418:くまさんの大誤算
「じょ……冗談だろ……」
「馬鹿野郎呆けている場合か! 引き返すしかねぇ! 奴らから離れるぞ!!」
「クソッ! もう少しだってのに! 嬢ちゃん立て、今すぐ逃げるぞ!!」
「分かったんだゾ! 少しでも足止めに――《エア・バースト!!》」
シーラはわずかに回復した魔力と、元からちょっぴり残っていた全てを込めて魔力をねる。
詠唱破棄した初級魔法のエア・バーストを使い、蜜熊の前にある地面上の空気を破裂させた。
巻き上がる落ち葉と土埃。それが目くらましになったようで、蜜熊はその場からは動けなくなる。
「よしでかした! いまだ行くぞ!!」
「「「オウ!!」」」
冒険者たちはシーラを中心にして、森の中を疾走する。ちょうど右の方から湖へと抜けれる感じがしたので、そこへ向かう一同。だが……。
「ここにもいやがる!?」
「くそ、こっちもダメだ。すこし戻った先に似たような場所があったはず、そっから行くぞ!!」
さらに戻る一同。どうやら目的の場所には蜜熊はいないようで、一安心して少し休むことにする。
「ハァハァハァ……嬢ちゃん……大丈夫か?」
「ハァフゥ……うん、なんとか……大丈夫なんだゾ……」
「なら結構。よし、もう少しの辛抱だ。あの大きい岩の向こうを背に行けば、追ってきたとしても見えにくいだろう」
冒険者の一人がそういう先には、五メートルほどの大きな岩が二つ並んで森に溶け込んでいる。
その苔むした岩に全員で静かに。だが駆け足気味に進む一同。
並ぶ岩の間を最初の冒険者がくぐった瞬間、シーラの頬に生暖かい物が付着する。
「……え? これ……なに?」
シーラは右頬から垂れる温い感覚を左手でこすり、それを見る。それは真っ赤な鉄の香りだった。
ふと前方の岩の向こうを見れば、そこには蜜熊が二匹座っており、その手には冒険者の首が持たれているのを見てしまう。
「ひゃ……ああああああああ!?」
シーラの声で全員が我に返り、状況をいち早く理解した冒険者が撤退を指示する。
「こ、ここもダメだ!! 戻れ戻れえええええ!!」
「くっそう、一体何匹いやがるんだよおおおおおお!!」
冒険者たちは知らなかった。三星級とは言え、蜜熊の噂しか知らない者ばかりだった。
だからほんとうの意味で、「討伐に最低三星級が八十人必要」と言うことを。
蜜熊の生息地。ここ、蜜熊の宴会場と呼ばれる場所は、「蜜熊の大規模な巣」である。
普段はこの森から出ることもなく、蜜をひっそりと楽しみ、魔物だが平和に暮らす。
だが一度敵が侵入し、それが一頭でも被害を受けたと分かってしまえば、寝ている熊も覚醒し一気に襲い出す。
つまり、この蜜熊がなぜ討伐が困難であるかと言うと、個体の強靭さもさる事ながら、集団で襲われる事への対処として必要な人員でもあった。
この討伐は、金と少ない人数で討伐したという、「名声欲しさ」に目がくらんだこと。
そして最重要な情報を知らずに来た時点で、失敗が確定していたと言っていい。
町の噂や情報屋から仕入れたネタは粗悪だった。蜜熊と言うのは温厚で基本は群れないと言う、「ガセネタを掴まされた」時点で終わっていたのだから……。
「ヒィヒィヒィ、だ、だめだ。いたる所に蜜熊がいやがるッ」
「こう、なりゃ、ハァハァ、ラースさんの所の熊を」
「そう、だ。な。ハァ、それしかないハァハァ」
冒険者たちは思い出す。ラースが対峙していた熊は、一頭のみ。しかもそのすぐ先にはこの森からの唯一の脱出ルートがあり、そこまで逃げ切れば蜜熊は追ってこないはずなのだから。
「見えたッ!」
「おにぃさんはどこなんだゾ!?」
シーラが先頭の冒険者を抜き、広場へと入る。そこには一人の傷だらけの男がいた。
満身創痍のその体は、いたるところがツメで切り裂かれており、血が滴り落ちている。
だが男はそれでもそれでも倒れることはせず、意識が朦朧としながらも、手に持つロングソードは固く握られていた。
なかなか殺せないことに苛立つ蜜熊は、大ぶりで男の顔面を狙う。それがチャンスとばかりに男はその腕をかいくぐり、アゴの下から脳天に向けて剣を突き刺した!!
油断と苛立ちで注意力が落ちていたところに、別の獲物が戻ってきたことで、そちらに意識を向けた隙きを見事につかれた蜜熊。
一瞬〝ビクリ〟と上下に痙攣し、大きなその体を背後へと大の字に倒れ、動かなくなった。
さすがに脳を破壊されれば、超回復力を持つ蜜熊であっても復活は出来ない。はず。
男は突き刺さったままの剣をおもむろに抜く。それをゆっくりと天へかかげ、一言吠える! 「俺は生きているぞ!!」……と。
誰がこの場にいても、彼のこの姿を見てこう言うだろう。勇ましき者――勇者と。
「おにぃさんッ!!」
「…………」
「おにぃさんってば!!」
「…………」
シーラは勇者――。ラースの元へと駆け寄ると、その背中に飛びつく。
そしてラースの名を叫ぶように呼ぶが、一向に返事がない。どうしたのかと思い、前に回ってみればラースは……。
「え? 気絶しているんだゾ……」
「ラースさん、アンタって男は……」
シーラも冒険者たちも、ラースの獅子奮迅の活躍に度肝を抜かれ、その働きに心の底から敬意を払うのだった。




