前ハ動クナ」
森長に背中を踏みつけられ、そのまま微動だに出来ないラース。その見ている前でシーラを拘束している蜜熊は、左腕も小枝のように――折る。
「ぎゃううううぁッ!!」
シーラはあまりの激痛に意識を失う、が。
「うぎぃぃぃぃぃぁ!?」
「シーラアアアア!! やめろ! やめてくれ!!」
蜜熊は気絶したシーラを起こすため、鋭い爪で露出していた腹部を爪で軽く割く。
その痛みに再覚醒し、そして熱いもので足元を濡らす……。
あまりにも残虐非道なやり方に、冒険者達も死にものぐるいで蜜熊へと斬りかかる、が。
「「「グアアアアアア!?」」」
そうなるのを見越していたように、蜜熊たちは背後から冒険者たちを攻撃する。
たまらず苦痛の悲鳴を上げ、前に飛ぶように転倒する男たち。それを踏みつける蜜熊たちは、勝ち誇るように遠吠えをする。してしまう。
だから……あのバケモノを目覚めさせる事になってしまう。
――バケモノは遠くで吠える元・同胞の声で目が覚める。
だがそこまでだ。体は動かず、腹部が焼けるように熱い。いや、実際焼けただれている。
この傷で生きてる自分が不思議だった。そして同時に覚醒したばかりの意識も、徐々に消えていくのを感じる。
蜜熊……いや、吸血熊は悟る。もう、死ぬのだと……。
死の淵になっても、吸血熊は一つの「欲」に固執する。
ただ、いま、全て、全部、思うままに――『食い尽くしたい!!』
瀕死の吸血熊がそう思う最大の理由。それは右の鼻に詰まったままの、白いツボから溢れ出す香り。
すぐ迫る死すら忘れる純粋な欲求。――『食欲』
この欲求からは逃れられない。だからこそ、すでに無いはずの胃を満足させるため、食べるために足掻く。
動かないはずの右手を、ただ食欲を満たすためだけに、強烈な意思の力でねじ動かす。動かせてしまえた。
〝ぐにぃ〟
吸血熊はそれが何かを知っている。今日はじめての経験だったが、柔らかなその感触を。
そう、これは新鮮な「人間」だと知っている。
無我夢中になり爪でその人間を引き寄せると、エサは苦痛の声をあげる。
それは先程、蜜熊との一騎打ちで惜しいところまで行った男、ヤンだった。
ヤンは吹き飛ばされた事で瀕死の状態だったが、吸血熊の爪で引き寄せられることで痛みに呻く。
爪をほどこうとヤンも必死になって力を込め、脇腹に食い込んだ爪を剥がそうとする、が。
「離せえええ!! ぐうがあああああ……ああぁ……ぁぁ……ぁ…………」
(うまい・うまい・うまい・ウマイゾ!? 体が元に戻って行くのが分かるッ!! 何という事だ。ここまで肉体が死の淵を覗こうとも、まだ戻ってこれるのか!? 素晴らしいぞニンゲン! 素晴らしいぞ我がニクタイ!!)
吸血熊はヤンの体に最後の力を振り絞り、吸血に慣れた舌を突き刺す。そのストローのような真っ赤な舌で、ヤンの生き血を全てすすり上げる。
ジワジワと、だが急速に吸血熊の損傷した体は復元し、穴の空いた腹部まで完治してしまう。
これは特殊個体になった事の恩恵で、胃も無いのに即座に体が血液を吸収した事もあるが、それとこの吹き飛ばされた場所にも理由がある。
「グルルルル……なんと言う清々しい気分だ……しかも人語まで流暢に話せるとはな……我は長を超えた存在となったッ!! ハ、ハハハハハハハハ!!」
吸血熊は狂ったように笑い、鋭い爪で頭をかきむしる。ながれる鮮血。もはやそれが誰の血なのかわからないほど、香りは濃厚に混ざり合っていた。
そのながれ出す鮮血を、スンスンと自慢の鼻では嗅ぐ。彼にしてみれば、フルーティとも言える果実以上の甘い香り。最高!
「甘美・甘美・甘美でたまらない香りッ!! ククク……さぁ~はじめようか。これからが本当の宴会のはじまりだ!!」
吸血熊は滴る鮮血をそのままに、蜜熊の宴会場へと視線を向ける。その表情はもはや蜜熊とは言えず、表情豊かなバケモノが誕生した瞬間。
アリクイのように長く伸びた顔と真っ赤な舌。そして黒くなにを考えているのかが分からない、ガラス玉のような黒い瞳は変わらず不気味だ。
吸血熊は上半身を朱に染め、喜びを表すかのように木々へ体当たりしながらなぎ倒し進む。
そして、吸血熊が去った場所に残った、何の変哲もない一つの岩だけが残る。よく見ればその岩は、真っ二つになっていた。
綺麗に割れたその岩は、吸血熊が吹き飛ばされた時に割れたのか、それとも魔法の威力で壊れたのかは分からない、が。
内部には「封」と刻まれた文字が、鈍い紫色を放っていた。そう、吸血熊が復活し、さらに進化できた理由がこれである。
この場所こそが、弐と人形の妖力を封じた場所であったのだから。
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